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■月下美人が咲きました

 20200917_1847 (1) 9月17日夕方。18時半頃から、ほのかな甘い香りを漂わせながら、月下美人のつぼみがゆっくりと開きはじめ、20時半頃満開。白く透き通るような大輪の花を大きく広げ、部屋いっぱいに心地良い強い香りを放っていました。別名「女王花」とも呼ばれ、優雅で妖艶な姿はまるで楊貴妃を思わせます。惜しむらくは美人薄命で、早くも23時頃から徐々に花びらを閉じはじめ、朝方起きてみると、あんなに咲き誇っていた花は儚くしぼんで、だらりと首を垂らしていました。 月下美人は「幻の花」とも言われ、花言葉は、その儚く美しい姿から、「艶やかな美人」「はかない恋」「秘めた情熱」。(右写真 18:47)

 
 20200917_1942 (2) 原産地はメキシコ熱帯雨林地帯でサボテン科・クジャクサボテン属の植物。67月と910月頃の年2回、妖艶な花を咲かせます。
閉じた花は天ぷらやお浸しなどにして食べることができ、古くから薬用としても利用され、台湾では薬膳料理として食べられているそうです。耐寒性が弱くて冬を越させるのが難しく、育てるには油断のできない花です。 (右写真 19:42)


月下美人と孔雀サボテンの見分け方
  月下美人によく似た花に孔雀サボテンがあります。その違いは、
20200917_2044 (3) 【花】月下美人はのみ。孔雀サボテンは紫紅・白・青色を除く虹色、複色混合
【葉】月下美人は葉茎のくぼんだ部分に棘があり、葉は薄くて硬く、濃緑色。孔雀サボテンは棘がなく、葉は肉厚
【香り】月下美人は芳香種で香りが強く、孔雀サボテンは微かに香る種類もありますが香りがないのが大半 (右写真 20:44)

20200917_2141 (4) 【開花】月下美人は年2回、夕方から明け方の一夜だけ咲きますが孔雀サボテンは1回、夕方から翌夕方まで一昼夜咲きます。どちらも、花の命は短くて、この儚さがまた愛好家をときめかせ魅了しているようです。
 【種類】どちらもサボテン科クジャクサボテン属ですが、月下美人は原産地から導入された原種。孔雀サボテンは交配種で種類もすごく多いそうです。
【俳句】 〇妖と開き 煌と香りぬ 月下美人(楠本憲吉 狐客)
夜を一人 月下美人と 居りにけり(松崎鉄之助)
月下美人 たまゆらの香の 満ちにけり(深見けん二) (右写真 21:41)

■月下美人を育てるのにも喜怒哀楽

 20200917_2335 (6) 実は、我家の月下美人はこの5月には5つの蕾を付けていました。5年前に近所の方に株を分けて頂き育てていましたが、こんなに5つも蕾を付けるのは珍しいそうで、咲いたら西日本新聞に投稿しようかなと思ったくらいです。毎朝、蕾の膨らむのを眺めながら、胸をわくわくさせ花が咲くのを楽しみにして待っていました。 (右写真 23:35)
 
20200918_0714 (7)  ところが6月、いよいよ明日か明後日には咲こうかというその日、どうしたことか日課になっていた蕾の観察を忘れてしまいました。翌朝、庭先の月下美人に目をやると、花はしぼんでだらりと垂れ、弱弱しい無残な姿になってていました。夕べの内に5つの蕾が一斉に開花したのでした。今までの期待が一瞬にして失せて大ショック!!  痛恨の極みで、悔しいと言ったらありません。コロナ禍のちょっとした油断がもたらした悲劇でした。この10月には74歳を迎えようとしている19さんも、さすがこれには、少々歳をとったかなとちょっぴり落ち込みました。でも、いつまでも悔やんでばかりいられません。「また来年がある! 楽しみが一年先に伸びただけ・・・」と気を取り直し、開花後の手入れをしている自分がそこにありました。 
(右写真 7:14)

■油断大敵~父が残した戒め~ 
 折しも、開花した前日の9月16日は父の60回忌
。そんな自分に、父が月下美人のサプライズを届けて励ましてくれたのでしょうか。
 
父は、19さんが中学3年の時、芋畑でマムシに噛まれ亡くなりました。当時の医学では、24時間以内に血清注射を打てば毒は消えて治るものとされていました。農業の専門教師をしていてそこらの知識もあり、あんなに用心深かった父が何を戸惑ったのか、診療所で応急手当てをしてもらうと、血清注射も確かめず、その足でマムシの治療によく効くといわれていた温泉治療に行ったのでした。マムシにかまれて動転し、油断したとしか考えられません。「油断大敵」そんなことを思いだたせてくれた昨夜の月下美人でした。
 コロナパンデミックは収束しそうもなく、コロナに感染しない、感染させない為に3つの密を避け、手洗いとウガイをしっかりと励行し、社会も経済も活性化していかなければならない危険と隣り合わせの世の中。どんな時にも、「油断大敵!!」 と心に言い聞かせ、一歩立ち止まって考えながら行動して行かねばと改めて思った次第です。
 
