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■大谷翔平の偉業に思う

〜コロナ禍に希望の光を放つ〜
■二刀流・大谷翔平、 ルースの偉業に並ぶ

 米メジャーリーグ・エンゼルスの大谷翔平選手は、4月26日の対マリナーズ戦に2番打者・投手として投打同時出場。メジャートップの7本塁打で先発登板し勝利投手になったのは、野球の神様ベーブルースが1921年6月13日に成し遂げて以来100年ぶりのメジャー球史に残る快挙。おまけに、5回4失点、26歳で達成したのもルースと全く同じで運命的なものさえ感じます。
 この日の大谷選手は、初回四球で出塁、ベンチでのウォーミングアップの間もなく投手についたのが影響したのか、ペースを乱しボールが先行、初回は3点ホームランと犠牲フライを浴びていきなり4失点。並みの投手ならここで崩れるところですがここからが大谷選手の真骨頂。二回2アウト1・2塁の場面で打席に立った大谷選手は球に食らいつきしぶとく2点二塁打。次打者トラウト選手の適時打で全力疾走、同点のホームを踏んで、試合は4-4の振り出しに。
 「自分自身で点を取ったのはすごく大きなこと」とこれで気持ちが入れ替わり、二回以降は時速160キ直球で追い込んでからのスプリットが決まり、5者連続三振で寄せ付けず9奪三振で2年半ぶりの勝利投手。打っては3打数2安打2打点・3得点、1四球1三振と今季7度目の複数安打で、試合は9-4でエンゼルス勝利。

100年前のルース以来の投打のショータイム
 米メディアは、「100年前のルース以来の投打のショータイム」と翔平の「翔」にちなんでその活躍を称賛。米スポーツ専門サイトも立ち上がりは投打二刀流の難しさを想起させ、最後は彼なら出来ると納得させられた「素晴らしい投球を見せた今季初登板でも白星に迫ったが、自らを援護し、修正能力も示した今回の方が満足感の有るものだったかもしれないと伝えているとか。
 2018年10月に右肘手術を受けて同年5月以来の勝利投手になり、逆境を克服して、投打の「二刀流」はここに完全復活。全力で打って、走って、投げて、観客に爽やかな笑顔を振りまき、分け隔てなく神対応のおもてなし。大谷選手のこんな姿勢に、今なお人種差別が横行するアメリカで大谷なら納得」と称賛の声がやまないとか。その大谷選手は、4月30日にも8号本塁打を放ち、先発投手を務めた月に8本塁打を記録したのは1918~1921年のベーブ・ルース以来だそうです。(参考;西日本新聞4/28朝刊)

■新型コロナ禍に日本で起こっている心配ごと
 折しも日本では、新型コロナウィルス第4波が押し寄せ、東京・大阪・京都・兵庫の4都府県に4月25日から5月11日まで3回目の緊急事態宣言が、神奈川・埼玉・千葉、愛知、宮城、沖縄、愛媛の7県に5月11日までまん延防止等重点措置が発出されるなどコロナ変異株の嵐は全国に広がっています。まん延防止等重点措置に消極的であった19さんの住む福岡県知事もついに昨夕、まん延防止等重点措置の適用を国に要請しました。
 東京五輪・パラリンピックの開催予定日を間近に控えて、新型コロナ第4波の猛威に、政府、行政や都、オリンピック組織委員会はオリンピック・パラリンピック開催要綱の決定も先延ばし、新型コロナ感染防止策も後手に回り、国民の意思とかけ離れた中途半端でチグハグな対策・対応を余儀なくされています。平時では誰もが考えてもできるような判断が、危機に直面すると利害関係者や利害団体、権力者を慮って右往左往し、まともな判断ができないという危機管理マヒの状態に陥っています。

 例えば、イベント自粛を求めながら政治家(政治屋?)達は、どさくさに紛れて政治資金パーティーを開いて選挙資金集め
国や地方の官僚達は、会食は4名以下でと呼び掛けるながら自分たちは送別会や歓迎会名目で二ケタ人数の会食、首相や知事も「密はNO」と言いながら聖火リレーはOKして密を招きコロナ感染者が発生、人命最優先と言いながら「アスリートにとって一生に一度のこと。アスリートの努力を無にしてはかわいそう」とアスリート優先。一生に一度の大切な場面は人間だれしもある事で、何もアスリートに限ったことではないと思います。すぐ二年後には次のオリンピックが控えています。過去には、国民の命を守るためではなく、アメリカ主導による政治的理由でモスクワオリンピックをボイコットしたこともあったというのに。

