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■【鹿の子ユリ】と【山本實彦】

 ■鹿の子ユリが今年も咲きました

鹿の子ゆりIMG_20200730_08393310年前、自宅の庭に植えた鹿の子ユリが今年も咲きました。鹿の子ユリは東シナ海に浮かぶ甑島(薩摩川内市)が原産地で、甑島列島に群生し、7月から8月にかけて咲く花です。19さんが小さい頃はあちこちの家の庭の片隅で、ギラギラした太陽に負けじとまっすぐな花弁を反転させ誇らしげに咲いていました。花言葉は富と誇り」「荘厳」鱗茎は滋養強壮、咳止め、解熱、消炎の効能があるとされ、甑島の島民は天明の飢饉や太平洋戦争中にも鱗茎を食べて飢え凌いだそうです。ユリの球根は百合根と呼ばれ、京料理には欠かせない素材だとか。そういえば、母がつくってくれた茶わん蒸しには入っていました。鹿の子ユリを見る度に、故郷の夏が懐かしく思い出されます。

 

■川内の傑人「山本實彦」の銅像が建立されました。
 故郷と言えば、川内川に架かる太平橋の大小路側に畔に「山本實彦」の銅像が今年建立されました。實彦は大正から昭和にかけて活躍した19さんの故郷・川内が産んだ傑人です。与謝野鉄幹・晶子夫妻を川内に招いたり、ラッセルはじめ多くの世界に名だたる知識人を自費で日本に招聘する等、日本の文学・科学・思想界の発展にも大きく貢献しています。
 その實彦像の除幕式が去る5月17日に催され、そのとき配られた「改造社と山本実彦という一冊の本を、福岡薩摩川内会の西谷和武会長から借り受けて読んでみました。そこには、あの「コンピューター付きブルドーザー」で日本列島改造論の庶民宰相・田中角栄を彷彿させるわが故郷の「ぼっけもん(男の中の男)の姿があり、ドラマを地でいく
波乱盤上の人生に引き寄せられ、一気に読み上げてしまいました。CORONAパンデミック禍の今、山本實彦や田中角栄のような勇気と決断力と実行力があり、情報に機敏で大胆さ(山師の一面もあるが…)を兼ね備えた真の政治家がいてくれたら…と嘆くのは19さんだけでしょうか。

 以下に、「改造社と山本実彦」松原一技著(方新報社))の中から、山本實彦の足跡をもっと詳しく紹介してみたいと思います。

■日本近代文学の井戸を掘った【山本實彦】
 山本實彦(18851952)は鹿児島県薩摩川内市大小路町に生まれ、苦学して上京し、大正・昭和期の日本近代文学の育成に多大な功績を残し、政治家としても活躍しています。
 大正8年、改造社を創業田山花袋、徳田秋声、正宗白鳥、佐藤春夫、広津和郎など当時の名だたる作家を集めて総合雑誌「改造」を創刊。自らは、政治・経済・社会問題を論じ、創刊号から与謝野晶子、尾崎幸雄、土井晩翠、幸田露伴、谷崎潤一郎など、後に日本文学史に名を残す錚々たるメンバーがこぞって執筆しています。
 賀川豊彦「死線を超えて」80万部を出版し大正時代最大のベストセラーとなり、志賀直哉「暗夜行路」林芙美子「放浪記」火野葦平「麦と兵隊」川端康成伊豆の踊子」石坂洋二郎「若い人」…等の作品が次々に生まれ、当時の知識人の圧倒的支持も得て大衆の人気を集めました。
 又、理想主義的ヒューマリズムのフランスの思想家・作家ジャン・クリストフ」ロマンローラン、中国の小説家で「阿Q正伝」魯迅インドの詩人でインドの国歌も作詞作曲したタゴール…等、様々なジャンルの世界的著名人も直接寄稿し、当時の出版業界は實彦の「改造社」の独壇場だったようです。いずれも19さんが学生時代に読みあさった本で、それらの名作を裏で支えた一人が山本實彦と知り、實彦が身近になりました。 

■アインシュタインを日本に招聘した【山本實彦】
 實彦は昭和2年に、一世を風靡した「円本(1円で買える本)の先駆けとなる日本初の「現代日本文学全集」全63巻を刊行しました。そのお蔭で、経済的に困窮していた作家さん達は生活が楽になり文筆活動に専念出来て、今でも老若男女を問わず多くの人に読み親しまれている名作が次々と生まれました。この意味で山本實彦は日本文学発展の父であり母である」といえるのではないでしょうか。
 その実彦は、ドイツ生まれの理論物理学者で「相対性理論」アインシュタイン、イギリスの哲学者で「社会改良主義」ラッセル、アイルランドの劇作家で「シーザーとクレオパトラ」バーナードショ-…等の世界に名だたる知識人を自費で日本に招聘し、東京、福岡ほか全国各地で講演を繰り広げ、日本の科学・思想界の発展にも大きく貢献しています。どんなに難しいと思われることでも、思ったら即行動に移し、何が何でも周りを説き伏せて実現いた傑人でした。

■九州の暴れ川、川内川の改修工事に尽力  
 郷土をこよなく愛する實彦は政界にも打って出て、昭和5年、衆議院議員に当選。当時の民政党・浜口雄幸内閣総理大臣を得意の熱意と粘りで動かし、川内川を国管理の一級河川に認めさせました。そして、国家予算で河川改修工事費を分捕って持続的な治水工事を成し遂げ、洪水の度に床を上げ、畳をはいで避難し右往左往して苦しんでいた川内川流域住民の悲願を叶えました。今年も熊本や福岡、山形など全国各地で大河が氾濫し、想像を超える甚大な被害を強いられています。19さんが小中高校生の頃の川内川も大雨の度に氾濫し被害が出ていましたが、この二三十年は氾濫もなく大きな被害には遭っておらず、これも山本實彦のお陰と知り、郷土の先達に誇りを感ぜずにはいられません。
 そういえば、鹿の子ユリの花言葉に、「慈悲深い」「威厳」というのもありました。まさに山本實彦
ギラギラした真っ赤な太陽に負けじとまっすぐな花弁を反転させ誇らしげに咲かせている「鹿の子ゆり」のような慈悲深く威厳のある誇り高き傑人でもありました。(2020.8.1)
19さんのHPもどうぞ ⇒ http://hosjas.com

■曽木発電所遺構と上野喜左衛門/後編

前篇から続く⇒ http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-9.html
■曽木発電所建設に尽した川内の豪商・上野喜左衛門姿を現した曽木発電所遺構 

野口遵が建設した曽木発電所事業を物心両面で支援したのが、当時、川内川流域に広大な田畑・山林・水利 権を所有し、川内(現・薩摩川内市)で海運業や製糸工場などを興し、豪商としての地位を確立していた上野家の4代目・喜左衛門。

4代目喜左衛門は、野口遵に多額の出資を行い、曽木発電所の建設に奔走する。また、自らも、川内川流域に発電所を建設して日本窒素肥料㈱工場に電力を提供し、野口の事業を支えている。

5代目喜左衛門は、4代目が築いた野口遵との協力支援
関係をさらに発展させ、川内川流域を舞台にして日本の電力化学工業発展の一翼を担い、事業を多方面に拡大していく。
 


  ■江戸末期~昭和を駆け抜けた
    薩摩川内の豪商・上野喜左衛門の功績

近代電力化学工業を産んだ川内川上野家のルーツは、明治維新を成し遂げた西郷隆盛や吉田松陰や坂本龍馬が生まれた江戸時代の文化・文政・天保年間 (1804~1843年)にさかのぼります。上野家は、先代が死亡すれば直ちに【喜左衛門】を襲名する習わしがあり、初代(江戸/天保年間没)~5代目(1971年没)まで踏襲されている。以下、その功績を振り返ってみよう。