■日はまた昇る 
19さんの若い頃、【明日という字は明るい日と書くのね🎶・・・】という歌が流行りました。人生まだまだこれから。人生100年時代に、充実した日々を出来るだけたくさん過ごせるように夢と希望を持って、Keep on Going!! の姿勢で、日々心新たに、何事にもチャレンジしていきたいと思っています。箱庭の花を育て慈しみながら・・・。 (2020.9.18)
こちらのHPも情報満載。ご覧ください⇒https://hosjas.com/
 
 

■【鹿の子ユリ】と【山本實彦】

 ■鹿の子ユリが今年も咲きました

鹿の子ゆりIMG_20200730_08393310年前、自宅の庭に植えた鹿の子ユリが今年も咲きました。鹿の子ユリは東シナ海に浮かぶ甑島(薩摩川内市)が原産地で、甑島列島に群生し、7月から8月にかけて咲く花です。19さんが小さい頃はあちこちの家の庭の片隅で、ギラギラした太陽に負けじとまっすぐな花弁を反転させ誇らしげに咲いていました。花言葉は富と誇り」「荘厳」鱗茎は滋養強壮、咳止め、解熱、消炎の効能があるとされ、甑島の島民は天明の飢饉や太平洋戦争中にも鱗茎を食べて飢え凌いだそうです。ユリの球根は百合根と呼ばれ、京料理には欠かせない素材だとか。そういえば、母がつくってくれた茶わん蒸しには入っていました。鹿の子ユリを見る度に、故郷の夏が懐かしく思い出されます。

 

■川内の傑人「山本實彦」の銅像が建立されました。
 故郷と言えば、川内川に架かる太平橋の大小路側に畔に「山本實彦」の銅像が今年建立されました。實彦は大正から昭和にかけて活躍した19さんの故郷・川内が産んだ傑人です。与謝野鉄幹・晶子夫妻を川内に招いたり、ラッセルはじめ多くの世界に名だたる知識人を自費で日本に招聘する等、日本の文学・科学・思想界の発展にも大きく貢献しています。
 その實彦像の除幕式が去る5月17日に催され、そのとき配られた「改造社と山本実彦という一冊の本を、福岡薩摩川内会の西谷和武会長から借り受けて読んでみました。そこには、あの「コンピューター付きブルドーザー」で日本列島改造論の庶民宰相・田中角栄を彷彿させるわが故郷の「ぼっけもん(男の中の男)の姿があり、ドラマを地でいく
波乱盤上の人生に引き寄せられ、一気に読み上げてしまいました。CORONAパンデミック禍の今、山本實彦や田中角栄のような勇気と決断力と実行力があり、情報に機敏で大胆さ(山師の一面もあるが…)を兼ね備えた真の政治家がいてくれたら…と嘆くのは19さんだけでしょうか。

 以下に、「改造社と山本実彦」松原一技著(方新報社))の中から、山本實彦の足跡をもっと詳しく紹介してみたいと思います。

■日本近代文学の井戸を掘った【山本實彦】
 山本實彦(18851952)は鹿児島県薩摩川内市大小路町に生まれ、苦学して上京し、大正・昭和期の日本近代文学の育成に多大な功績を残し、政治家としても活躍しています。
 大正8年、改造社を創業田山花袋、徳田秋声、正宗白鳥、佐藤春夫、広津和郎など当時の名だたる作家を集めて総合雑誌「改造」を創刊。自らは、政治・経済・社会問題を論じ、創刊号から与謝野晶子、尾崎幸雄、土井晩翠、幸田露伴、谷崎潤一郎など、後に日本文学史に名を残す錚々たるメンバーがこぞって執筆しています。
 賀川豊彦「死線を超えて」80万部を出版し大正時代最大のベストセラーとなり、志賀直哉「暗夜行路」林芙美子「放浪記」火野葦平「麦と兵隊」川端康成伊豆の踊子」石坂洋二郎「若い人」…等の作品が次々に生まれ、当時の知識人の圧倒的支持も得て大衆の人気を集めました。
 又、理想主義的ヒューマリズムのフランスの思想家・作家ジャン・クリストフ」ロマンローラン、中国の小説家で「阿Q正伝」魯迅インドの詩人でインドの国歌も作詞作曲したタゴール…等、様々なジャンルの世界的著名人も直接寄稿し、当時の出版業界は實彦の「改造社」の独壇場だったようです。いずれも19さんが学生時代に読みあさった本で、それらの名作を裏で支えた一人が山本實彦と知り、實彦が身近になりました。 