■国民の意見、正論が無視される恐ろしい風潮
 国民の大半が抱いているオリンピック開催への疑問に、「東京五輪はアスリートとしては賛成だけど一国民としては反対という気持ち。命はオリンピックよりも大事なもの」と自分の意見を堂々と主張したオリンピック銀・銅メダルリストの有森裕子さんに耳を傾けず、挙句の果ては、タレント渡辺直美さんの容姿を侮辱した五輪・パラリンピック開閉会式総合統括CD佐々木宏さんの演出プランを問題視した人に対して、『あれは打ち合わせで言ったこと、あんな風に1年前ですよ、日本の告げ口文化、大嫌い』と一蹴し、他の出演者たちをあ然とさせたMさん。

 Mさんのような意見が政府や都・オリンピック組織委員会の人には好都合なのでしょう。そのような考えのMさんが日本パラ陸上協議連盟の会長をされていると聞き、もうびっくりポンです。Mさんは、今も、何事もなかったかのようにスポーツジャーナリスを名乗りメディアに顔をされています。彼女のマラソンや駅伝での往年の走り、現役引退後も軽快なマラソン実況解説やNHK朝ドラ「ひよっこ」のナレーションなどで活躍されている姿に一目置いていた19さんも、Mさんが「被害者の最後の訴え手段である内部告発を『告げ口文化』と考える弱いものいじめの人間」「何がなんでも開催ありきと権力者と利権者に寄り添い、人の考えを聴こうともしない人間」の類だったのかと知らされ、あのMさんでもそうなるのだと人間の弱さに失望しました。
 色々な意見があっていいのですが、町の男女共同参画審議会委員を拝命している19さんとしてはMさんの意見を看過するわけにはまいりません(3/21のNHKスペシャル・令和未来会議「どう考える東京オリンピック・パラリンピック」を視聴しての感想)

■女性差別発言、パワハラ疑惑にも隠微体質が…
 
そうそう、同じように失望?、と言うより裏切られた思いの人がいました。その人は、柔道を志す人達が模範とし、柔の道を究めた人と誰もが信じて疑わなかった柔道家(今は柔道屋?)。現在も全日本柔道連盟(全柔連)会長に居座り、日本オリンピック委員会(JOC)会長でもあるYさん。

 そのYさんが、当時五輪組織委員会会長であった森喜朗元首相の女性差別失言を擁護し、全柔連の幹部によるパワハラ疑惑に対しても自ら密室協議を企てリード、その隠微体質と無責任すぎる対応が明らかになり世論やメディアの反発を買うと、「自分だけでは判断できないが、幹部のパワハラ疑惑の責任を取って全柔連の会長を辞任する可能性もある」と記者会見で示唆したその日のうちに内輪に対して続投の意向を明かすなどしたとか。事実ならば、なんと情けない男になり下がったのでしょうか。「柔道を通して心身を鍛え、人間的成長を促す。この嘉納治五郎先生の教えの最大の恩恵を受けた者のひとりが私と言えるでしょう」と公言してはばからないその厚顔無恥で傲慢な本性を見せられた思いです。人間って、歳を重ねるにつれ出世意欲がますます強くなり、地位にすがりたくなるのでしょうか? 国民栄誉賞も泣いているのでは?
 色々な考えがあっていいのですが、学生時代に柔道をかじった端くれとして、19さんはYさんの行動を許すわけにはいきません。忸怩たる思いに駆られています。 
(参考;各メディア報道)

■それでも「日はまた昇る」人間の良心を信じたい
 そんな中での大谷翔平選手のスカッとする活躍にがぜん勇気づけられました。まだまだ長いこれからの人生を明るく前向きに考えて、人から頼りにされ人から喜ばれるような自分らしい仕事をしていきたい…、有森裕子さんのように、正しいと思った自分の考えを正々堂々と地道に発信していきたい…と新たな意欲が出てきた次第です。どんな苦境の時でも【日はまた昇る】と信じて、まともな社会に近づけるように共に頑張りましょう。
 そんな目であらためて周囲を見渡したら、それぞれの置かれた場所で、世のため人のために尽くしている人たちがたくさんいることに気づかされ、まだまだ日本も捨てたものではないと希望が持ててきました。