 ◆初代・2代目【上野喜左衛門】

江戸時代天保年間の頃から、川内地方(鹿児島県北部)で、焼酎・ろうそくを製造販売し財を築く


◆3代目【上野喜左衛門】

西南戦争直後に大きく財をなし、川内川(九州三大河川の一つ)流域の広大な田畑・山林を所有。奈良時代より水陸交通網の要をなしていた川内で、新しく海運業と製糸工場などを興し、豪商の地位を確立している。この頃、川内地方では、"七福神の育さん"の生れた隈之城一帯を中心に、養蚕(かいこ)・製糸業が栄ている。 


 ◆4代目【上野喜左衛門】

曽木発電所の建設に当たり、野口遵が頼りにしたのが4代目・上野喜左衛門。4代目喜左衛門は、曽木発電所事業に多額の出資を行い、野口遵を物心両面から支援し、発電所建設に尽力する。

自らも電力化学事業にも乗り出し、「川内製油」「川内川電気㈱」を設立。川内川発電所を建設し、野口遵の経営する日本窒素肥料㈱に送電を開始している。「川内川電気㈱」は、後に「日本水電㈱」と対等合併するが、これが九州のトップ企業「九州電力」の前身である。

九州電力は、1974年に川内火力発電所を、1985年には川内原子力発電所を操業開始するが、その縁は、4代目喜左衛門にさかのぼることを知り、4代目喜左衛門の洞察力と偉大さにただ感服するばかり!!


◆5代目【上野喜左衛門】1901年~1971年 オリジナル焼酎喜左衛門

4代目喜左衛門が築いた野口遵との協力関係をさらに深めて支援を強化し、川内川流域を舞台にして、幅広く事業を拡大し、日本の電力化学工業発展の一翼を担って尽力した

幼名は次郎七。日本水電に入社し、一年後、取締役総支配人として活躍。

「川内製油」を発展させて「上野商事 ㈱」を設立また、1945年3月、川内市に「南国兵器㈱」を設立し、終戦直後の同年10月には「南国殖産㈱」に社名変更。南九州を主基盤にして多方面で事業展開している南国殖産グループの基盤を確立した。
32歳で貴族院議員に当選。鹿児島商工会議所会頭を14年間務め、政財界を問わずあらゆる場面で活躍し、地元川内・鹿児島・南九州の発展にのみならず、日本の電気化学工業の発展に多大な功績を残している。

余談ながら、JR鹿児島中央駅アミュプラザ地下1階の「焼酎維新館」喜左衛門の功績を讃えたオリジナル焼酎【喜左衛門】(白金酒造)を販売している。"コイが、カゴンマン、ホンモンのソチュ ゴワンド。ノンで ミヤンセ!! ガッツイ ウンマカド"(これが、鹿児島の、本物の焼酎です。飲んでみてください。とてもおいしいですよ)


◆「中外製薬」「積水化学工業」を興した

                十蔵と次郎男
グロンサンで有名な「中外製薬」の創業者【上野十蔵】は5代目喜左衛門の叔父で、七福神の育さんの生れた町隈之城の出身。関東大震災の惨状を目の当たりにし、製薬業を起こす決意をする。ドイツ製の薬を売り歩き、1943年中外製薬を設立、"大衆肝臓薬時代"を築いている

5代目喜左衛門の次弟の【上野次郎男】は、「日本窒素肥料」の常務取締役を経て、1951年「積水化学工業」社長となり、プラスティック加工の分野で最大手メーカーに発展させ、積水化学の中興の祖と言われている。 


■今も、脈々と流れる喜左衛門の商いの心 
 

歴史を語る川内川代目喜左衛門は、終戦後の財閥解体、農地改革によって広大な土地と事業資産を失うことになるが、せんでガラッパ(義理人情に厚い気骨あふれる川内人をさす。ガラッパは河童のこと)の不屈の精神で、逆境をチャンスと捉え、時代の変化に敏感に対応し、新たな事業に挑戦し、飛躍発展を遂げている。喜左衛門のすごさをここに垣間見ることができる。

喜左衛門の「商いの心(起業精神と企業魂)」は、代々引き継がれ今も脈々と流れている。
戦後の財閥解体、1970年代前後のオイルショック、1990年代のバブル崩壊で、それまで勢力を誇っていた有力企業グループが破たん・衰退・低迷していく中で、南国殖産グループ(上野グループ)はその困難を跳ね返し、ばねにして逞しく成長してきている。今また、リーマンショックの不景気の中にあっても、「元気企業」といわれるその活力の源は、この「喜左衛門の商いの心」にあるのかも知れない。
 


■「人こそ財産」をモットーに

       さらに発展する南国殖産グループ 

南国殖産本社上野喜一郎は、5代目喜左衛門の後を引き継ぎ、1971年から社長・会長となり南国殖産グループのリーダーとして、九州・鹿児島を拠点に、エネルギー、情報通信、建設資材、機械設備、都市開発、農業、介護医療等なあらゆる産業分野で幅広く事業を拡大。では、総合商社の南国殖産㈱を核にして、会社・関係会社合わせて30数社を擁する九州でも屈指の企業グループに成長させ、地域経済の牽引車となって地域発展に大きく貢献している。

また、2008年亡くなるまでの10数年の長きにわたり、県経営者協会会長、鹿児島商工会議所副会長を務め、鹿児島の経済界の発展に尽力、2002年には旭日小綬章を受章
現在、南国殖産グループは、「人こそ財産をモットーに、時代の変化に敏感に対応しながら、新しいビジネス拠点・新しい街づくりに挑戦している。 
 


歴史をひも解くと、その時代に生きた先人たちの意外なストーリーが垣間見えてきて面白いですね。 わが故郷・川内の先人たちの偉業を誇りに思う"七"福神の育さん"でした。作家の有島武郎・里見、画家の有島生馬の三兄弟も川内の出身なのです。川内ってすごいでしょう!!


 【参考文献】川内市発行の「川内市史」「わがまち川内」及び関係各社のホームページ、南日本新聞の記事、鹿児島県発行の情報誌、地元伝聞情報を参考にまとめてみました。文中の写真は、薩摩川内市及び伊佐市及び南国殖産のHPからコピーさせていただきました。
(2012/5/25HP掲載)
(鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎) 


 

テーマ : 鹿児島県
ジャンル : 地域情報

■曽木発電所遺構と上野喜左衛門翁/前篇

ひっとぼ会のJさんから、「私の祖父が関係した明治の発電所の遺構が曾木の滝(現・伊佐市)の近くにあるそうよ」と聞かされ、車で川内に帰省の折、立ち寄ったのが曽木発電所遺構。湖底に浮かび上がった廃墟の壁をじっと眺めながら往時の姿に想いを馳せていると、明治から昭和にかけて、日本の電気化学工業の近代化に尽力し、そのめざましい発展を支えてきたわが郷土の先人たちの足音が聞こえてくるようで感動的でした。

現在があるのは全て"先人たち"が存在したお陰。この遺構に隠されている先人たちの足跡を知りたくなって、川内歴史資料館に足を運び、ちょっとばかり勉強してみました。 (2012/5/24掲載)


■中世ヨーロッパのお城を思わせる曽木発電所遺構 
曽木の滝北薩摩を東西に流れる川内川の上流にある鶴田ダムのさらに上流に、「東洋のナイヤガラ」とも呼ばれる曽木の滝(鹿児島県伊佐市大口宮入)がある。滝の周辺は公園になっていて、桜、新緑、紅葉と四季折々訪れる人を楽しませてくれる。その滝を1.5Km下った場所に、ダムの水位の下がる5月初め頃から、中世ヨーロッパのお城を思わせるようなレンガ造りの建物が徐々に姿を現す。建物は煉瓦の壁だけが残っているが、元々は3階建 曽木の滝公園 ての建物だけあって威風堂々としていた様子がうかがえる。ちなみに、建物のレンガや機械設備まで全てドイツから輸入したものだとか。