■アインシュタインを日本に招聘した【山本實彦】
 實彦は昭和2年に、一世を風靡した「円本(1円で買える本)の先駆けとなる日本初の「現代日本文学全集」全63巻を刊行しました。そのお蔭で、経済的に困窮していた作家さん達は生活が楽になり文筆活動に専念出来て、今でも老若男女を問わず多くの人に読み親しまれている名作が次々と生まれました。この意味で山本實彦は日本文学発展の父であり母である」といえるのではないでしょうか。
 その実彦は、ドイツ生まれの理論物理学者で「相対性理論」アインシュタイン、イギリスの哲学者で「社会改良主義」ラッセル、アイルランドの劇作家で「シーザーとクレオパトラ」バーナードショ-…等の世界に名だたる知識人を自費で日本に招聘し、東京、福岡ほか全国各地で講演を繰り広げ、日本の科学・思想界の発展にも大きく貢献しています。どんなに難しいと思われることでも、思ったら即行動に移し、何が何でも周りを説き伏せて実現いた傑人でした。

■九州の暴れ川、川内川の改修工事に尽力  
 郷土をこよなく愛する實彦は政界にも打って出て、昭和5年、衆議院議員に当選。当時の民政党・浜口雄幸内閣総理大臣を得意の熱意と粘りで動かし、川内川を国管理の一級河川に認めさせました。そして、国家予算で河川改修工事費を分捕って持続的な治水工事を成し遂げ、洪水の度に床を上げ、畳をはいで避難し右往左往して苦しんでいた川内川流域住民の悲願を叶えました。今年も熊本や福岡、山形など全国各地で大河が氾濫し、想像を超える甚大な被害を強いられています。19さんが小中高校生の頃の川内川も大雨の度に氾濫し被害が出ていましたが、この二三十年は氾濫もなく大きな被害には遭っておらず、これも山本實彦のお陰と知り、郷土の先達に誇りを感ぜずにはいられません。
 そういえば、鹿の子ユリの花言葉に、「慈悲深い」「威厳」というのもありました。まさに山本實彦
ギラギラした真っ赤な太陽に負けじとまっすぐな花弁を反転させ誇らしげに咲かせている「鹿の子ゆり」のような慈悲深く威厳のある誇り高き傑人でもありました。(2020.8.1)
19さんのHPもどうぞ ⇒ http://hosjas.com

■時計草を育てて、あらためて学ぶ!

 植物の生育も、企業経営も、何事もバランスが大切
■窒素、リン酸、カリをバランスよく施肥
 
IMG_20200513_時計草(パッションフルーツ)  3年前、庭先に植えた二本の時計草(パッションフルーツ)が今年は6個実をつけました。秋の穫り入れが楽しみ。最初の年は2個、去年は1個。植物を育てるのは難しいですね。人間がバランスよく栄養をとらないと体調を崩しやすいように、植物も適切に肥料を与えないとすくすく元気に育ってくれません。
 植物を育てるのに欠かせないのが肥料の三要素のチッソ(N)・リン酸(P)・カリ(K)。葉緑素の素となるNは葉をすくすく大きく茂らせ、Pは花と実を肥らせ(特にトマトなどの果菜類に大切)、Kは根や球根を肥らせる(芋類やチューリップなど球根類に必須)のに効果があります。
パッションフルーツ かと言って、N・P・Kを過剰に与えると拮抗作用が起こり、植物の生育に不可欠の鉄やマグネシューム欠乏を誘発し、葉が黄色くなり枯れてしまいます。「過ぎたるは及ばざるが如し」ですね。植物を大きくきれいに美味しく育てるには、その植物に合った効果の比率で栄養(肥料)を与えることが有効。つまり、バランスが大事ということです。 
  

■資本と経営と労働がバランスよく機能
 バランスは企業経営にも当てはまります。企業経営の三要素は、資本(出資者=株主)と経営(経営者=取締役)、労働(従業者=社員)。出資者は事業資金を提供し、経営者はその資金で事業を展開し、従業者はその事業展開に労力と知恵を提供します。この三要素が、企業が置かれた状況に応じてバランスよくうまく機能して企業は利益(黒字)を上げることが出来て、この利益は、配当、報酬、給与という形で出資者、経営者、従業者に分配されます。
 三要素が十分に機能している時は経営は順調に行くのですが、そんなにうまくいかないのが現実です。だから、三要素のうちの一つが不足する(厳しい状況にある)時は他の二つが1.5倍の力を発揮しカバーしながら切り抜けなければなりません。二つの要素がダメになればその行先には破綻の門が待ち受けています。企業は三要素が上手く機能して利益を出してこそ長く存続でき、それにより三者は安定したより豊かな生活が得られ、企業を通じて社会貢献ができるのです。
 