■東京五輪・パラリンピックは中止、コロナ感染対策最優先でコロナを克服し経済回復を!
 19さんは、「東京五輪・パラリンピック開催中止」意見です。今は、新型コロナ感染防止対策最優先で新型コロナを克服し、経済の回復を図るべき時です。「何が何でも五輪開催」という人達は、五輪・パラを中止すれば約1兆円の損失が出ると叫んでいますが、コロナ感染対策が長引く場合の費用に比べれば五輪中止の損失は数%弱にすぎません。
 ちなみに、昨年、全国民対象に配布した10万円給付金は13兆円、中小企業対策補助など補助金を含めた給付金総額は20兆円に上ります。更に言えば、トヨタ自動車の2020年の純利益は2兆761億円、今期も2兆円超の利益を予想し、一時業績低迷していたソニーグループも2021年3月期の最終利益は1兆1717億円と過去最高の決算予想です。これからもわかるように、五輪・パラ中止の損失が日本経済に与える影響はさして大きくなく、しかも一過性のものなのですから、日本経済回復の支障になるほどのリスクにはならないと19さんは思っています。
 
■コロナ対策はつべこべ言わず先ずやってみる。まずければ躊躇せず次の一手を出せばいい。
 世界のソニーも一時業績が低迷して苦しみましたが、「人まねをするな。他人がやらない事をやれ」のソニーのパイオニア魂は脈々と受け継がれ、見事によみがえったようです。そのソニーの人材育成の先頭に立ってこられたのが19さんの高校時代の学友の桐原保法さん
(東京大学法学部卒。ソニー株式会社人事部統括部長、 ソニー教育財団 副理事長などソニーグループの要職を歴任)。
 人事から海外へと羽ばたき、様々な世界の動向を目の当たりに見てきて、帰国後もソニーの執行役常務として人事労務畑で活躍された桐原さんは言う。
「世の中は常に変わっていくので、その“変化”を前提に考えてほしいということです。今の人事制度も将来にわたって普遍ではなく、一時的なものであるという認識に基づくことが必要です。朝礼暮改でもいいのです。制度は手段にすぎないので、まずければ躊躇せずに変えてしまうべきです」。
 これは、コロナ危機の今にもあてはまる事だと19さんは思います。政府は、変化を見極めながら批判も覚悟で良識に基づいたコロナ対策をまず発出する。国民は、やる前からつべこべ言わず協力してその対策にまず取り組んでみる。それがダメなら政府はまた変化を見ながら次の一手を打つ。この繰り返しが危機管理克服の手段だと19さんは思うのですが…。
 更に一言。桐原氏が大切にしてきた信条は“フェアネス”(公平さ)だそうです。前述のMさんやYさんに聞かせてあげたい言葉です。(2021.5.2)

■一陽来復

       一陽来復

   新年 明けましておめでとうございます。

     健やかで 幸多き年になりますように
   本年も どうぞ宜しくお願い申し上げます。

                   令和3年元旦
      櫛田神社1

 
孔子の教えを説く儒学書「易経」に「一陽来復」とあります。一陽来復と、「陰の気がきわまって陽の気にかえる陰暦11月のこと、また、冬至のこと」や「冬が過ぎ去って春が訪れること』ですが、転じて、「苦しい時期が過ぎて運が向いてくること」と言う意味で良く用いられています。
 又、シェリー(イギリスの詩人)も「西風の賦」で、「冬来たりなば 春遠からじ」と、今は不幸な状況であっても、つらい時期を耐え抜けば、幸せな時期は必ず来ると希望を失わず春を待つ気持ちを詩にしています。

私たちは今、新型コロナ禍、不自由で不安な日々を強いられていますが、その中で、新たな気付き、新たな発見があり、生活様式や働き方も見直されて、世の中はもっといい方向に進みそうな気がします。普通に働き、普通に生活できることの有り難さを再認識させられ、豊かさよりも心地良さ、人と企業と地域とのふれあい・絆の大切さを痛感させられた一年でした。

19さんの今年の抱負

折しも今、2015年の国連サミットで採択されたSDGs(2030年までによりよい世界を目指す持続可能な17の国際開発目標)への取り組みが世界中で広がりを見せています。新型コロナウィルス感染拡大防止策を含めて、これらの取り組みに対して何かと批判ばかりする評論家や政治家、学識経験者、メディアをよく見かけますが、それらに惑わされず、自分の目で物事の本質をしっかりと見据えながら行動し、こうしたSDGs活動にも、自分の置かれた場所で、自分に出来る範囲で、よい社会の実現に向けて、微力ながら協力し取り組んでいきたいと思います。
又、新型コロナに対しては、いわゆる「三密」を避け、「ウガイ・手洗い・手指消毒」を確実に励行してコロナに感染しない・感染させないように注意を払い行動しながら、起業の初心を忘れずに、皆さまのお役に立てるよう、一歩一歩、確実に仕事を進めてまいる所存です。
19さん今年75才、起業2年目。人生まだまだこれから。やること一杯。や企業、地域とのふれあい・絆を大切に、明るく、颯爽と Keep on Going ‼ 何事にも、前を向いて、チャレンジしていきます。引続き、ご指導ご鞭撻、お引立て賜りますよう、宜しくお願申し上げます。(2021.1.1)
トップの写真は、今年1月5日初詣した櫛田神社/福岡市