1909年(明治42年9月)に完成した曽木第2発電所の遺構だ。曽木発電所遺構は、近代産業遺産として、平成17年11月に国の登録有形文化財に登録され、鹿児島市内の磯御殿・尚古集成館とともに鹿児島歴史探訪の観光スポットになっている。

 


 

  ■神秘的な対岸からの眺め

曽木発電所遺構の全体が見渡せることができる対岸の高台には展望台が設けられ、川面に映える遺構をゆっくり眺め曽木発電所遺構 ることができる。展望台の周りは、樹木の茂るちょっとした公園となってきれいに整備されている。静寂な公園の木漏れ日の小道を散策すると、何かオーラが感じられゾクッと身震いがする。日本の電気化学工業の近代化に偉大な功績を残した先人達の魂が宿っているのだろうか・・・神々しくもある。  

実は、最初の発電所(曽木第1発電所)はここから少し上流の曽木の滝の近くに造られていて、現在見ることのできるこの遺構はその2年後に完成した曽木第2発電所。曽木の滝公園内の奥には、第1発電所の導水路跡や洞窟など  が至る所に残っており、散策路として整備され、洞窟では霊芝なども栽培されている。 


■ライトアップで暗闇のダム湖に浮かび上がる
                 ロマンテックなシルエット

伊佐市では建設100周年記念イベントの一環で、昨年11月にライトアップ。それが好評だったため、この年末年始は、姿を現した曽木発電所遺構 12月11日より本年1月11日まで、ライトアップいう粋なサービスで帰省客を楽しませている。

遺構から約30メートルの高さにあるサーチライトから白い光が伸び、暗闇のダム湖にレンガ造りの建物が浮かび上がる様はまさにロマンティク近代日本の電気化学工業を切り開いた先人たちの夢とロマンが今にも伝わってくるようだ。

渇水が長引いたこの年末年始は曽木発電所遺構の姿を見ることができたが、例年の冬場は鶴田ダム湖に沈んでしまって残念ながら見られない。ダムの水位の低下する5月頃から徐々に姿を現し、7月頃が一番くっきりと姿が浮び、9月頃までは全容を見ることができる。 


■曽木発電所は電気化学工業発祥の地

曽木発電所は、1908年日本窒素肥料(現チッソ)を設立し、ここを土台に、第二次世界大戦まで日本・東アジアの電気化学工業界に君臨した日窒コンツェルン(野口財閥)のドン野口遵(のぐちしたがう・1873~1944年)が1909年(明治44年)に建設した水力発電所。建物は高さ19メートル、幅43メートル、奥行き20メートル。発電量は6700Kw(1590kw×4基)で、当時は国内最大級の発電量を誇っていた。

この電力は、伊佐市にある日本最大の金山(菱刈金山)や牛尾鉱山、そして水俣の日本窒素肥料(現・チッソ株式会社の前身)に大量に供給され、近代日本の電気化学工業の発展を支えていく

電気化学工業では、ダム建設による水力発電により電力を確保し、大量に供給される電力を利用して電気化学工場で肥料や火薬を製造する。電力が安いほど競争力が得られることから水力発電と化学工業は相互依存の関係にあり、この曽木発電所が近代電力化学工業の発祥の地と言われる理由はここにある。


■曽木発電所からアジアに広がる電気化学工業

世界第一次大戦の勃発によりイギリスからの硫安の輸入が途絶えたのを契機に、野口遵の率いる日本窒素肥料は、国内原料と曽木発電所・川内発電所の自家発電を利用していたため生産費の上昇がなく大戦中に莫大な利益を上げ急成長する。野口遵は、ここで得た巨額の富とドイツ式先端技術をバックに、延岡⇒朝鮮半島⇒中国(満州国)⇒マレー半島へと事業を拡大し、世界第3位の電気化学メーカーに発展させていく。後に、野口遵は「近代電力化学工業の父」との言われるようになる。

第二次世界大戦の敗北による財閥解体で日窒コンツェルンは終焉をむかえるが、現在の日本の化学工業の先端を走る「積水化学」や「旭化成」のルーツは日本窒素肥料㈱であり、曽木発電所はその原点なのだ。

曽木発電所は1961年まで操業。鶴田ダムの完成によりその役目を終え、1965年に水没し幻の発電所となった。

実は、野口遵をバックアップし、曽木発電所の建設に大きく尽力したのが、わが故郷・川内の豪商【上野喜左衛門翁】でした。後編では、その上野喜左衛門翁についてお話します。

 後編に続く⇒ http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-10.html

 


 

(鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎)

 

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七福神の育さんが会社を設立しました。

福田絵IMG_20180822_192404会社員生活50年の
 知見と体験を更に
 ブラッシュアップして
令和の時代に羽ばたく
 人と企業と地域を
 応援したい・・・・・

今年3月31日、会社員生活50年にピリオドを打ち、「人生100年時代」「人口減少=国内市場縮小社会」といわれる大変革の時代に、一生懸命頑張っていらっしゃる「人・企業・地域」の成長と発展のお役に立てればと感謝の気持ちも込めて、福岡で一人社長の会社を設立しました。
 社名は、「人生100年時代に Hop(ホップ) Step(ステップ) Jump(ジャンプ)を Active(積極的)に Support(サポート)する」HOSJAS企画合同会社(略称:ホスジャス)。
  4業種4社での実体験を糧にして失敗と成功を繰り返しながら培ってきた幅広い知見とノウハウを更にブラッシュアップして、
①経営改善・人材育成・業務改善の経営コンサル&コーチング
②自己啓発に励み、大きく羽ばたく人の能力開発サポート
③企業&商品の認知度アップ・売上拡大に繋がる広告展開と
 商品販売サポート
④ふるさと「鹿児島・山口・福岡応援団」ボランティア活動
 
を主に、豊富な経験と優れた識見をお持ちの方々のご協力も賜りながら、誠心誠意、全力で取り組んで参ります。
 単なる評論解説で終わらせず、現状を観察分析して、問題点と理想の状態を引き出し、具体的な解決方法を提示し、更に自らも時間・おカネというコストをかけて行動を起こすことで皆さまの飛躍のきっかけをお手伝いできる実践家コンサルタントとして活動したいと思います。


歴史を語る川内川 ありがとう
 そして keep on going

本年72歳。人生これから。
いつも感謝の気持ちを胸に、
いつも前向き思考で向き合い
「士魂商才」「敬天愛人」
を貫き、令和の新時代に羽ばたく人・企業・地域の成長と発展のお手伝いをさせて頂けたら幸いです。(令和元年7月1日執筆) 

HOSJAS企画合同会社(通称:ホスジャス)  
  CEO兼代表社員 新留 育郎
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 詳しくは、HOSJASホームページ         ⇒ https://hosjas.com/
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■鹿児島と山形の交流、いま再び(前篇)

