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■その一言が人を育てる

その一言が人を育てる
七福神の育さんが、大学卒業後32年間勤めた銀行員時代は、まさに、「よき上司」に恵まれ、「その一言」で育てられた充実の日々でした。その我が師に感謝の意をこめて、32年間の体験談を振り返ってみました。
(2014/11/1掲載)


■市川頭取(当時広島支店長)との出会い
昭和44年4月1日、七福神の育さんは、当時の相互銀行業界トップ企業「西日本相互銀行」入社。3ヶ月間の社内研修を経て、7月1日に広島市にある横川支店に配属。
その時、七福神の育さんは、横川支店に赴任する前に、これまで育ててくれた母と兄に報告しようと、一端、福岡から列車に乗って郷里の鹿児島県の川内駅に着いたのですが、あいにく早朝からの豪雨で川内川が突然氾濫。川内駅の周辺は周りはみるみるうちに浸水し、交通機関は完全ストップ。結局、4キロ離れた実家に帰り着くことができずUターンする羽目に。
濁流渦巻く川内川に架かる鉄橋をおそるおそる歩いて渡り、それから腰まで泥水に浸かり国道3号線に出て、通りがかりの長距離トラックで八代駅へ。そこから列車を乗り継ぎ広島駅に着いたのは630日深夜。広島駅構内で仮眠し、朝7時に広島支店の通用口で待つ。
黒塗りの車が一番乗りで現れ支店長と思しき人が下りてくる。「どうしたんかね、その格好は。中に入りなさい」。これまでのいきさつをお話をすると、感動したように身を乗り出して握手を求められ、「おおそうか!頑張れよ」。それが市川頭取(当時広島支店長)との出会い。それから9ヶ月間、横川支店で預金、貸付係とし銀行業務の基本を学んだものの、こんなはずじゃなかった・・・と悪戦苦闘、意気消沈の毎日。
■「どうだ、私に任せてくれるかね!!」
        「常に、正々堂々、明るく颯爽と」
翌年3月のある朝、広島支店の市川支店長に呼び出され、「君は会社を辞めてアメリカに行くそうだが。本当はどうなんだ」と見透かしたように私の目を覗き込む。その凄い眼光にたじろぎ黙っていると、「横川支店のことは私も気になっていた。どうだ私に任せてくれるかね」。温かな眼差しに「お願いします」。
それから数日後
、「君の男気と情熱、責任感の強さに感心していた。君をしっかり育ててくれる所に預ける事になった」「嘘はいかんぞ。常に、正々堂々、明るく颯爽と!!」と市川支店長が諭す。意気に感じ、「この恩返し、いつかきっと…」と心に固く誓う。

■草野監査役(当時、電子計算センター主任)との出会い
入社1年後の昭和45年4月1日、福岡のJR博多駅前にそびえ立つ本店の電子計算センターに転勤し、コンピュータンピューターの世界に。当時、社会は高度成長の前段階にあり、時代の波に遅れまいと、各銀行は大衆化路線を進め、そこで発生する大量の事務作業をスピーディーに処理するために、大型コンピューターを導入し、事務処理システムの開発を競っていた。西日本相互銀行でも昭和44年に電子計算センターが発足、そこは、男女200名の若い精鋭たちが集められた、まさに最先端をいく花形部署。


■「君は、何を目指していくのかね?」
電子計算センターに転勤した七福神の育さんは、1年かけて、各支店から集まるデータの受付チェックの仕事などセンター各部署の事務処理を勉強した後、コンピューターの運用を担当するオペレーター部門に配属。その初日、部門長の草野主任(後の西日本銀行監査役)、「君はスペシャリストを目指すか?ゼネラリストをめざすか?」と問われ、即座に「ゼネラリスト」と返答。
■コンピューターの知識は最大の武器
それから2年間、2交代勤務(当時は、9時から24時までコ15時間コンピュータをフル稼働させ大量のデータをオフラインで処理していた)で、大型コンピューターを相手により効率の良いシステム運用に全力投球。27歳の時には、約40名からなるコンピュータ運用部門のトップを草野主任の後を継いで拝命(他の部署は銀行経験の豊富な課長や課長代理が部門のトップだったが、コンピュータ運用部門だけは、20代の若い人ばかりの集まりだったせいか主任職がトップ)。
その頃から銀行のコンピューター処理はオフラインシステムからオンラインシステムの時代にと・・・巡るましく進化。七福神の育さんは、
電子計算センターでの10年間で、オペレーション、プログラミング、システム企画とコンピューターの一通りを学び、ここで培った知識と体験がその後の仕事をしていく上で最大の強みになった。IT社会を生き抜く為には、コンピュータの知識は最大の武器。
■商いの原点は心。
     心さえあれば、どこでもやっていける
31歳になると、銀行の仕事の傍ら、職員組職員組合に5年間出向。オルグや役席協議で現場の実態を知り労務管理手法を体得、他銀行組合幹部との交流で人との交わりの大切さを知る。