■「本気」という詩との出会い

    本  気錦江湾・桜島の朝日

本気ですれば  たいていな事はできる 

本気ですれば  なんでも面白い

本気でしているとたれかが助けてくれる

人間を幸福にするために

本気ではたらいているものは

みんな幸福で  みんなえらい 

(後藤 静香 著 「権威」より抜粋)


■【本気との出会い】     (2010/4/1執筆)

私がこの詩に出会ったのは、今から25年前の1985年。東京三鷹にある地方銀行協会での支店長研修。新米支店長の私は、ここで一週間、全国の地方銀行の支店長さん達と一緒に"支店長としての心構えやマネジメント"を学んだわけですが、そこで、ある大手銀行のベテラン支店長の"明るく大きく考えよう"と題した体験講話があり、その中で紹介していただいたものです。この詩に心をひかれた私はその場でこの詩集を一冊買いました帰りの電車の中で取り出して読んでみると、日ごろ思っていたことが、魔法のような言葉で見事に表現してあり、たちまちその詩のとりこになりました。そこで私は、この感動を周囲のみんなに伝えようと、支店に帰るとすぐさま出版社に電話を入れ、私費で200冊を注文していました。(ちょっと衝動的な面がある七福神の育さんです)


■詩がお客様の共感を呼ぶ

その200冊の本は、お取引先訪問のご挨拶代わりに差し上げたり、銀行窓口にご来店されてこの詩に興味を示された方々にプレゼントして大変喜ばれ、新米支店長の株も上がったものです。そこで私は、大きな模造紙を2枚買ってきて、習字の上手い女子行員のTさんとkさんに、筆で大きく書いてもらい、1枚は来店客向けに、ロビーからよく見える支店長席の後ろの壁に、もう1枚は通行人向けに、銀行正面中央のショーウインドゥの外窓に掲示することにしました。(そう、よくお寺さんの門に張ってある"今月のことば"って感じですね)


■地域密着活動の始まり

これがご来店の皆さまや道行く人々の目を引くようになり、私は在任期間中の2年間、毎月、詩の内容を変えて掲示する羽目になりました。このことが、私が、「銀行という人の集まる場を活用して地域とのかかわりを深め、地域の発展に役立ちたい」と、当時としてはユニークで様々な地域密着活動を展開したきっかけでした。私と支店行員で積極的に取り組んだこの活動は、次第に地域の話題を呼び新聞などマスコミにも取り上げられるようになり、全国金融専門業界紙「ニッキン」の「地域密着貢献賞」を受賞するところとなりました。


■「本気」の詩が、ある倒産会社社長の胸を打つ

ある日の午後。融資窓口の椅子にかけ、私の後ろの「本気」の詩を手帳に一生懸命書き写している初老の男性が目につきました。よく見ると、1か月ほど前に倒産した取引先の社長さんでした。私はそばに行き声をかけ応接室に案内すると、その社長さんは、座りざま、「支店長、私は、会社を守るのに本気じゃなかったんだね。支店長があんなに注意してくれたのに・・・。自分が甘かった。ほんとにわきの甘いお人好しだったんだね。この詩を見てガツンと頭を殴られたようなショックだよ。この詩をしっかり胸に刻んでおこうと思ってね。写していたんだよ。支店長、今度は本気で仕事に取り組んでみるよと真剣なまなざしで言われました。

「社長、社長がその気なら、またやり直せますよ。"人生明るく大きく考えよう"ですよ。倒産といったって、立ち直れないような借金じゃないじゃないですか。技術があるじゃないですかこの詩集を社長にプレゼントします。頑張って下さい。」と言って、私用の最後の一冊を渡しました。

それから2ケ月後、I次長が私のところに駆け込んできて、「支店長、倒産した○○会社の社長さんが来られて、"お前んとこの支店長だけには迷惑はかけられん。俺ガンバル!と伝えといてくれ"と言って融資金を全額返済して帰られましたとのこと。おかげで私は、この支店に在勤中、1社たりとも不良債権を作らずにすみました。それもこれも、この詩のおかげです。 


■後藤 静香 著 「権威」の中から好きな詩を紹介

紹介した詩は、大正時代に書かれた、後藤 静香という人の「権威」という詩集にあります。この詩集には、心に響く、勇気づけてくれるたくさんの詩が掲載されており、私は今でも時々取り出してみては読んでいますその中で私の好きな詩をを紹介します。なお、この本は、もう書店では見かけません・・・。 