山形テレビ大阪支社の三浦支社長が青木課長と一緒にご挨拶にお見えになった時のこと。私がボランティアで、鹿児島県企業誘致サポーターの仕事もしていることをお話しすると、「実は、山形県と鹿児島県は古くから深いつながりがあるんですよ。戊辰戦争で官軍と対決、降伏した庄内藩に寛大な措置をとってくれた明治維新の英雄【西郷隆盛】を祀った南州神社があるくらいですから…」と三浦支社長。
それから二日後、なんと、その話がそっくりそのまま、西日本新聞の朝刊一面下段の【春秋】に掲載されたんです。あまりのタイミングの良さに、「西日本新聞にあのことお話しされましたか?」と三浦支社長にお尋ねすると、全くしていないとのこと。七福神の育さんもリリースしてないし…。こんな偶然ってあるもんなんですね。
そしてまたまた びっくり!! 12月7日三浦支社長から1枚のファックス。【西郷さんの縁 山形、鹿児島両県議会交流】の大見出しの山形新聞(12月6日)二面記事。両県の交流がいま再び始まったことを報じていました。 (2010/12/19執筆)
■西郷隆盛と鹿児島県&山形県「徳の交わり」
鳥羽・伏見の戦いの契機となった江戸薩摩藩邸焼き討ちを実行した庄内藩(山形県鶴岡市・酒田市)は、戊辰戦争でも薩長の新政府軍に果敢に抵抗しています。だから、新政府軍に降伏した時、庄内藩は厳重な処罰が下ることを覚悟していました。しかし、新政府軍参謀の薩摩藩士・黒田清隆は、庄内藩に対し極めて寛大な処置を取のました。この温情ある薩摩人の処置に対し、旧庄内藩の人々は痛く感激し、薩摩人に敬愛の念を抱くようになりました。
西郷隆盛 実はこれらの処置は、西郷隆盛が陰で黒田に指示して行わせていたのですが、そのことを後日知った旧庄内藩の人々は、
西郷隆盛に感銘し大いに慕うようになり、明治になると、西郷隆盛を東京や鹿児島に訪ね、教えを仰ぐようになりました。
明治3年には、旧庄内藩主・酒井忠篤(さかいただずみ)が旧藩士七十六人を引き連れ、鹿児島の西郷隆盛を訪ね薩摩の軍事教育を学んでいます。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。然れどもかくの如き人は、凡俗の眼には見るべからず」。七福神の育さんの座右の銘でもある「敬天愛人」など西郷隆盛の教えをまとめた【南州翁遺訓(なんしゅうおういくん)30ヶ条】は、実は、西郷隆盛(南州翁)に心服していた旧庄内藩士達が、西郷隆盛から直接聞いた教訓等を一冊の本にしてまとめ刊行したものです。

南州翁の教え石碑(鶴岡市) さらに、山形県酒田市の人々は、昭和51年に西郷南洲翁(西郷隆盛)を祀った南洲神社を創建し、西郷隆盛の遺徳を讃えて信心しています。南州神社の本社は鹿児島市にあり、分社は酒田市のほかに、鹿児島県沖永良部の和泊町と宮崎県都城市にあります。
また、鶴丸城二の丸跡地(鹿児島市立美術館脇)i建つ軍服姿の西郷隆盛像は、元山形県議の石沢宏太郎(山形県東山村郡区)がモデルを務めており、両県議会の再交流の橋渡しにもなったようです。


■三島通庸(初代山形県令)と山形の石橋
綱取橋(山形県の石橋) 山形県内の石橋は、薩摩(鹿児島)と無縁ではありません。山形の石橋を発案したのは、薩摩出身で初代山形県令「三島通庸(みちつね)」です。
薩摩の島津藩では、肥後の石工に石橋架橋の技術を学んで多くの石橋を作っていました。三島通庸は技術を持たない山形に故郷薩摩より奥野忠蔵等多くの石工を呼び寄せ、石橋架橋にあたらせたのです。
後に山形県土木技官となった奥野忠蔵が設計した現存する石橋で記録に残っているのは瀧ノ岩、瀧ノ小、吉田、綱取、常磐の5橋だそうですが、山形県内に残る他の8つの石橋も何らかの形で奥野忠蔵が関与していたようです。
西田橋(鹿児島県の石橋) 肥後(熊本)で生れた石橋架橋の技術は、島津藩の手で薩摩(鹿児島県)で開花し、三島通庸により「薩摩から山形へ」、さらに三島通庸が山形県令の後、福島、栃木の県令となって「福島・栃木へ」とつながっていきます。そして、東北の地に一世紀以上経た現在でも、その石橋は地域の人々に愛され、利用されているのです。


■鹿児島の「ちまき」と山形/鶴岡の「笹まき」

鹿児島のちまき1 鹿児島県内の家庭では、端午の節句に、【ちまき】と呼ばれる「あくまき」をつくって祝います。
七福神の育さん実家では今も、端午の節句(子供の日)の頃になると、木や竹を燃やした灰から取った灰汁(あく)に浸したもち米を孟宗竹の皮で包んで大きな釜に入れ、灰汁水で数時間煮込んで作っていました。ぐつぐつぐつぐつ長時間煮込むと米粒が溶けて餅状になり、表面は飴いろのぷるるんとした「あくまき」が出来上がります。これが【ちまき】です。
鹿児島のちまき2 竹皮をむいて左手にちまきを持って、細い糸の片方を口にくわえ、右手に糸の端を持って、糸でぐるりと円を描くようにして【ちまき】を適当な大きさに皿に切り落とし、砂糖と少々の塩を混ぜたきな粉をまぶしていただきます。黒糖の粉やはちみつ、醤油をつけてもおいしいです。かすかな苦みが素朴な手作りの味を引き立たせます。 
 

山形の笹まき 鹿児島の【ちまき】に似た食べものに山形の旧酒田藩/鶴岡地方にだけ伝わる【笹まき】があります。
ちまき】同様に灰汁で煮込ンで作りますが、こちらは笹で包み,笹を丸のままのタケノコそっくりに編んだり、穂先のような形に巻いています。作り方も、灰汁にナラや柿の木の灰を使う以外は
鹿児島の「ちまき」によく似ています。
山形テレビの三浦支社長によると、山形県内の鶴岡以外の地方でも【竹の子まき】と呼ばれる【笹まき】があるそうですが、あの透き通ったようなゼリー状(?)、蕨持ち風(?)の食感は鶴岡地方の【笹まき】だけだそうです。食べ方はどちらも同じで、黄粉をまぶしたり、最近では黒蜜をかけて食べるそうです。食べ方も全く鹿児島と同じなんですね。
江戸時代には、山形と鹿児島は北前船での取引が行われており、保存食として重宝された鹿児島の【ちまき】が北前船で山形の酒田港に運ばれ広まったものなのでしょうか? 。今でこそ新幹線や飛行機があり、鹿児島と山形などもすぐ行き来が出来ますが当時の先人達の交流にはロマンすら感じるものがあります。


後編へ続く http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-26.html

写真は、鹿児島県市及び山形県市関係のHPより掲示しました。
(鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎)

■鹿児島と山形の交流、いま再び(後編)

前篇より続く http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-25.html
(2010/12/23執筆)
■鹿児島おはら祭と山形花笠まつり
両県には郷土を代表する民謡を中心に練り踊る市民参加型の祭りがあります。
おはらまつり 昭和24年(1949年)に、市制施行60周年を記念して始まった【鹿児島おはらまつり】は、例年11月2・3日に開催され、南国鹿児島の秋を彩るお祭りとして、また南九州を代表するお祭りとして定着しています。 約2万人の踊り手が、鹿児島を代表する民謡「おはら節」・「鹿児島ハンヤ節」・「渋谷音頭」にあわせて練り踊る「総踊り」を中心に、躍動感あふれるダンス「オハラ21」、多くの子供達で賑わう「You遊広場」など、市民参加のいろいろな催しが繰り広げられ賑わっています。 
花笠まつり  【山形花笠まつり】は、 昭和38年(1963年)、山形県、山形市、山形新聞社、山形商工会議所などが中心となり、蔵王の観光開発とPRを目的に開催された「蔵王夏まつり」のイベントの一つ「花笠音頭パレード」が発展したもので、昭和40年(1965年)からは単独の『山形花笠まつり』として行うようになりました。そして、平成5年(1993年)からは、まつりの事務局も山形新聞社から山形商工会議所に移り、より市民参加型のまつりへの変革を目指しています。
例年、8月5・6・7日、山形市内のメインストリートで山形の夏を彩る、また東北を代表する夏まつりの一つとして全国的に親しまれており、今では3日間の人出も100万人超という大きなお祭りとなっています。