職員組合退任時、迷わず営業店を希望。人事部長からは「支店経験がないのに大丈夫か?」と心配もされたが、「商いの原点は心。人との付合いは十分勉強したし仕事は3ヶ月もあれば覚えます」と八女支店へ。


■仕事には厳しく、認めたら全てを任せる
O支店長から伝票整理とスーパー・パチンコ店の集金を命じられ2ヶ月間、取引先の動きをウォッチ。10月から得意先係として営業実践。11月より得意先課長の仕事を任されたものの121日、「貴方には荷が重すぎた。今日からは若手得意先係2人だけを見なさい」と仕事を剥奪される始末。
何くそと
3人でボーナス線を戦い目標達成。14日支店長に、「今日から次長兼得意先課長として全て貴方に任せる。私が預金と融資が集まる仕掛けを作るから貴方は切込み隊長で思う存分やってくれ」。官公庁や地場企業の開拓もでき連続して最優秀店となり16ヶ月後39歳で志免支店長を拝命。

■心のふれあいで、地域と共に成長
志免支店では初代K支店長が個人基盤にがっちり浸透されていたので、法人取引基盤の拡大を主要方針に、工業団地進出企業と地場企業の共存共栄を図るべく「飛翔会」を18社で設立。毎月一回、公民館に集合、ランチしながら各社長が事業展開や悩み・助言等を語る会とした。
ゴルフは年
2回、忘年会は夫婦同伴、社員参加歓迎とし会社家族ぐるみの交流会に発展。この飛翔会で地域活性化の種々の企画が生まれ、ニッキンの「地域社会貢献賞」を受賞。「一味違った異業種交流会(会員企業の工場見学や社員勉強会、会員企業主催の町内ゲートボール大会等)を開催。店内にコミュニティ-文庫、雨傘ステーション、心の広場を設け、ふれあいの場を広げる。
毎月
1回の感謝デーは地元産の大根やトウモロコシなど季節野菜を提供」が受賞理由。
多彩な地域活動が開花し自然と預金も融資も倍増、連続優秀店となり、行員13名中4名が一度に昇格するなど他店から恨まれもした。表彰式での市川頭取の嬉しそうな眼差しが更なる意欲を掻き立てた。


■新藤頭取との出会い
    適応力があれば、どこでもやっていける

以来、営業現場で4年間、支店長、ブロック長として支店経営に邁進。営業本部では7年間、営業推進、営業企画を担当し銀行全体の営業方針・営業戦略策定とその推進に携わり、53歳の時に食品メーカー(東証上場)に出向。その時、「君には適応力がある。君ならできる」と全く未知の食品メーカーに送り出した新藤頭取の一言も今の私の支えになっている。
【鹿児島山口福岡応援団】 http://mai196.blog65.fc2.com/

■わが心の応援歌  「北辰斜めにさすところ」

 わが心の応援歌「北辰斜めにさすところ」

 『ほくしんななめにさすところ~♪』私が学んだ隈之城小学校・川内南中学校・川内高校の運動会でいつも歌っていた懐かしい思い出の応援歌。若き日の熱い思いをたぎらせ、夢を膨らませてくれたわが心の応援歌です。