   楽しみ玄関先に咲く紅椿

種をまくときは 種まきが楽しみ

草をとるときは 草とりが楽しみ

虫がついたら  虫とりが楽しみ

実ったら とりいれが楽しみ

(後藤 静香 著 「権威」より抜粋)

   

 

  

 

玄関先に咲く白椿 旅人の目       

上っている友が悦んでいう

「誰をみても善い人ばかり

何をしても都合がよい

わたしのような幸福者はない」

下っている友が悲しんでいう

「誰をみても悪いひとばかり

何をしても都合が悪い

わたしのような不孝者はない」

上りの旅と下りの旅とは眼がちがう

(後藤 静香 著 「権威」より抜粋)  

 


   【後藤 静香(ごとう せいこう)】

  1884(明治17年)~1969(昭和44年)

 大分県生れ。大正から昭和にかけての社会教育家。

 生涯に創刊した月刊誌21種、その多くは一人で執筆し、

 その最盛期には購読者百万人をこえたということです 


 (鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎)


テーマ : 生きる
ジャンル : ライフ

■月下美人が咲きました

 20200917_1847 (1) 9月17日夕方。18時半頃から、ほのかな甘い香りを漂わせながら、月下美人のつぼみがゆっくりと開きはじめ、20時半頃満開。白く透き通るような大輪の花を大きく広げ、部屋いっぱいに心地良い強い香りを放っていました。別名「女王花」とも呼ばれ、優雅で妖艶な姿はまるで楊貴妃を思わせます。惜しむらくは美人薄命で、早くも23時頃から徐々に花びらを閉じはじめ、朝方起きてみると、あんなに咲き誇っていた花は儚くしぼんで、だらりと首を垂らしていました。 月下美人は「幻の花」とも言われ、花言葉は、その儚く美しい姿から、「艶やかな美人」「はかない恋」「秘めた情熱」。(右写真 18:47)

 
 20200917_1942 (2) 原産地はメキシコ熱帯雨林地帯でサボテン科・クジャクサボテン属の植物。67月と910月頃の年2回、妖艶な花を咲かせます。
閉じた花は天ぷらやお浸しなどにして食べることができ、古くから薬用としても利用され、台湾では薬膳料理として食べられているそうです。耐寒性が弱くて冬を越させるのが難しく、育てるには油断のできない花です。 (右写真 19:42)


月下美人と孔雀サボテンの見分け方
  月下美人によく似た花に孔雀サボテンがあります。その違いは、
20200917_2044 (3) 【花】月下美人はのみ。孔雀サボテンは紫紅・白・青色を除く虹色、複色混合
【葉】月下美人は葉茎のくぼんだ部分に棘があり、葉は薄くて硬く、濃緑色。孔雀サボテンは棘がなく、葉は肉厚
【香り】月下美人は芳香種で香りが強く、孔雀サボテンは微かに香る種類もありますが香りがないのが大半 (右写真 20:44)

20200917_2141 (4) 【開花】月下美人は年2回、夕方から明け方の一夜だけ咲きますが孔雀サボテンは1回、夕方から翌夕方まで一昼夜咲きます。どちらも、花の命は短くて、この儚さがまた愛好家をときめかせ魅了しているようです。
 【種類】どちらもサボテン科クジャクサボテン属ですが、月下美人は原産地から導入された原種。孔雀サボテンは交配種で種類もすごく多いそうです。
【俳句】 〇妖と開き 煌と香りぬ 月下美人(楠本憲吉 狐客)
夜を一人 月下美人と 居りにけり(松崎鉄之助)
月下美人 たまゆらの香の 満ちにけり(深見けん二) (右写真 21:41)

■月下美人を育てるのにも喜怒哀楽

 20200917_2335 (6) 実は、我家の月下美人はこの5月には5つの蕾を付けていました。5年前に近所の方に株を分けて頂き育てていましたが、こんなに5つも蕾を付けるのは珍しいそうで、咲いたら西日本新聞に投稿しようかなと思ったくらいです。毎朝、蕾の膨らむのを眺めながら、胸をわくわくさせ花が咲くのを楽しみにして待っていました。 (右写真 23:35)
 
20200918_0714 (7)  ところが6月、いよいよ明日か明後日には咲こうかというその日、どうしたことか日課になっていた蕾の観察を忘れてしまいました。翌朝、庭先の月下美人に目をやると、花はしぼんでだらりと垂れ、弱弱しい無残な姿になってていました。夕べの内に5つの蕾が一斉に開花したのでした。今までの期待が一瞬にして失せて大ショック!!  痛恨の極みで、悔しいと言ったらありません。コロナ禍のちょっとした油断がもたらした悲劇でした。この10月には74歳を迎えようとしている19さんも、さすがこれには、少々歳をとったかなとちょっぴり落ち込みました。でも、いつまでも悔やんでばかりいられません。「また来年がある! 楽しみが一年先に伸びただけ・・・」と気を取り直し、開花後の手入れをしている自分がそこにありました。 
(右写真 7:14)