■鹿児島の老舗百貨店/山形屋のルーツは山形商人
大正5年の山形屋 鹿児島市の中心市街地に、今年で創業260年の歴史を誇る百貨店【山形屋(やまかたや)】があります。
山形屋の創業は、江戸時代の宝暦元年
(1751)、山形県の庄内地方で生れた呉服商人・源衛門が紅花の取引を始めた時にさかのぼります。当時、源衛門は紅花の取引のほかに呉服太物、古着類を扱い、山形と京都・大阪の問屋を往来していましたが、薩摩藩の「商人招致政策」を知って、新天地での商売に夢を膨らませて安政元年(1772年)に【山形屋】の名で呉服太物の店舗を薩摩に出店したのでした。
山形屋のマークは社章の「まる岩」を山形県花の紅花で囲むようにデザインされています。
以来、「信用第一」「顧客本位」「あくまでも堅実に」を社是として、ふるさとのデパートとして多くのお客様に愛され親しまれ、百貨店冬の時代と言われて久しい今なお、鹿児島市内唯一の百貨店として地元にしっかりと根付いています。創業260年を迎えた山形屋は今、【いつの時代も「新しい」という山形屋の伝統】
をさらに前進させるべく、山形屋グループのトップ企業として地域社会の発展にも幅広く取り組んでいます。
上述の「商人誘致政策」や世界の中の日本をいち早く見つめ西洋文化・技術を取り入れた「薩摩藩主・島津斉彬の近代化政策」に見られるような、鹿児島県人に古くから脈々と流れる【積極進取のバイタリティ】の精神こそが、明治維新を成し遂げ、日本の近代化へと導いたと言えましょう。七福神の育さんの鹿児島県人としての誇りもここにあるのです。

リニューアルされた現在の山形屋 
山形屋HP 
http://www.yamakataya.co.jp/kaisya/index.htm
◆関連グループの百貨店・スーパー
鹿児島県内⇒●川内山形屋 ●国分山形屋 ●山形屋ストア
宮崎県内  ⇒●宮崎山形屋 ●日南山形屋 


■素朴で心ふれあうお国ことば【よもやま話】
◆鹿児島県出身者は方言ですぐわかる
初対面の人のし七福神の育さんの出身地の方言は「がごんま弁(鹿児島弁)」。鹿児島弁でも、九州最南端の西に位置する薩摩地方と東に位置する大隅地方で二ュワンスの違いがありますが鹿児島県人なら理解できる程度の違いです。
鹿児島弁は、中央の言葉とは全く異なる言葉を使うことで情報の漏れを防ぎ、幕府の隠密の侵入を難しくしたり、他国人を言葉で聞き分けるといったことを企図して、薩摩藩が意図的に自国の言葉を作ったという説があります。
確かに、七福神の育さんは、初対面の人でも、言葉だけで鹿児島県出身者かどうか95%わかりますし、名前を聞けば鹿児島のどの地方の出身か大体わかります。スナックでも、隣で飲んでいるの人の言葉を聞いていると鹿児島県人かどうかかわかるので、「おはんな、かごんまん、どこな(あなたは鹿児島の何処出身ですか?)】と声をかけると、「あたや、せんで、ごわんど(私は川内出身です)」と握手を求められ、すぐに打ち解け話が弾みます。こんな具合で、同県人同士、仕事でも助けられることが多いんです。かごんま弁のお陰ですよね。

◆山形鉄道の方言での車窓案内が人気
山形鉄道では、山形弁で車窓の景色案内を行っており人気だそうです。山形鉄道の話によると、「名所がないので地元の言葉でしゃべっているだけ。お客さんが面白がって喜んでくれる」とか。
地方の時代が叫ばれる中、今、日本各地でお国言葉が復権し、観光にも一役買っているようです。青森の津軽鉄道の乗務員さんは車窓案内のほか方言でお客さんの話相手も務め、宮城交通では東京・大阪から仙台方面に向かう高速夜行バスでは仙台便の放送をこの秋から始められたとか新聞でしりました。
わが故郷川内を走る【肥薩おれんじ鉄道】でもこんな取り組みをしたら、薩摩の旅もほのぼの楽しさが増すと思いますが・・・。そういえば、先月乗った、京都/嵯峨野~亀岡を往復走る保津川トロッコ列車には、途中の駅から天狗の格好をした人が乗りこんできて乗客に語りかけ、乗客と一緒に記念写真にも応じていました。無料で。子供も大人も
大喝采でしたよ。


■静岡、山口、青森・・・と広がる鹿児島県の他県交流
山口市の瑠璃光寺五重塔 山形県との交流のほかに、最近の鹿児島県は、九州新幹線の3月12日全線開通を前に他県との地域交流を積極的に進めています。
鹿児島と静岡は【お茶やウナギの産地、遠洋漁業の基地(枕崎と焼津)、富士山と開聞岳(薩摩富士)とのつながり】、山口は【薩長同盟の明治維新つながり】、青森は【九州最南端と本州最北端の2000キロの新幹線つながり】で、観光と産業の地域活性化に向けた県同士の交流が進んできています。その話は、またの機会に譲ることにします。
この情報は、山形テレビ大阪支社の三浦支社長からの情報をもとに調べたものをまとめてみました。ありがとうございました。
  ◆山形のこと知りたいなら山形テレビ【YTSゴジダス】 
      月曜~金曜 午後4:53~午後6:55
   山形県内の話題を伝える地域密着報道人気番組です
      
http://www.yts.co.jp/02/index.html
写真は鹿児島・山形の県市関連HP及び山形屋HPより掲載しました。 
 
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■きやんせ薩摩川内へ【「きゃんぱく】予約受付中!!

今年3月12日の九州新幹線全線開業に合わせて、薩摩川内市と同市観光協会では、薩摩川内市の魅力を実際に体感してもらおうと体験交流型の旅プログラム【きゃんぱく】(薩摩川内スピリッツ・きゃんせ博覧会)を企画し、12月1日から予約受付をしています。今日は、七福神の育さんが薩摩川内市シティセールスサポーターとして、故郷・薩摩川内の人情味あふれる素朴な田舎の旅企画【きゃんぱく】を紹介します。 
 
■体験型の旅企画~趣味・再発見の旅になるかも…~
【きゃんぱく】には、薩摩川内人のおもてなしの心「薩摩川内スピリッツ」と「きやんせ(鹿児島弁:いらっしゃいませ)」という意味が込められています。
       開催期間  平成23年2月11日(金)~5月8日(日)
この企画は、名所旧跡やお店を訪れて、ただ見物したりショッピングしたりするのではなく、そこで働く職人・名人さん達と一緒に実際に物をつくったり、演じたり、体感したりして交流を深める体験型の旅です。あなたの隠れた才能が見つかる旅になるかも知れませんし、新しい趣味の世界が広がる旅になるかも知れません。
 
■【きゃんぱく】で102の体験型旅プログラムを用意
鹿児島県内一の面積を誇る薩摩川内市の全域で、「創(つく)る」「味わう」「めぐる」「動く」「いやす」をテーマに、82の個人、団体、企業が独自に企画した総数102の旅プログラム(募集する総定員約3800人)を用意されており、都会では味わえない、田園地方のさまざまな体験が楽しめるようになっています。