この歌は、作詞・簗田勝三郎、作曲・須川政太郎による、旧制第七高等学校造士館(現・鹿児島大学) 第十四回記念祭歌で、遠く七高の時代からめんめんと歌い継がれ、神山征二郎 監督、三國連太郎、緒形直人、林隆三ほか出演の『北辰斜にさすところ』で映画化もされました。

私が山口大学の鳳陽寮にいた時、福岡県瀬高出身の田中憲二君がこのメロディーを口ずさんでいるのを偶然耳にし、その歌どこで覚えた?と尋ねると、母校(明善高校)の応援歌ですと答えたのにびっくり。最近わかったことですが、こののメロディーは、福岡県立筑紫丘高等学校や愛媛県立宇和島高等学校など全国各地の学校で採曲され、応援歌として幅広く愛され歌い継がれてきたようです。(田中君、今頃どうしているかな?)

人生を奮い立たせる気勢のいい男らしい歌ですが、スナックの片隅で焼酎のお湯割り飲みながらひとり静かに聞くメロディーは、しみじみと情緒があり、郷愁を誘います。
この歌の《巻頭言》に、『歌は悲しき時の母ともなり嬉しき時の友ともなれば』とありますが、まさに、『北辰斜めにさすところ』は、これまで、そしてこれからも、私を支え、老いてなお夢を与えてくれる心の応援歌です。

歌ってホントにいいですね。「いつも心に太陽を、唇に歌を持って」ですね。お互い、明るく颯爽と前向いて歩きましょう!!

【歌詞紹介】

『北辰斜めにさすところ』 

錦江湾・桜島を望む 一、北辰斜にさすところ                      

   大瀛(たいえい)の水 洋々乎

   春花かをる 神州の

   正気はこもる 白鶴城

   芳英(ほうえい)永久に 朽ちせねば

   歴史もふりぬ 四百年

 

二、紫さむる 黎明の                 三、悲歌に耳かす 人もなく

   静けき波に 星数え                  沈み濁れる 末の世の

   荒涼の気に 咽ぶとき                さんらんの夢 よそにして

   微吟消え行く 薩摩潟                疾風迅雨に 色さびし

   不屈の色も おごそかに              古城の風に うそぶける

   東火をはく 桜島                      健児七百 意気高し

     

四、南の翼 この郷に              五、ああ若き日の 光栄は

   三年とどまる 鵬(ほう)の影          今年十四の 記念祭

   行路は万里 雲湧きて                  祝うもうれし 向上の

   雄図もゆる 天つ日や                   旅の衣に ちりかかる

   かどでの昔 叫びにし                  樟の下露 清けらく

   理想の空に 長駆せん                  けふ南明の 秋にして

 

【解説】「北辰斜にさすところ」 とは、鹿児島が、北辰(北極星)を低く斜めに見る南の地であることの意味。1番で鹿児島の風土を詠い、2番で洋々とした静の錦江湾と熱き思いの動の桜島を讃え、3番~4番で理想への挑戦を鼓舞し、5番で14回記念祭を祝っています。 

(鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎)

 

 