■油断大敵~父が残した戒め~ 
 折しも、開花した前日の9月16日は父の60回忌
。そんな自分に、父が月下美人のサプライズを届けて励ましてくれたのでしょうか。
 
父は、19さんが中学3年の時、芋畑でマムシに噛まれ亡くなりました。当時の医学では、24時間以内に血清注射を打てば毒は消えて治るものとされていました。農業の専門教師をしていてそこらの知識もあり、あんなに用心深かった父が何を戸惑ったのか、診療所で応急手当てをしてもらうと、血清注射も確かめず、その足でマムシの治療によく効くといわれていた温泉治療に行ったのでした。マムシにかまれて動転し、油断したとしか考えられません。「油断大敵」そんなことを思いだたせてくれた昨夜の月下美人でした。
 コロナパンデミックは収束しそうもなく、コロナに感染しない、感染させない為に3つの密を避け、手洗いとウガイをしっかりと励行し、社会も経済も活性化していかなければならない危険と隣り合わせの世の中。どんな時にも、「油断大敵!!」 と心に言い聞かせ、一歩立ち止まって考えながら行動して行かねばと改めて思った次第です。
 
■日はまた昇る 
19さんの若い頃、【明日という字は明るい日と書くのね🎶・・・】という歌が流行りました。人生まだまだこれから。人生100年時代に、充実した日々を出来るだけたくさん過ごせるように夢と希望を持って、Keep on Going!! の姿勢で、日々心新たに、何事にもチャレンジしていきたいと思っています。箱庭の花を育て慈しみながら・・・。 (2020.9.18)
こちらのHPも情報満載。ご覧ください⇒https://hosjas.com/
 
 

■比翼の鳥のように/義父母の生涯(前篇)


七福神の育さんは、これまで64年の人生の中で、「我が師」と敬えるたくさんの人びとに出会いました。
先に、このプログhttp://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-31.htmlでも紹介した川内南中学時代の恩師K先生、大学時代の居候先のT家の人びと、社会人になって最初に勤務した銀行支店の市川慶三取締役支店長(後の西日本銀行頭取)、銀行本店勤務時代の草野武二先輩(後の西日本銀行監査役)・・・。そして、先日他界した義父母も七福神の育さんの大きな心の支えでした。
これら「我が師」については、折を見て、このプログでも紹介していきますが、今回は、昭和の激動の時代を「至誠一貫」、「夫唱婦随」で生き抜いた義父母を偲んで語ってみたいと思います。(2011/8 執筆)

■最期まで用意周到・気配りの人生を貫く・・・
2011年4月4日、義父母は慌ただしく旅立って逝きました。それまで二人は、福岡の長年住み慣れた自宅で、お互いを労わり合いながら、つつましく元気に暮らしておりました。
ところが、4月1日(金)朝、「来週月曜日に入院したいので、今日一緒に付き合ってくれ」と七福神の育さんの妻に電話をしてきました。咳が止まず少し苦しそうでした。その日、妻はお父さんのお伴をして、天神のデパートや銀行を回って入院の準備を手伝ったそうです。それから義父は、自分が入院した後の義母の生活のことを心配して、自分が入院している間、義母もその病院のデイケアセンターを利用できるようにと、自宅近くの病院に入院することに決めたそうです。 義父はいつもそうでした。何事にも慎重で、常に用意周到、周囲への気配りを忘れませんでした。「事を進める時は、準備してもし過ぎることはない・・・。周りの人によく目配りすること」と。

■病院嫌いの頑健な義父が突然入院することに・・・
入院の準備とその後の手配を済ませて義父はしてホッとしたのでしょうか?、翌4月2日(土)朝、「月曜日まで体が持てそうもない・・・」と、予め決めていた自宅近くの病院に駆け込み、そのまま入院しました。
三歳の頃、高熱で一週間も瀕死の世界を彷徨い奇跡ともいわれる回復をとげた義父は、その後はたいした病気もせず、まして入院したこともありませんでした。義父は薬・病院嫌いで、その分だけ、健康には人一倍気をつける人で、食べ物にはうるさくて細心の注意を払っており、早寝早起きを心がけていました。
そんな頑丈な義父が病院に駆け込むのですからよっ程きつかったのだと思います。七福神の育さんの妻は実家に泊まって時々病院に様子を見に行き、義父とおしゃべりしていたそうです。3日(日)夜は親子三人(お母さん、兄さん)が枕を並べて、いつになく、夜遅くまで語り合ったそうです。