■企業の社会貢献
企業の社会貢献とは、「利益を上げて税金を国に納める」「有形(商品)・無形(技術・知識)のサービスを社会に提供する」「雇用を維持・拡大する」の3つにあると19さんは思います。そして企業は、黒字経営を実現してこそ、社会に貢献できるのです。

■経営者の使命
経営者の使命(役割=責任)とは、利益を上げて自己資本(内部留保)を増やし、財務体質を強化して持続可能な企業に仕上げることだと19さんは思っています。大企業・中小企業を問わず日本の優良・有力企業の大半は、バブル崩壊、リーマンショックの教訓から内部留保の蓄積に励み、財務体質強化に取り組んできました。政府は景気拡大策として企業に内部留保を吐き出すように要請していますが、企業が危機に陥った時、政府が一民間企業を助けることはまずありません。
 だから、企業は、(内部留保を必要以上に蓄積する必要はないが)、コツコツと内部留保を蓄積し、いま巷で囁やかれているような1930年代の世界恐慌以上?のコロナ不況にも耐えうるだけの力を蓄えておく必要があるのです。その備えを怠ったり、十分な備えができなかった企業は、まさかの時に、右往左往せざるを得なくなります。
 
■自分の城は自分で守る

 日本の賢い企業は、これまで蓄積してきた豊富な内部留保を活用して、コロナ非常事態の逆境をチャンス到来と捉え、新たなビジネスモデ
ルを創造しながら更なる発展を遂げていくものと考えます。日本の企業の多くは軟(やわ)じゃないんです。「黒字を続け、内部留保を厚くする」。これが企業の持続可能な発展の基本だと19さんは思っています。雨降りに傘を差し出してくれる銀行や取引先はまずありません。企業経営は自己責任なのです、
 トヨタ自動車の中興の祖といわれる石田退三氏が言っています。「自分の城は自分で守れと。先月、「車をつくる会社」から「モビリティカンパニー」にモデルチェンジすると豊田章男社長が表明したトヨタの強さと凄さの原点はここにあるのではないでしょうか。(2020.6.19)
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■茶の匠/星野茶ひと筋に「木屋宏さん」のこと

九州自動車道八女インターを下り、国道442号を東に八女市街地を通り抜けると約10分で県道52号に分岐する。
県道52号を星野川(矢部川の支流)沿いに山あいの新緑と薄紫のフジの花を楽しみながら20分も車を走らせると山の斜面に茶畑の風景が現れ、星野茶で有名な星野村に入る。しばらく走ると左側に『木屋芳友園』の本社・工場が見えてくる。その300メートル先に先月オープンしたばかりの同社直営店『茶房 星水庵』がある。
5月8日、春の叙勲お祝いを兼ねて、㈱木屋芳友園会長の木屋宏・博子さんご夫妻を訪ねてみました。今回は、半世紀以上にわたり星野茶ひと筋に『村おこし』に取り組んでこられた木屋ご夫妻の活躍ぶりを紹介します。(2010年5月 執筆)

■『黄綬褒章』を受章された『木屋芳友園』の木屋宏さん    
 
木屋宏会長 先月28日の新聞各紙は、星野村の木屋宏さんが、今年の春の叙勲で、業務に精励して模範となった農林漁業従事者や卓越技能者に贈られる『黄綬褒章』を受賞と一斉に報じました。
製茶業ひと筋52年間、高級ブランド茶・星野茶の普及と接茶文化の継承に一身を投げ打ち、古希を過ぎた今なお星野村の「村おこし」の先頭に立って地域の活性化に取り組んでおられる努力が認められての栄えある受賞。
木屋会長ご夫妻の地道な地域貢献活動を長きにわたって見聞してきた七福神の育さんにとっても、ホントに嬉しいビッグニュースでした。木屋会長ご夫妻、本当におめでとうございます。心から敬意を表します。
 「地道に努力する人が正しく評価される」こんな素晴らしいことはありません。本気で頑張っている人は、やっぱりみんながどこかでよく見てくれてるんですね。感動しました。