例えば、
 ●№01世界に誇る川内戦国村での甲冑(かっちゅう)着用体験
 ●№35元気おばあちゃんとつくる麦味噌・すいーつ「むっかん」づくり
 ●№61 地質百選の甑島断崖クルージングと田舎料理のおもてなし
 ●№73 ラムサール条約登録地の藺牟田池探訪~ベッコウトンボ観察会
 ●№88 親子で川の探検に出かけよう/きんかんの里でリフレッシュ
 ●№93 日本名湯百選の高城温泉での「西郷さんの湯治場めぐり」
 102の旅メニューはこちらHPで    http://canpak.jp/annai/gaiyou/

■プログラムを紹介した公式ガイドブック発行
公式ガイドブック 【きゃんぱく】を紹介したガイドブックが薩摩川内市から発行されました。
102の旅プログラムの内容と募集要項がわかり易くまとめてあります。薩摩川内市役所や同市観光協会のほか、鹿児島中央駅総合観光案内所、東京のかごしま遊楽館、大阪のJR大阪駅などに置いてあります。
  ●お問い合わせは 電話  0996-23-9889
   ⇒きゃんぱく事務局 薩摩川内市鳥追町1-1 
 
■【きゃんぱく】の予約は早めに!! 
【きゃんぱく】は、全コース、すべて事前予約制です。お気に入りのプログラムを見つけて、「きゃんぱく総合予約センター」まで、下記の電話、FAX、ホームページで予約してください。
  ●電話予約 
0996(23)9889   ●ファクス予約 0996(25)4739
          ※受付時間  いずれも、 午前9時~午後5時
  ●ホームページ  http://canpak.jp/howto/


■薩摩川内市は九州新幹線全線開通でぐっと近くに
 ●JR九州新幹線(3月12日全線開通)川内を走る九州新幹線 
 博多駅~川内駅   1時間10分
 新大阪駅~川内駅 3時間40分
 鹿児島中央駅~川内駅  13分
 ●飛行機
 大阪~鹿児島空港 1時間 5分
 東京~鹿児島空港 1時間35分
 ●空港バス   
 
鹿児島空港~川内駅     60分


■鹿児島県 薩摩川内市とは

【地理】薩摩半島の北西部に位置し、南は県庁所在地の鹿児島市といちき串木野市、北は阿久根市に隣接し、東シナ海に浮かぶ甑島を含めた面積は鹿児島県内一を誇り、人口約10万人の鹿児島県第二の田園都市です。
【歴史】遠く奈良時代には薩摩国の国府や国分寺がおかれ、万葉の時代には大伴家持が国府の守に任命されるなど、古くから南九州で鹿児島に次ぐ中心地として栄えていました。
  ●総面積:683.43km2(本土564.75km2/甑島118.68km2)
  ●総人口:101,703人(人口増加中)  
  ●世帯数:44,984世帯(平成20年4月1日現在)
【風景】
市街部を悠々と流れる一級河川「川内川」、藺牟田池をはじめとするみどり豊かな山々や湖、地形の変化の美しい甑島や肥薩おれんじ鉄道の走る西方海岸線、山あいに点在するひなびた温泉など、都会にはない素朴な自然環境が訪れる人の心を癒してくれます
【産業】古くから川内平野を中心に農業が盛んで日本棚田百選に選ばれた内之尾地区など豊かな田園風景が残っています。一方、九州三大河川の川内川の水と港の利点もあり、九州電力の川内原子力発電所、中越パルプ工業、京セラの工場が早くから進出し、雇用促進、地域活性化につながっています。
【交通】九州新幹線ルートの一部開通,肥薩おれんじ鉄道の運行,南九州西回り自動車道の整備,重要港湾川内港への国際定期コンテナ航路(韓国・釜山)の開設など社会基盤の拡充も進んでおりますます便利になっています。
【人】日本の近代化学工業の発展を支えた豪商・実業家で鹿児島のトップ企業の南国殖産グループの創業者「上野喜左衛門」や中外製薬の創業者上野十蔵」、積水化学の中興の祖「上野次郎男」、大正・昭和の文壇・画壇で活躍した有島3兄弟「有島武郎」「里見」「有島生馬」、明治中期に活躍した大相撲の第16代横綱・西ノ海嘉次郎(初代)の出身地でもあります。最近の有名人では、2009年「のんちゃんのり弁」で毎日映画コンクール女優主演賞を受賞し、昨年末には福山雅治との結婚も噂された女優の「小西真奈美」がいます。
【同窓生】 七福神の育さんの同期生では、世界のソニー株式会社の人事担当常務取締役を経て現在財団法人ソニー教育財団副理事長として教育・人材育成の分野で今も活躍中の「桐原保法さん」、㈱MBC南日本放送の常務取締役、㈱MBCサンステージの社長として、テレビ・ラジオひと筋に平成の地元民間放送・広告業界の発展と町おこしに貢献したぼっけもんの「石走一行さん」。先輩には、九州大学経済学部教授(現在、同名誉教授)で、広くマルクス経済学の権威として知られ、「ふくおかの都市づくりと交通を考える会」の座長を現在も務める「福留久大 先輩」、後輩には、2003年プロ野球巨人軍の投手で新人王を獲得、のちに怪我で泣かされたものの、オリックスに移籍後、見事にカムバックし現在活躍中の「木佐貫洋投手」
がいます。 
●上野喜左衛門の関連プログ
       http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-9.html
       http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-10.html
●「ぼっけもん」とは 鹿児島県人の気質を表した鹿児島弁。挑戦心がある、豪胆な、大胆な、豪傑な、やんちゃな、元気な、茶目っけのある、ウジウジしない、肝っ玉が太い…など無邪気で豪放磊落な 様・人物を表現した言葉。

■薩摩川内市シティセールスサポーター募集中。
詳しくは⇒ http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-22.html
写真は薩摩川内市の関連HPより掲載させていただきました。
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■薩摩川内市まるごとフェアin福岡開催!