■比翼の鳥のように仲睦まじく天国に旅立った義父母
4日早朝、枕元の電話が鳴り、義父の容態が急変したとのこと。受話器をとった義兄の後ろで、飛び起きた義母がショックで倒れ込んでしまいました。妻からその知らせを受けた七福神の育さんは、長女を叩き起こし車を飛ばして病院に駆けつけましたが、時すでに遅く、午前5時、義父は急性肺炎から尿毒症を併発し急逝。
義母はしばらく自宅で安静にしていましたが、ほどなく救急車で義父の眠る病院に運ばれてきました。応急治療を受けてそのまま入院。一時、回復するかに見えましたが、同日正午27分心筋梗塞を併発し、夫の後を追うように安らかに息を引き取りました。 二人とも天命を全うしたような綺麗な死に顔でした。
義父・宮勇行 享年90
才、義母・宮ハマヨ 享年88歳。
余りにも急で信じられない最期でした。しかし、人もうらやむような、仲睦まじく天寿を全うした見事な最期でもありました。
中国唐代の詩人白居易(=白楽天、772-846年)の長編叙事詩「長恨歌」の中iに、【天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん】という詩の一節がありますが、生前、【連理の枝】のようにいつも仲睦まじく誰にも優しかった義父母は、【比翼の鳥】となって仲よく天国に旅立って行ったのでした。


■離れて遠き満州から、命からがらに帰国した義父母
先の世界第二次大戦で関東軍にいて、満州のシベリア国境最前線で戦っていた義父は、「このまま最前線にとどまっていてもロシアの大軍をとても防ぎきれない。ここは一端、撤退して体制を調えてから防御すべし」との師団長の機転(決断)で、終戦の一日前に北朝鮮国境近くまで退却していました。その翌日、ロシアの軍隊が攻め込んできて、最前線の兵隊さん50万人のほとんどがロシア軍の捕虜となりシベリアに抑留されたそうです。危機一髪、シベリア抑留の難を逃れた義父は、暑さと飢えに耐えながら生れ故郷を目指して歩き続け、海を渡り、終戦の年の秋のある朝、実家の庭先にようやくたどり着いきました。


の頃、義母もまた関東軍の憲兵さんに嫁いでいた実姉の出産のお手伝いで満州に渡っていて、満州で終戦を迎えました。身の危険を感じた義母は、実姉さんと一緒に、頭を坊主にして、顔には墨を塗り、ぼろぼろの着物を着て男装し、産まれたばかりの赤ちゃんを抱きながら満州の大地を逃げ惑い、命からがらやっとの思いで、三人とも無事に日本に帰ってこれたようです。それはまるでドラマの世界よりも過酷なのだったといいます。

■自分で運を切り開いた、気丈で意志の強い義父母
義父母は運の強い人でした。というより、自分で運を切り開いた意志の強い人でした。 あの柔和な優しい表情からは想像もつかないくらい、気丈で芯の強い人でした。
生前、義父母が満州にいた事は知っていましたが、この話は通夜と葬儀の時に本家筋の人からはじめて聞かされました。義父母は満州での若い頃の話はほとんど口にしませんでした。余っぽと苦労したのだと思います。思い出したくもないほど、語りたくもないほど過酷で悲惨な体験をしたんだと思います。
そんな義父母は、常々、「一生懸命やれば運はついてくる。一生懸命やれば誰かが助けてくれる。だから、人を裏切るような事をしたらいかん。努力すれば、必ず運は呼び寄せられる」と話していました。

■福岡県警で捜査一筋の人生を夫唱婦随で貫いた義父
福岡県浮羽郡の山村に生まれた同郷の二人は帰国後に知り合い結婚。
復員し手まもなく義父は福岡県警に就職。駐在所勤務をスタートに刑事畑を歩き、県警本部では捜査畑の中枢に長くいて汚職など多くの大事件を手がけ腕をふるい、博多警察署長を経て、地方警察官のトップである福岡中央警察署長を最後に勇退。
その後、福岡市の専門委員として福岡市地下鉄開業や福岡天神地下街の明るい町づくりに尽力した後、自動車学校の校長として70歳まで元気に働きました。勲章4等瑞宝章を受章。