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■文学に目覚めた「野菊の墓」前篇

野菊の墓の表紙 64年の人生を振り返ってみると、人生の岐路とも言えるような出会いが幾度かありました。一冊の本との出会い、いろいろな人との出会い、ショックな出来事…etc。その出会いによって、ものの考え方、人としての生き方を学び、進むべき道を見い出すことができたような気がします。
これまで、大過なく、身心ともに健康で、充実した日々を過ごし、今なお若い人達と一緒に、仕事やボランティア活動ができるのもそれらの出会いのお陰だといつも感謝しています。
このプログでも、折々に、七福神の育さんの忘れられない出会いのひとコマもお話ししていきたいと思います。
先ずは、好奇心旺盛な夢多き高校時代、文学というものに目覚めさせてくれた伊藤左千夫の小説【野菊の墓】との出会いから始めましょう。
(2012年3月 執筆)
■高校に入って、スランプに陥って…。
高校1年の初夏のこと。七福神の育さんは、その年の春、県立川内高校に合格したものの、入学後は、それまでの気合いがいっぺんに抜けて目標を失い思い悩む日々を過ごし、勉強も手に付かず試験の成績はどんどん落ち込んでいきました。その前の年の秋に父を亡くし、経済的にも精神的にも大きな支柱支えを失ったことで、不安と寂しさもあったのでしょう。 
父はその死ぬ時まで、川内南中学校と永利中学校が統合されて新しく誕生した川内南中学校の初代PTA会長でした。その前は旧・川内南中学校のPTA会長や永利中学校の校長を長くしていたこともあり、先生や父兄のよき理解者として誰からも一応の信頼を得ていたようです。
そんな訳で、七福神の育さんは小中学時代、「校長先生の息子さん」とちやほやされ、周りからも期待されて育ちました。七福神の育さんも"いい子"になろうと真面目に勉強もしましたし、先生方もよく目にかけて教えて下さいました。近所のO先生のお家に夜に押しかけて、遅くまで個人レッスンを受けたものです。そんな甲斐あって、中学時代はいつもトップクラスの成績で、同級生からも一目置かれ、三年の時には生徒会長にも選ばれもしました。
七福神の育さんは、高校では入学試験の成績で上位の生徒ばかりが集められた選抜教室に編入され、入学直後の五科目テスト(国語・数学・社会・理科・英語)では全校生約400名中3番の成績でした。しかし、そのクラスは互いにライバル心ばかりが旺盛で、気を許せる友も出来ず、先生方も特別に気にかけてくれる訳でもなし。それまでおらが大将で甘い環境に育てられてきた七福神の育さんはだんだんとスランプに陥っていきました。成績も急ダウンし、6月の中間テストでは、150番にまで落ちていました。
 
■その夏、 中学時代の恩師K先生に会いに…。
 「このままではいけない。どうすればいいんだろう…」との思いがそうさせたのでしょう。初夏のある日、七福神の育さんは、その年の春に転勤されていった中学時代のK先生に手紙を書きました。
K先生は国語の先生。七福神の育さんは授業で直接教わったわけでもなく、担任の先生でもなかったのですが、「いろいろと生徒の相談に乗ってくれる優しい先生」として人気のあるマドンナ先生でした。K先生からはすぐに、「夏休みに遊びにいらっしゃい」と嬉しい返事がきました。
夏休みに入ってすぐの日、JR鹿児島本線の隈之城駅から汽車に乗りました。当時は、黙々と黒い煙をはきながら石炭で力強く走る蒸気機関車。西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)からJR日豊本線に乗り換えて、錦江湾沿いに噴煙を上げる桜島の雄大な景色を眺めながらしばらく走ると、汽車は姶良郡の隼人駅に着きました。ホームには、日傘をさしたK 先生の懐かしい(半年ぶりでしたがホントに懐かしいと感じたのです)笑顔がありました。「いらっしゃい。よく来たね」。K先生の眼鏡の奥の優しい眼差しで迎えて下さいました。何かホッとした気分になったのを覚えています。

■鹿児島神宮で一緒に祈願してくれた恩師 …
霧島神宮境内 K先生のご自宅にはご両親と小学校の教師の妹さん、中学生の弟さんがいらっしゃって、一緒にごくありきたりのお話をしながら、お昼御飯をご馳走になりました。食事が終わると、K先生は妹さんと二人で近くの鹿児島神宮に案内してくださいました。「ここは神話にでてくる山幸彦ゆかりの神社で、神代の皇居跡もあるんですよ。薩摩隼人族の先祖は山幸彦の兄さんの海幸彦尊だから、ここの神社は薩摩隼人族の守り神なんです。神代の昔から崇められてきた由緒ある神社だから、ごりやくがいっぱいあるそうですよ。先生も一緒にお祈りしてあげるから…しっかりお願いをしたらいいよ・・・。」 と言って、一緒に並んで、鈴を鳴らしてお参りをして下さいました。嬉しかったですね。自分のためにお参りしてくださる先生がいて…。
手紙で悩みの一部を打ち明けていたのですが、K先生はその事には触れずに、お参りの後、「育郎君もいろいろとあろうけど、悩むってことはそれだけ成長してるってこと。誰しもそうやって大人になっていくんだから…。喜怒哀楽は人生にはつきもの。だから人生は面白いんよ。大いに悩み、苦しみ、考えることね。誰も助けてはくれないんだから。自分で考えて解決していくしかないのよ。頑張りなさい…!」と一言。K先生のその言葉に、「そうなんだ。ようし、頑張ろう…!」と道が開けたような気がして少し元気が湧いてきたのを覚えています。