 おじゃったもんせ!『薩摩川内市まるごとフェア in 福岡』
薩摩川内市の観光スポットや特産品を紹介したり、移住・企業誘致情報を発信するイベントが、11月5・6・7日の3日間、福岡天神のど真ん中、福岡マルシェ(福岡市役所前広場)でにぎやかに開催されました。
薩摩川内市のセールスサポーターの七福神の育さんも初日5日の午後、会場に出向き、故郷の最新情報を入手しながら故郷の香りと味をたっぷり楽しみました。
■岩切市長トップセールスで、薩摩川内市をPR!!
岩切市長もトップセールス イベント初日の5日は、薩摩川内市の岩切秀雄市長も粋なはっぴ姿で、「新幹線開通で薩摩川内も近くなりました。ぜひ一度おいでくださ~い!!」と来場者に大きな声で呼びかけ、パンフレットを配ったり、握手をしたり、薩摩川内市のマーク入りオリジナル焼酎コップをプレゼントしたり、あおさラーメンの試食会で愛きょうを振りまいたり…。薩摩川内市の顔としてトップセールスに一生懸命でした。
また、この秋からスタートした薩摩川内市のシティセールス推進課の初めてのビックイベントとあって、古川課長はじめご担当の皆さんが汗だくで動き回っておられる姿をみて地元出身者として応援したくなりました。
■西日本新聞の全面広告で薩摩川内市をアピール!!
西日本新聞全面広告 11月3日の西日本新聞の中面2面は薩摩川内市のオンパレード。
岩切市長、今藤商工会会長の挨拶に始まり、薩摩川内市のくらし(産業・自然・歴史・湯・祭など)、甑島・蘭牟田池など観光スポット、特産品の紹介、まるごとフェアの開催告知、来年3月12日からの九州新幹線の全面開通…等、『きっとずっと忘れない』のキャッチコピーでコンパクトにわかり易くまとめられ、福岡の読者へのインパクトは大きかったと思いますよ。
■薩摩川内元気娘が太鼓で盛り上げ 薩摩川内元気娘も太鼓演技
平成24年7月までの2年間、薩摩川内市のPR役、セールスレディとして、「薩摩川内親善大使」(小島みなみさん、堂前康子さん)と「薩摩川内元気娘」(浦田麻衣さん、土橋智美さん)の4名が任命されていますが、今回のまるごとフェアin福岡では、早速、薩摩川内元気娘が登場し、元気でにぎやかな太鼓演技を披露しイベントを盛り上げていました。
■薩摩川内市まるごとフェアin福岡の主な内容 
①観光キャンペーン
    ☆薩摩川内元気娘が薩摩川内の観光スポットを案内。
②実演・試食会
    ☆あおさラーメン、きびなごバーガー、甑島せんべい等
③特産品展示
  ☆こしき海洋深層水、海の幸(海産物)、焼酎梅酒、塩かるかん、
    郷土菓子「たまごむっかん」をリニューアルした新郷土菓子
        【mucca】のデビュー販売等
【mucca】は、七福神の育さんの母が、春と秋の彼岸に作って食べさせてくれた「むっかん」の味と香り残っていまるごとフェア会場風景 てとても懐かしい味でおいしかったです。
「つけあげ」と「きびなご」は薩摩料理の専売特許で、こればかりはよそのものは食べられません。やっぱり最高です。
焼酎と言えば、小さい頃から川内では山元酒造さんの「五代」が定番。焼酎ブームに乗ってその山元酒造さんも、最近では「黒五代」「蔵の神」「にごり梅酒」とうまい焼酎の品ぞろえが進み、福岡の焼酎好きにもたまらないようです。会場には山本社長のお顔も見え、トップセールスに躍起でした。
七福神の育さんが期待した【しんこだんご】が見当たらなかったのは残念!!
【しんこだんご】はみたらし団子の醤油味版とでもいいましょうか、とにかく、こんがり醤油味で焼いた米粉の串団子が美味しいんです。川内に帰った時は、いつも駅の売店で1本買って食べると故郷に帰ってきた実感がわくんです。次回の薩摩川内フェアでは、【しんこだんご】の実演販売も企画してください。人気間違いなしですから・・・。  
■薩摩川内市の概要
(平成22年10月1日現在)
【総面積】683.5平方キロメートル
【総人口】100,911人
【世帯数】
45,679世帯
【薩摩川内スピリッツ】
このまちから生れる「モノ」や「コト」は、薩摩川内人の心が基となっており
、「おもてなしの心」「こだわりの心」「思いやりの心」を反映することにより、地域資源はさらに豊かになり、「行きたい・買いたい・暮らしたい」という周囲の気持ちを高めていくという薩摩川内人の「精神」「魂」「活気」「元気」を表現した心を指します。
【九州のエネルギー供給基地】
環境保全を図りながら、原子力発電所と火力発電所で九州のエネルギー
を生み出している。
【食糧供給の一大拠点】
川内川の清らかな水と綺麗な空気に恵まれて、農業・漁業・畜産業が盛んで、高い食糧供給量を誇っている
甑島(鹿島断崖) 【甑島】
ここはまさに自然の宝庫。自然のきらめきに包まれる島。川内川河口から西方、東シナ海上26キロのところに位置する。上甑島、中甑島、下甑島の3島が連なり、海はきれいで魚は上手い。自然が作り上げた造形美は神秘的で訪れた人を心行くまで魅了します。映画「釣りバカ日誌9」のロケーションにもなるほどで、釣りキチにはたまらない魅力の島。 
【薩摩川内の誇る偉人】
日本の近代化学工業の発展を支えた豪商・実業家「上野喜左衛門」や大正・昭和の文壇・画壇で活躍した有島3兄弟「有島武郎」「里見」「有島生馬」の出身地でもある。

■福岡(博多)から薩摩川内まで新幹線で一直線
九州新幹線 2011年3月12日鹿児島から青森まで新幹線でつながります。博多や大阪から乗り換えなしで結ばれ、薩摩川内市へのアクセスの利便性が格段に向上します。

 
●博多~川内    約1時間10分 
 ●鹿児島~川内    わずか10分 
 ●新大阪~川内  約3時間40分 
 ●広島~川内    約2時間10分

ぜひ一度、薩摩川内市に  
           "おじゃったもんせ" (いらっしゃってください)

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■薩摩川内市シティセールスサポーター募集

七福神の育さんが生れた薩摩川内市が、福岡県外に住む薩摩川内出身者に故郷をPRしてもらい地域を活性化させようと『薩摩川内市シティセールスサポーター』制度をこの夏スタートさせました。
七福神の育さんも早速サポーターに登録してもらいました。今回は、その仕組みについてお話します。


 薩摩川内市の魅力をPRしませんか?
  ~シティセールスサポーター
の活動内容~

『薩摩川内市シティセールスサポーター』は、故郷「薩摩川内」の美しい自然と歴史を愛する人たちが、いつでも、どこでも、出来ることを、出来る範囲で活動するボランティア活動で、ノルマはありません。
その主な役割は次の6つです。
 ●対外的に薩摩川内市の魅力や出来事をPRする
 ●市の
特産品の購入や旅行、移住を希望する人を紹介する
 ●市の魅力や出来事をブログや新聞、雑誌等で情報発信する
 ●市の地域振興趣旨に合った商品・イベントを情報配信する
 ●市外居住の「シティセールスサポーター候補者」を紹介する
 ●自身の情報発信の状況を市シティセールス推進課へ報告する


 ■シティセールスサポーターに登録しませんか?
 ~薩摩川内市に関係のある方ならどなたでもOK~

応募資格は?】
 ●本市出身の方  ●本市にゆかりのある方
 ●本市に興味のある方…ならどなたでも登録できます!!
報酬は?】
 ●ボランティアなので、報酬等はありません。
【情報発信はどんな方法で?】 
  ●口コミで  ●個人のログ・ホームページで
 ●メディア出演時に一言そえて

【任期は?】

   ●登録承認日から平成24年3月31日まで



■お申込み方法は簡単、特典もありま~す!!
 薩摩川内市のホームページに掲載の登録申請用紙で
   HPはこちら⇒ 
http://www.city.satsumasendai.lg.jp/
 ●薩摩川内市役所に設置の登録申請用紙で
 ※メール・ファックスでシティセールス推進課送付してください。
 ●
cs@city.satsumasendai.lg.jp へ下記事項を記入してメールて゜
   【氏名※】【ふりがな※】【郵便番号・住所※】【性別】【生年月日】
   【電話番号】【FAX番号】【PCメールアドレス】
   【携帯電話メールアドレス】【メールマガジンの登録の可否】
 ●【特典例】希望者には薩摩川内市の定期刊行物が送られてきます。


■秋から活動が本格化・・・お問い合わせ先
先週の日曜日、霞が関の経済産業省に勤める甥の結婚披露パーティに出席したら、偶然にも、薩摩川内市の観光交流部 シティセールス推進課の古川課長も出席されておりました。
七福神の育さんが「薩摩川内市シティセールスサポーター】に登録したことをのお話すると、「意を得たり」とばかりに地域活性化への市の取り込みを熱っぽく語られました。「いよいよ、この秋から本格的に活動していきたい」とのことでしたので、このプログをご覧になった方も、口こみでPRして頂ければ嬉しいですね。
 ●お問い合わせ先
   