■「至誠一貫」「正々堂々」「誠心誠意」が義父の信条
義父は、福岡県警在職中は、仕事にも自分にも厳しく、一方、部下や周囲の人にはどこまでも優しく、『仏の勇行(ゆうこう)さん』と呼ばれていたそうです。曲がったことが大嫌い。何事にも正々堂々と精神誠意で取り組む義父の姿勢に周囲の誰もが信頼を寄せ、大いに頼りにされていたようです。
事件があると、マスコミの記者の皆さんが、「夜討ち朝駆け」で自宅に押し掛けておられましたが、「せめて応対だけでも誠実に尽くさねば…」と義父母はいやな顔一つせず、にこにこしながらお茶や手料理を振舞っていました。
義父は、「自分が奉職を全うできたのも、気丈で、明るく、愛想のいい家内のお陰」だと話しておりました。
余談ですが、七福神の育さんは、仕事がら全国のテレビ局や新聞社の支社長さん達とよくお会いしますが、若い頃、福岡で報道記者をなさっていらっしゃった方も何人かおられて、義父のことを話すとびっくりされて、「あの勇行(ゆうこう)さんですか。いろいろとお世話になりましたよ。思いやりの深い人でした」と懐かしがってくださいました。人との出会いは不思議なもので何処でどうつながっているのかわからないものですね。


■柔和で優しい義父と明るく茶目っけのある義母
義父は、家庭内にあっても柔和で照れ屋のとてもおとなしい人でした。七福神の育さんはホントによく可愛がってもらいました。銀行の仕事はお金が絡んでいるだけに事件に巻き込まれがちですが、義父はいつもそのことを心配し、問題が起こらないように側面から色々とアドバイスし、支援をしていてくれていました。そのお陰で私が支店長をした支店では、地域やお客様との大きなトラブルは全く起こりませんでした。
ある時、義父は、「小さな失敗は何回やってもいいが、取り返しのつかないような大きな失敗だけは絶対にしたらいかん。大きな失敗をしない為には、物事を始める時にはよく考えて慎重に行動することが肝心。そのためには、日頃からよく本を読み、先輩の話に耳を傾け勉強をしておくこと」と教えてくれました。それ以来、七福神の育さんは事あるごとにその言葉を思いだし、たいした失敗もせずに今まで過ごすことができました。


義母はとにかく明るく愛きょうのいい人で、笑い声の絶えない家でした。いつ訪れても満身の笑みで出迎えてくれ、気分が沈んでいる時でもぱっと心が晴れて、いやな事もすぐに吹き飛んでしまいました。「いつも、にこにこしとかんといかんよ。ムツカシイ顔してたら、なんもかんも(運も)逃げて行くよ」
きゃぁきゃあと孫たちと戯れているあっけらかんの優しい義母でした。そんな義母ですから、二人の孫は大のおばあちゃん子で、親から見ても実に心の優しい女性に育ちました。


こうして、義父母の事を偲びながら綴っていると、義父母の存在がどんなに大きかったか思い知らされています。今はただ、感謝の気持ちでいっぱいで、ご冥福をお祈りするばかりです。
このプログの後編では、新聞で紹介された義父母の記事を掲載して、天国の義父母に捧げたいと思います。


後編へ続く⇒
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 (鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎) 


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プロフィール

七福神の育さん

Author:七福神の育さん
■本名:新留 育郎
■薩摩川内市出身1946年生
■座右の銘
「敬天愛人」「士魂商才」 
■趣味とスポーツ
「柔道」「家庭菜園」
「絵画鑑賞と史跡散策」 
■愛読書
「野菊の墓」
「翔ぶが如く」
「金子みすず童謡詩集」
■愛唱歌
「北辰斜めにさすところ」
(旧制第七高等学校寮歌)
「吉田松陰」「薩摩の人」
「白い花の咲く頃」
「愛傷歌」「北の旅人」
■好きな俳優/アナウンサー
吉永小百合、有働由美子
小西真由美(川内出身)
■交流会/地域貢献活動
鹿児島県
 企業誘致サポーター
薩摩川内市 
 CSサポーター
新宮町男女共同参画
 審議会副会長
福岡さつま川内会会長
福岡可愛山同窓会代表顧問
川内高校可愛山同窓会会員
川内高校ひっとぼ会世話人
川内南中学校同窓会会員
山口大学獅子の会世話人  
山口大学鳳陽会会員
山口大学柔道部OB会会員
西銀EDOS会会長
西銀志免会会長
西銀福間会会長
西銀会会員
福岡薩摩五代会会員
七福神+ONEの会世話人
■職歴
大手銀行支店長/本部部長
東証二部上場会社役員
地元放送局関連会社役員
総合広告代理店役員
■現職
HOSJAS企画(同)CEO
地場中小企業顧問/監査役
■資格認定
九州観光マスター1級
旅行業務取扱管理者
個人情報保護士
宅地建物取引主任者

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