霧島神宮初午祭 ■恩師からプレゼントされた一冊の本『野菊の墓』
鹿児島神宮の境内をしばらく散策していると、K先生は、「今、どんな本を読んでいるの」と突然尋ねられました。それまでこれといった小説など読んだこともなかった七福神の育さんが返事に困っていると、「そう、あまり読んでいないのね。だから育郎君は考え方がまだ子供っぽいところがあるんだ。これからはどんな本でもいいから本を読まなくちゃだめよ。」
「本を読めば、知識を得られるし、それまで知らなかった未知の世界を知り訪れることもできる。そこには新しい発見が必ずあるはずよ。」「小説を通していろんな体験ができ、随筆や哲学、専門書からはものの見方・考え方が学べるよ。だから本をたくさん読むことが大事。その為には、まず本を好きになることね。」 と諭して下さいました。
帰り際、K先生は「これを読みなさい」と一冊の単行本を差し出されました。それが伊藤左千夫の『野菊の墓』。帰りの汽車の中で、どんな本かとおもむろに本を開き読くと、『政夫と民子の幼い悲恋の物語』との文字が目に入り、なんだか面白そう。思春期の育さんは好奇心に駆られ読み始めました。読んでいくにつれ、先がどうなるのかとわくわくしてきて胸の鼓動が高まり、車窓の景色には目もくれずページをめくりました。汽車が隈之城駅に着くとそのまま家には帰らず駅のベンチに座って読み続けました。

■『野菊の墓』にとめどもなく流した涙 
多くの読者の共感と涙を誘った伊藤左千夫の主観的で感傷的な私小説【野菊の墓】。
あらすじは、『江戸川の矢切りの渡し付近の静かな田園を舞台に、十五の政夫と二つ年上の従姉民子との間に芽生えた幼い清純な恋が、世間体を気にする大人たちのために引き裂かれ、政夫は町の中学に行かされ、民子は心ならずも他に嫁がされてついには心労が重なり病死してしまう』というはかなくも悲しい恋の物語でした。あまりにも純真、可憐な恋物語に七福神の育さんはとめどもなく涙を流していました。生れてはじめての経験で、その夜はいつまでも興奮冷めやらず、寝床の中で繰り返し繰り返し読みながら涙の夜を明かしたのでした。
この物語は、木下恵介監督の「野菊の如き君なりき」で映画がされ、松田聖子さんや山口百恵さん主演のDVDでも人気の物語です。

後編へ続く http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-32.html


画像は、鹿児島霧島市のHPより掲載させていただきました。
 (鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎) 

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■文学に目覚めた「野菊の墓」後編

前篇より続く http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-31.html

■本が好きになって文学少年に…。
それからというもの、七福神の育さんは本のとりこになりました。最初は初恋、青春ものの手頃な中編小説からスタート。川端康成の【伊豆の踊子】【古都】、三島由紀夫の【潮騒】、石坂洋二郎の【青い山脈】【若い人】 、シェークスピアの【ロミオとジュリエット】、ゲーテの【若きウェルテルの悩み】、アンドレジッドの【狭き門】など純真、可憐な恋物語が七福神の育さんの好奇心をかき立て胸をときめかせてくれました。折しもその頃は、青春映画の全盛期で、アイドルスターの吉永小百合と浜田光男のコンビでこれらの青春小説がつぎつぎに映画化されており、封切の度に胸をわくわくさせながら映画館に足を運んだものです。
中でも、石原裕次郎と浅丘るり子、吉永小百合の豪華キャストで映画化された【若い人】のすかっとした面白さに魅入られて、石坂洋二郎の小説を次々に読みあさりました。その頃から、長編小説もあまり苦にならず、気長に読むこともできるようになり、本が好きになったような気がします。