観光交流部 シティセールス推進課 PR推進グループ
   電話 0996-23-5111   ファックス 0996-20-5570

■七福神の育さんのシティーセールスサポーター活動例
七福神の育さんは、こんなことして、故郷をPRしています。
(1)鹿児島・山口・福岡応援団【地域交流飛翔会】のマイプログでPR
今年の2月に開設したプログの主旨が、たまたまこの夏からスタートした薩摩川内市シティセールスサポーターの主旨と合致しており、鹿児島県内を含めて薩摩川内市をPRしています。
(2)福岡可愛山同窓会会員へのPR
毎年7月、川内高校同窓会の福岡支部の総会と懇親会が開催され、70名前後の参加がありますが、川内市の刊行物やパンフレットを市から取り寄せて配布しています。また、会員へのお土産には鹿児島や川内の特産品を取り寄せて差し上げています。今年は、浜漬物店の「みやんじょ漬け」、南海堂の「げたんは」し上げ喜ばれました。去年は、山元酒造の「さつま五代」と新原味噌醤油工場の「せんだいみそ」でした。
(3)MBCラジオ生番組、「えっちゃんのたんぽぽ倶楽部」でPR
9/16 10:40から、同番組の【海童が行く】の「わが心の歌」コーナーで電話取材をうけ、シティセールスサポーターのことも一言PRさせていただきましたよ。
(4)盆と正月を含め年4~5回帰省し、故郷の情報を収集
毎年、4~5回は帰省し、同級生や親戚にあったり、史跡や名所、元
気のある企業を訪問してプログのネタ作りをしています。自分で直接見聞きした最新のほんものの情報を提供するのが七福神の育さんのモットーですからね。



■七福神の育さん思い出の場所
●新田神社と可愛山稜新田神社 
新田神社はニギノミコトを主祭神とし、アマテラスオオミカミとアメノオシホミミノミコトを祀った旧薩摩藩を代表する神社です。725年建立と伝えられ、薩摩国一の宮として古くから薩摩の々に信仰されています。重要文化財として、国指定(銅鏡3面、古文書)、県指定(本殿等建物)、市指定(大くす、降来橋と擬宝珠)のほか、貴重な文化財が数多く保管されています。
可愛山稜 神亀山(高さ70m)の山頂に位置する新田神社に隣接する可愛山陵は、神代三山陵の一つにあげられ、明治7年、 ニニギノミコトの墳墓と指定され宮内庁直轄で管理され、天皇・皇后さまほか皇族の方々の参拝もありました。
帰省したらいつもお参りしています。

藺牟田池(いむたいけ)いむた池 
湖面には,国の天然記念物に指定されている「泥炭形成植物群落」が浮島を形成し、じゅんさいなどが漂い、国内希少野生動植物種である「ベッコウトンボ」の生息地としても知られています。
美しく貴重な資源が認められ、2005年に、広く生態系の保全のための重要な湿地を保全する「ラムサール条約」にも登録されました。
小学校の遠足で初めて訪れ、浮島で遊んだのが昨日のようです。

西方海岸の夕日西方海岸と人形岩   
江戸時代の歴史家「頼山陽」も絶賛したという西方海岸の景色。肥薩おれんじ鉄道の車窓から眺める人
形岩の向
こうに沈みゆく夕日はまさに神秘的。
岩と砂浜が織りなす風景もすばらしい!!。小学校の頃、海水浴の帰りに、父と一緒に見た夕日が今も焼きついています。今年は父の50回忌、母の17回忌でした。

画像の一部は、鹿児島県事務所提供のDVDと薩摩川内市観光ガイドHPよりコピーしました。
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■鹿児島に流れる「黒の文化」

鹿児島には「黒」の文化がある。
畜産では「黒豚」「黒牛(黒毛和牛)」、加工食品では「黒酢」「黒麹(焼酎)」、農産物では「黒糖(黒砂糖)」、「黒まめ」「黒ごま」、伝統工芸では「黒薩摩焼」「黒ジョカ」「黒薩摩切子」、さらには、肥沃な火山灰土壌の桜島「黒土」、太平洋を鹿児島から関東への奔流する暖流も「黒潮」…。どれも鹿児島を代表する一級ブランドなのだ。
先日、鹿児島県福岡事務所のK所長から、この7月、鹿児島県は「黒さつま鶏」を開発したとのニュースを聞きしました。仕事とはいえ、鹿児島県の企業誘致、特産品や観光PRに奔走されているK所長の熱意には感心させられます。
そこで今日は、鹿児島に根付く『黒の文化』についてお話します。


■新しい黒ブランド「黒さつま鶏」開発
鹿児島県農業開発総合センターが、在来種の『薩摩鶏」と「横斑プリマスロック」を交配して開発したのが「黒さつま鶏」。羽の色はメスは黒、オスは白と黒(鹿児島ではゴイシと呼ぶ)。肉質は脂肪ののりがよく、うまみ成分のアミノ酸が多く含まれているという。すでに商標登録申請中で、黒豚・黒牛に続く県産ブランドとして期待されている。
来年夏から本格出荷を開始し、2014年には年間20万羽の出荷を計画。鹿児島県では、従来の「さつま若しゃも」と「さつま地鶏」の2品種と合わせて、地鶏で年間出荷量50万羽を目指している。


■黒のイメージと鹿児島県人の気質
黒は何色にも染まらない『中立」を意味し、配色として黒が加わると力強さがでて、周りの色を引き立ててくれる。黒のイメージは、「格式が高い」「重厚」「たくましい」「頼りになる」だとか。囲碁では先手が黒で始まる。
七福神の育さんは小さい頃から、「義を言うな」「泣こかい、飛ぼかい、泣こよかひっ飛べ」と事あるごとに教えられてきた。「鹿児島県人は「理屈(議論)より行動」「考え悩むよりまず行動」を重んずる。だから、鹿児島の先人たちは、世界の中の日本をいち早く見つめ、他藩に先駆けて西洋文化を採りいれ、理論を好む長州人を動かし、明治維新を成し遂げている。この「積極進取のバイタリティと気概」こそが鹿児島県人の県民性で、それは黒のイメージと重なり、黒の文化の発展と無関係ではないような気がします。


只今編集中!乞うご期待。

テーマ : 鹿児島県
ジャンル : 地域情報

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プロフィール

七福神の育さん

Author:七福神の育さん
■本名:新留 育郎
■薩摩川内市出身1946年生
■座右の銘
「敬天愛人」「士魂商才」 
■趣味とスポーツ
「柔道」「家庭菜園」
「絵画鑑賞と史跡散策」 
■愛読書
「野菊の墓」
「翔ぶが如く」
「金子みすず童謡詩集」
■愛唱歌
「北辰斜めにさすところ」
(旧制第七高等学校寮歌)
「吉田松陰」「薩摩の人」
「白い花の咲く頃」
「愛傷歌」「北の旅人」
■好きな俳優/アナウンサー
吉永小百合、有働由美子
小西真由美(川内出身)
■交流会/地域貢献活動
鹿児島県
 企業誘致サポーター
薩摩川内市 
 CSサポーター
新宮町男女共同参画
 審議会副会長
福岡さつま川内会会長
福岡可愛山同窓会代表顧問
川内高校可愛山同窓会会員
川内高校ひっとぼ会世話人
川内南中学校同窓会会員
山口大学獅子の会世話人  
山口大学鳳陽会会員
山口大学柔道部OB会会員
西銀EDOS会会長
西銀志免会会長
西銀福間会会長
西銀会会員
福岡薩摩五代会会員
七福神+ONEの会世話人
■職歴
大手銀行支店長/本部部長
東証二部上場会社役員
地元放送局関連会社役員
総合広告代理店役員
■現職
HOSJAS企画(同)CEO
地場中小企業顧問/監査役
■資格認定
九州観光マスター1級
旅行業務取扱管理者
個人情報保護士
宅地建物取引主任者

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