■19歳で星野村に戻り、家業を継ぐ
木屋宏さんがお茶の道に入ったのが16歳。親戚が経営するお茶屋で修行。1年のうち休みは6日間のみで残りの359日は商品配達と注文とりでお得意さんまわりの日々。当時は日本茶を飲むのが当たり前の時代で、注文も飛ぶようにあったとか。家族と離れて朝から晩まで働きづくめの過酷な生活だったが辛いと思ったことはなかったそうです。
宏さんは19歳の時、茶商だった父の芳友さんが体調を崩されたのを機に星野村に戻り、芳友さんの興した「木屋芳友園」の二代目に。父・芳友さんは実直でお茶へのこだわりは人一倍厳しい商売人。宏さんは、父・芳友さんから、茶の見分け方や商売人としての心構えを繰り返し繰り返し徹底して叩き込まれたそうです。

■高級ブランド茶・星野茶の普及に専念 
家業を継いだ宏さんは25歳で博子さんと結婚。以後45年間、博子さんと二人三脚で星野茶の製造と販路拡大に、来る日も来る日もただひたすら精励。
新芽の摘み取りが始まる4月下旬から5月にかけて生産者が出荷した荒茶を買い付け、自社工場で火入れなどの仕上げを施して、洗練された独自の技術と繊細な感覚で、香りとコクのあるまろやかなお茶を創りだす。
フル稼働する工場の機械音にせきたてられながら茶葉と向かい合う姿はいつも真剣勝負。茶葉をつかんだ手のひらの感覚が高級ブランド茶・星野茶を生み出す。まさに匠の技だ。
そこには、お茶にとことんこだわって妥協を許さなかったた父・芳友さんの教えが生きている。

■いいお茶は喉を通った後、うまみに変わる 
煎茶 高峰  「いいお茶は口に含んだ時には渋みがでても、のどを通った後、うまみに変わる」。父・芳友さんの口癖だった。納入先や常連のお客さんから『今年もおいしいよ』と喜んでもらえた時が一番うれしいと宏さんは眼を輝かせて語る。
最近、家庭でも、手っとりばやいペットボトル茶が普及し、急須で入れるリーフ茶の需要は減ってきている。でも、木屋さんご夫妻の入れてくれたお茶をいただくとやっぱりおいしい。香りとコクのあるまろやかさは他の飲みものでは味わえない何かがある。これが「本物のお茶」ということだろう。
お茶の美味しさを引き出すのはお茶そのものの品質とお茶の入れ方、飲み方だそうです。


 
■人を裏切ることは決してしない。誰にも謙虚な姿勢を貫く 
肩を張らず威張らずに、頼まれたことはきちんとやる。人を欺くようなことは決してしない。その姿勢は、客さまにも仕入先にも納品先にも従業員に対しても変わらない。木屋さんご夫妻は「謙虚さ」を一番に商いを続けてきた。だから、他人を裏切るようなことをする人は、たとえ儲かる話であっても相手にしない。
商いの基本は「信頼」。ドラッカーのマネジメントに「商売の基本・原則を大事にしない企業は持続しない」とあるが、木屋さんご夫妻は、まさにそれを実践されている。

木屋芳友園本社
■熱意こそ人を動かす
28年前、七福神の育さんは、星野村に「㈱木屋芳友園」という優良企業があるのを知り、バイクを30分走らせ、足しげく訪問を重ねました。
芳友会長と息子さんの宏社長にお会いしているうちに、事業に対する情熱と人柄に触れ、何とかお取引につなげたいと思いを募らせるのだが、美味しいお茶はいただけても肝心の提案にはなかなか乗ってこられない。それでもあきらめないのが育さんの真骨頂。
初回訪問から10ヶ月後、宏社長が銀行の窓口にお見えになり、「次長の熱心さがよくわかった。お取引をさせて貰います」。銀行入社以来、営業経験が全くなく、本部からいきなり支店の営業担当次長に赴任した七福神の育さんにとっては、初めての優良企業の新規開拓で、今でも思い出に残る感動のシーンであった。カーネギーが言うように、熱意は通じるものですね。
以前、このプログ http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-6.html  で紹介した「ほん気」という詩のとおりでした『本気でやればだれかが助けてくれる』と実感させられた育さんは、その後、八女市役所をはじめ地場優良企業・団体の新規取引に成功。お陰で支店の業績はアップし、店200数ヶ店の中で最優秀店表彰に輝きました。木屋さんご夫妻とはそれ以来のお付き合いで、お会いするたびに元気をもらっています。