 ■日本文学から世界文学へ、片っ端から読破…
読書の醍醐味を知った七福神の育さんは、初恋・青春小説に飽き足らず、次第に日本文学へと目を向けるようになりました。その頃の七福神の育さんの読書は作家毎に集中的に読破していく方法でした。石坂洋二郎を読破した後は、川端康成、三島由紀夫、武者小路実篤、谷崎潤一郎の現代文学を片っ端から読破し、次は島崎藤村、石川啄木、国木田独歩、中原中也、佐藤春雄などの詩歌の世界へ、そして、樋口一葉、夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、郷里川内の作家有島武郎の近代文学の世界にのめり込んでいきました。

■国語の成績がアップし、大学志望に変化が…
七福神の育さんは昔から数学が得意で国語は苦手でしたが、この頃になると、次第に国語の試験の成績が上がってきて、現代国語や古典、漢文の授業もだんだん待ち遠しくなってきていました。
そして、大学に行くなら理数系と思っていた七福神の育さんは、大学受験の頃になると理数系と文科系のどちらでもいいようになっていました。中間・期末考査(学科試験)の成績も入学した頃のレベルにアップし、苦手だった国語や歴史も好きになっていましたから…。
だから大学受験は、一期校は糸川教授のペンシルロケットに魅入られて九州大学の工学部電子工学科を受検し、一転、二期校は明治維新に感化されて【薩摩に生れ長州に学ぶ】を胸に山口大学の経済学部を受検したのでした。(当時は国立大学は2校しか受検できず、一期校と二期校に試験日が分れていました)
九州大学は肝心の「物理の」試験が全く解けずに見事に不合格となりましたが、山口大学は文科系の人が苦手な「数学」と「化学」の試験がほぼ完全に解けまぁ楽に合格。浪人を考える事もなく迷わず山口大学入学したのでした。
大学を卒業して銀行に入社した七福神の育さんは、コンピュータセンター、労働組合専従、営業店、本部(営業企画・営業推進)といろいろな部署を渡り歩き、銀行を定年退職した後は、食品メーカー、放送局、広告代理店と銀行の仕事とはあまり関係のない職につきましたが、どんな仕事・どんな環境でも苦にすることはありませんでした。『何処にいっても、人が相手で商売に変わりはなし。まァ何とかなるさ』の楽天的性格と『与えられた環境に順応できる』適応力(これは七福神の育さんの長所でもあるのですが)はこの頃から形成されたものだと思っています。

■世界文学からあらゆるジャンルの本に…
大学に入ってからは、当時学生に好まれて読んだ大江健三郎、阿部公房、小林多喜二、小林秀雄を少しかじりましたがちょっと難しくて、世界文学の方に惹かれていきました。ゲーテに始まり、ハイネ、シェークスピア、ドフトエフスキー、トルストイ、チェーホフ、ヘルマンヘッセを経て、ニーチェの哲学書、フロイトの精神分析論まで幅広いジャンルに手を伸ばし、文学史に出てくるような有名本は大学を卒業する頃には殆ど読んでしまいました。
社会人になってからは、吉川英治、司馬遼太郎、海音寺潮五郎等の歴史文学に親しむようになり、五木寛之、松本清張にはまりました。最近、『もしも高校野球の女子マネージャーだったら 』という本がベストセラーになっていてこのプログhttp://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-12.html
でも紹介しましたが、その本の原書【マネジメント】の作者ドラッカーの【断絶の時代】【経営の条件】など経済の専門書を読んだのもこのころです。
今一度読み直すと当時難しかった専門書も、30数年間の実体験を経た今ではすらすらと読めて理解できるようになりました。これからは、若い頃に読んだ本をまた読み直してみたいと思っています。