■星野村や福岡県茶商工業界の要職で率先垂範星野村/星の文化館 
木屋宏さんは本業に精励する傍ら、地域や茶製造業界の活性化にも率先して取り組まれています。若い頃は、地元消防団長として若手事業者の模範となってリードし、長男ご夫婦が家業を手伝われるようになると、周りに乞われて県茶商工業共同組合理事長星野村商工会会長を引き受け、70歳を迎えた本年3月まで地域の商工業発展に尽力されています。
澄み切った空、棚田、茶畑、山林、焼き物……星野村のたくさんの地域資源を活かしてた星と文化の里」づくりに取り組み、「星の文化館」や「茶の文化館」などのふるさと創生事業の発展にも大きく貢献されました。

■ブルーベリーで働く場を提供、地域の活性化に尽力

星野村の土壌と気候がブルーベリーの生産にもっとも適していると知った木屋宏さんは、お茶以外の特産品開発を目指し、お茶の収穫時期と重ならないブルーベリー栽培を地元生産農家に働きかけました。
そして、2007年にはそのブルーベリーを活用した商品開発に取り組み、翌2008年には地元経営者や大学教授と共同出資で加工販売会社「星のふるさと村」を設立し社長に就任。地域期待の「星のブルーベリージャム」や「星のブルーベリー羊羹」「星の果実・ブルーベリー酢」を売り出す。地元の主婦や若手の働く場が増えて、村に若い人たちが残るようになり地域の活力につながっています。昨年、ブルーベリーで50万円の収益を上げた生産農家もあったとか。お茶の収入だけに頼っていた生産農家にとっては大きな収入源で、願ってもない話だ。
「あと2~3年で生産も、販売も軌道にのるはず。その時まで、まだまだ頑張りますよ」と宏さんは熱っぽく語る。星野村から星野茶に続く第二の特産品が全国に広がるのもそう遠くない…。

■接茶文化を残したい…と、「茶房・星水庵」をオープン 
          建築資材から業者まで、全てを地元活用
茶房 星水庵 先月16日、木屋宏さんは息子の康彦社長と話し合い、星野村の自然を五感で感じていただきながらお茶を楽しんでいただける空間として『茶房 星水庵』をオープンした。
ゆったりとした店舗内部には、お客さまに"本物のお茶の香りとまろやかさ"を味わって"やすらぎと癒し"を感じて頂けるように、お茶の試飲・喫茶・直売の三つの空間を提供。
また、お茶の入れ方、飲み方を学ビお茶を楽しむコーナーを設け、「すぐに温かいお茶を入れて客をもてなす日本の『接茶文化』の作法」を教えている。
地域活性化への宏さんのこだわりは、この店舗建設でも徹底している。柱、壁床板、瓦、庭の置き石、庭木に至るまで地元で調達できる建築資材は全て地元産。建築工事業者はちろんのこと大工さん、左官さん、庭師さんなど建築工事に携わる人も全て地元の人を指名。宏さんは、会社経営を任せている息子の康彦社長に対して、これだけは頑として譲らなかったという。 七福神の育さんもこれには脱帽。
星野村/茶の文化館  大きな柱、気の温もりの感じられるぶ厚い一枚板のテーブルとカウンター、自然の風景にしっとりとマッチした瓦屋根。春には星野川のせせらぎを聞きながら、初夏には川面に飛び交うホタルを追いながら、真夏には夜空に輝く満天の星を見上げながら、秋は紅葉、冬には雪景色を静かに眺めながら、四季折々に頂く一杯のお茶にゆったりと時は流れる。木屋さんご夫妻の「お茶の基本である「もてなしの心」が散りばめられている。
九州観光マスター1級の第1号の資格認定を受けている七福神の育さんは、「ホスピタリティー(おもてなしの心)は商いの基本」と公言しているが、木屋さん夫妻は、それを日本の文化として引き継いでいこうと実践されていて、感服するばかりである。
■木屋芳友園のおススメ商品   

茶の匠 芳友  星野村はお茶の栽培に最適な自然が残る山あいの里。その山あいにある「木屋芳友園」のこだわりの商品はここで買い求めできます。
●直売店: 茶房 星水庵
      福岡県八女市星野村4529-1 
              販売/9:00~17:00 
              喫茶/11:00~17:00
●お電話で:  0120-44-1563
●FAXで:      0943-52-2097
●インターネットで 
http://www.horyouen.co.jp  


星野愛す(抹茶アイス) 七福神の育さん イチオシ商品は、
 ◎星野茶にこだわった
              
「新茶 茶の匠 芳友」
 ◎抹茶、ほうじ茶の味が楽しめる
   オリジナルアイス「星野愛す」





写真の一部は木屋芳友園及び星のふるさと館のHPよりコピーさせていただきました。
(鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎)


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■曽木発電所遺構と上野喜左衛門/後編

前篇から続く⇒ http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-9.html
■曽木発電所建設に尽した川内の豪商・上野喜左衛門姿を現した曽木発電所遺構 

野口遵が建設した曽木発電所事業を物心両面で支援したのが、当時、川内川流域に広大な田畑・山林・水利 権を所有し、川内(現・薩摩川内市)で海運業や製糸工場などを興し、豪商としての地位を確立していた上野家の4代目・喜左衛門。

4代目喜左衛門は、野口遵に多額の出資を行い、曽木発電所の建設に奔走する。また、自らも、川内川流域に発電所を建設して日本窒素肥料㈱工場に電力を提供し、野口の事業を支えている。

5代目喜左衛門は、4代目が築いた野口遵との協力支援
関係をさらに発展させ、川内川流域を舞台にして日本の電力化学工業発展の一翼を担い、事業を多方面に拡大していく。
 


  ■江戸末期~昭和を駆け抜けた
    薩摩川内の豪商・上野喜左衛門の功績

近代電力化学工業を産んだ川内川上野家のルーツは、明治維新を成し遂げた西郷隆盛や吉田松陰や坂本龍馬が生まれた江戸時代の文化・文政・天保年間 (1804~1843年)にさかのぼります。上野家は、先代が死亡すれば直ちに【喜左衛門】を襲名する習わしがあり、初代(江戸/天保年間没)~5代目(1971年没)まで踏襲されている。以下、その功績を振り返ってみよう。


 ◆初代・2代目【上野喜左衛門】

江戸時代天保年間の頃から、川内地方(鹿児島県北部)で、焼酎・ろうそくを製造販売し財を築く


◆3代目【上野喜左衛門】

西南戦争直後に大きく財をなし、川内川(九州三大河川の一つ)流域の広大な田畑・山林を所有。奈良時代より水陸交通網の要をなしていた川内で、新しく海運業と製糸工場などを興し、豪商の地位を確立している。この頃、川内地方では、"七福神の育さん"の生れた隈之城一帯を中心に、養蚕(かいこ)・製糸業が栄ている。 


 ◆4代目【上野喜左衛門】

曽木発電所の建設に当たり、野口遵が頼りにしたのが4代目・上野喜左衛門。4代目喜左衛門は、曽木発電所事業に多額の出資を行い、野口遵を物心両面から支援し、発電所建設に尽力する。

自らも電力化学事業にも乗り出し、「川内製油」「川内川電気㈱」を設立。川内川発電所を建設し、野口遵の経営する日本窒素肥料㈱に送電を開始している。「川内川電気㈱」は、後に「日本水電㈱」と対等合併するが、これが九州のトップ企業「九州電力」の前身である。

九州電力は、1974年に川内火力発電所を、1985年には川内原子力発電所を操業開始するが、その縁は、4代目喜左衛門にさかのぼることを知り、4代目喜左衛門の洞察力と偉大さにただ感服するばかり!!


◆5代目【上野喜左衛門】1901年~1971年 オリジナル焼酎喜左衛門

4代目喜左衛門が築いた野口遵との協力関係をさらに深めて支援を強化し、川内川流域を舞台にして、幅広く事業を拡大し、日本の電力化学工業発展の一翼を担って尽力した

幼名は次郎七。日本水電に入社し、一年後、取締役総支配人として活躍。

「川内製油」を発展させて「上野商事 ㈱」を設立また、1945年3月、川内市に「南国兵器㈱」を設立し、終戦直後の同年10月には「南国殖産㈱」に社名変更。南九州を主基盤にして多方面で事業展開している南国殖産グループの基盤を確立した。
32歳で貴族院議員に当選。鹿児島商工会議所会頭を14年間務め、政財界を問わずあらゆる場面で活躍し、地元川内・鹿児島・南九州の発展にのみならず、日本の電気化学工業の発展に多大な功績を残している。

余談ながら、JR鹿児島中央駅アミュプラザ地下1階の「焼酎維新館」喜左衛門の功績を讃えたオリジナル焼酎【喜左衛門】(白金酒造)を販売している。"コイが、カゴンマン、ホンモンのソチュ ゴワンド。ノンで ミヤンセ!! ガッツイ ウンマカド"(これが、鹿児島の、本物の焼酎です。飲んでみてください。とてもおいしいですよ)


◆「中外製薬」「積水化学工業」を興した

                十蔵と次郎男
グロンサンで有名な「中外製薬」の創業者【上野十蔵】は5代目喜左衛門の叔父で、七福神の育さんの生れた町隈之城の出身。関東大震災の惨状を目の当たりにし、製薬業を起こす決意をする。ドイツ製の薬を売り歩き、1943年中外製薬を設立、"大衆肝臓薬時代"を築いている