 
■九州財界のドン【瓦林潔 氏】の愛読書も【野菊の墓】
千葉県矢切の文学碑 西日本銀行に入社して二年目の夏、七福神の育さんは九州のトップ企業【九州電力】の社長で九州経済連合会の会長として九州財界に君臨していた瓦林潔氏の愛読書が【野菊の墓】であることを知りました。そんな偉い人と共鳴するものがあったと知って、「我が意を得たり」と高揚し、嬉しさがこみ上げてきたのを覚えています。 それは七福神の育さんの誇りとなり、大きな自信につながりました。
野菊の墓の舞台「矢切りの渡し」千葉県松戸市 「民子は余儀なく結婚をして遂にこの世を去り、僕は余儀なき結婚をして長らえている。民子は僕の写真と手紙とを胸を離さずに持って居よう。幽明遥けく隔つとも、僕の心は一日も民子の上を去らぬ(明治39年1月)」(「野菊の墓」結びより転記)とのくだりを読み返すたびに幾度となく涙を流したものです。純真無垢で正義感に燃える育さんは、世間体を気にするあまりの大人のエゴ・大罪に怒りを爆発させるのでした。 その後、松戸市に住居を構えた長兄に会いに行く機会があり、そのついでに、【野菊の墓】の舞台となった矢切りの渡しに立ち寄り、政夫と民子の世界に想いを馳せながら、『どんな理由があっても、どんなことがあっても、人の気持ち、人格を踏みにじってはいけない。』と強く心に刻んだのでした。『人の気持ちを大切にし、その人の人格を尊重しなくてはいけない。人を思いやり、人を大切する心』を芽生えさせてくれた本でした。


■読書の大切さを教えて下さった恩師に感謝

野菊の墓の表紙 七福神の育さんに読書の楽しさ教えてくれたのは【野菊の墓】。その一冊の本を薦め、「人が生きていく上で読書することの大切さ」を教えてくださったのはK先生。
「読書は、あなたの知識欲や好奇心を刺激して、人生を楽しく、また、大きな失敗をしないように導いてくれるはずです。」「貴方が道に迷った時、くじけそうになった時、落ち込んだ時…それまで読んだ本の知識がきっと役に立つはずですよ」。

その教えがなければ、本を好きにもなれなかったでしょうし、本をたくさん読んでいなければ、『どんな環境下でも、前向きに考えて切り拓いていく対応力=適応力』は身につかなかったと思っています。『努力すれはなんでもできる。努力はいつかは実り、役に立ち、花開くもの』と七福神の育さんは、自分の体験からそう確信しています。
K先生とは大学時代にお会いしたのを最後にその後の消息はわかりません。その頃は、【野菊の墓】が自分の人生の大きな転機だったとはまだ思ってもいませんでしたから…。
いつかお会いしてお礼を申し上げたい…そう願っています。きっと喜んで下さると思います。K先生、それまで、どうか元気でいらしてください。
前篇は⇒ http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-31.html
画像は千葉県松戸市観光協会のHPより一部掲載しました。
(鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎) 

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■1日1善に挑戦中!『おはよう』/後編

七福神の育さんの住む湊坂団地は、1990年、福岡市のすぐ隣の新宮町に積水ハウスがアメリカのビバリーヒルズを参考に開発した草花の咲き乱れる美しい街。
西に白砂青松の海岸、東に立花山を眺望する小高い丘の上にあり、約610世帯・2100人が住んでいます。各家々の外周や庭には色とりどりの草花や花咲き実のなる樹木が植えられていて、四季折々の楽しさがあります。どの家も門扉やの外塀などはなく、外から花壇や庭を観賞することができ、5月の花の季節にはオープンガーデンもあちこちの家で催されています。
クリスマスの季節にはあちこちの家でイルミネーションが飾られ、道行く人をメルヘンの世界に誘ってくれます。

 団地内の歩道は「四季の道」と名付けられ、住民のボランテイア活動で四季を通じて花が咲き乱れ、訪れる人から「花の公園に来たようだ、別世界に来たようだ」と賞賛され、「福岡県建築住宅文化賞大賞」「全国花のまちづくりコンクール 建設大臣賞」「花のまちづくり国際コンクール2009 友好交流部門 5つ花(最優秀賞)」等に輝き、国内はもとより世界的にも認められています。
この街で、最近、七福神の育さんが嬉しく思っていることがあります。それは、「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」と挨拶する人たちが増えつつあるということ。今日はそのことをお話します。  
 