5代目喜左衛門の次弟の【上野次郎男】は、「日本窒素肥料」の常務取締役を経て、1951年「積水化学工業」社長となり、プラスティック加工の分野で最大手メーカーに発展させ、積水化学の中興の祖と言われている。 


■今も、脈々と流れる喜左衛門の商いの心 
 

歴史を語る川内川代目喜左衛門は、終戦後の財閥解体、農地改革によって広大な土地と事業資産を失うことになるが、せんでガラッパ(義理人情に厚い気骨あふれる川内人をさす。ガラッパは河童のこと)の不屈の精神で、逆境をチャンスと捉え、時代の変化に敏感に対応し、新たな事業に挑戦し、飛躍発展を遂げている。喜左衛門のすごさをここに垣間見ることができる。

喜左衛門の「商いの心(起業精神と企業魂)」は、代々引き継がれ今も脈々と流れている。
戦後の財閥解体、1970年代前後のオイルショック、1990年代のバブル崩壊で、それまで勢力を誇っていた有力企業グループが破たん・衰退・低迷していく中で、南国殖産グループ(上野グループ)はその困難を跳ね返し、ばねにして逞しく成長してきている。今また、リーマンショックの不景気の中にあっても、「元気企業」といわれるその活力の源は、この「喜左衛門の商いの心」にあるのかも知れない。
 


■「人こそ財産」をモットーに

       さらに発展する南国殖産グループ 

南国殖産本社上野喜一郎は、5代目喜左衛門の後を引き継ぎ、1971年から社長・会長となり南国殖産グループのリーダーとして、九州・鹿児島を拠点に、エネルギー、情報通信、建設資材、機械設備、都市開発、農業、介護医療等なあらゆる産業分野で幅広く事業を拡大。では、総合商社の南国殖産㈱を核にして、会社・関係会社合わせて30数社を擁する九州でも屈指の企業グループに成長させ、地域経済の牽引車となって地域発展に大きく貢献している。

また、2008年亡くなるまでの10数年の長きにわたり、県経営者協会会長、鹿児島商工会議所副会長を務め、鹿児島の経済界の発展に尽力、2002年には旭日小綬章を受章
現在、南国殖産グループは、「人こそ財産をモットーに、時代の変化に敏感に対応しながら、新しいビジネス拠点・新しい街づくりに挑戦している。 
 


歴史をひも解くと、その時代に生きた先人たちの意外なストーリーが垣間見えてきて面白いですね。 わが故郷・川内の先人たちの偉業を誇りに思う"七"福神の育さん"でした。作家の有島武郎・里見、画家の有島生馬の三兄弟も川内の出身なのです。川内ってすごいでしょう!!


 【参考文献】川内市発行の「川内市史」「わがまち川内」及び関係各社のホームページ、南日本新聞の記事、鹿児島県発行の情報誌、地元伝聞情報を参考にまとめてみました。文中の写真は、薩摩川内市及び伊佐市及び南国殖産のHPからコピーさせていただきました。
(2012/5/25HP掲載)
(鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎) 


 

テーマ : 鹿児島県
ジャンル : 地域情報

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プロフィール

七福神の育さん

Author:七福神の育さん
■本名:新留 育郎
■薩摩川内市出身1946年生
■座右の銘
「敬天愛人」「士魂商才」 
■趣味とスポーツ
「柔道」「家庭菜園」
「絵画鑑賞と史跡散策」 
■愛読書
「野菊の墓」
「翔ぶが如く」
「金子みすず童謡詩集」
■愛唱歌
「北辰斜めにさすところ」
(旧制第七高等学校寮歌)
「吉田松陰」「薩摩の人」
「白い花の咲く頃」
「愛傷歌」「北の旅人」
■好きな俳優/アナウンサー
吉永小百合、有働由美子
小西真由美(川内出身)
■交流会/地域貢献活動
鹿児島県
 企業誘致サポーター
薩摩川内市 
 CSサポーター
新宮町男女共同参画
 審議会副会長
福岡さつま川内会副会長
福岡可愛山同窓会代表顧問
川内高校可愛山同窓会会員
川内高校ひっとぼ会世話人
川内南中学校同窓会会員
山口大学獅子の会世話人  
山口大学鳳陽会会員
山口大学柔道部OB会会員
西銀EDOS会会長
西銀志免会会長
西銀福間会会長
西銀会会員
福岡薩摩五代会会員
七福神+ONEの会世話人
■職歴
大手銀行支店長/本部部長
東証二部上場会社役員
地元放送局関連会社役員
総合広告代理店役員
■現職
HOSJAS企画(同)CEO
地場企業2社顧問
■資格認定
九州観光マスター1級
旅行業務取扱管理者
個人情報保護士
宅地建物取引主任者

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