■「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」で 明るい街づくり  
湊坂のクリスマス  湊坂団地に住んで20年近くになります。当時は30~40代の世代が多く、15歳以下の子供も1000人近くいて、新宮小学校は2学級も増設するほどでした。しかし、今は子供の数は1/3に減少し、高齢化が確実に進行しています。団地ができた頃、七福神の育さんは、仕事の傍ら、自治会長の坂口さんのもとで事務局長として2年間、27人の組長さん達の協力を頂きながら、住みよい湊坂団地の基礎づくりに取り組みました。
『Now in 湊坂』の機関紙を年4回発行し、団地内の行事や出来事を伝えると共に、感動詩集の中から心を打たれた詩を掲載し共感を求めました。「夏まつり」「敬老会」「十五夜に月を観る会」「文化祭」を年中行事に。限られた予算の中から「地域ふれあい費」を各組に配分し、各組でお食事会などコミュニケーションを深める企画を実施してもらうことにしました。これらの行事は、20年たった今も継続して実施されており、コミュニケーションの輪を広げるまたとない機会になっています。
それでも、600世帯もの大所帯ともなると団地内のコミュニケーションはなかなか深められないのが実情で、隣近所でさえも、特別なことがない限り普段は関係が希薄になりがちです。

湊坂団地の風景 そこで、3年前、還暦を迎えた七福神の育さんは、団地内で会う人に自分から声をかけ挨拶をするようにしました。声をかけると見知らぬ方でも照れながらも声をかけて下さいます。二度目三度目となると向こうから声をかけて下さるようになりました。多分あそこの人だろう位でお互いの名前も住まいも分りませんが、それでもこの団地に住んでいる人・縁のある人ということで、身近に感じられるようになりました。
去年の団地の総会で議長を務めさせていただいた折、
議長挨拶の中でそのことをお話したら、一瞬、皆さんの顔がほころび、共感を得たようで、この広がりに手ごたえを感じました。それから一年。「おはようございます」『こんにちは」「こんばんは」と声をかけてくださる人が随分増えました。

3歳半と1歳半になる孫達も、散歩に連れていくと、私が挨拶するのをまねるようになり、「こんにちは」と挨拶を返して下さると、孫たちもニコッと嬉しそうにしています。子は親の背中を見て育つ。教育・しつけにもつながっているんですね。


■子供をじっと見送る母親の光景 ~美しい日本の心~ 
湊坂団地の道路風景 毎朝見かける通勤時の微笑ましい光景。
団地の道沿いの季節の花を楽しみながらJR福工大前駅に向かって歩いていると、右側前方のマンション前の道路わきで手をつないで送迎バスを待っている若い母親と男の子。向こうからバスのトーマス号がやってくる。バスのドアが開き、「おはようございます」と女の先生が下りてきて母親と挨拶をかわしなが二人で子供の手をとり注意深くバスに乗せる。
「お願いします」と母親は先生に丁寧に頭を下げ、後ろに下がる。バスのドアが閉まり、Uターンしてゆっくりと去っていく。男の子が窓越しに手を振り、母親も「いってらっしゃい」とそっと手を振り、バスが見えなくなるjまで見送っている。
バスが見えなくなると母親は反対方向に帰りはじめる。
ちょうどその時、横を通り過ぎようとしている七福神の育さんと目が合う。どちらからともなく「おはようございます」。母親の明るい笑顔につい気分も和む。七福神の育さんは、「いってらっしゃい」と自分も見送られているような気分になり、朝から元気がでわいてくるんです。ありがとう。元気をもらって!この若いお母さんに大きな拍手を送っています。 

まだまだ日本も捨てたものではない。こんなやさしくてしっかりした立派な若いお母さんもいてくれる。こんな愛情いっぱいの母親に育てられた子供達が日本の明日を築いてくれたら…と期待も膨らみます。きっとこの男の子も、大きくなって結婚して子供が幼稚園に通い始めたら、奥さんにそんなこと求めていくのでしょう。「子は親の背中を見て育つ」と言いますから。やっぱり教育なんですよね。共働きで幼児と一緒に出勤しているパパの姿も見かけますが、これも愛情があふれていて、思わず「パパ頑張って」と応援したくなりますよね。
ノーベル文学賞受賞の時、川端康成が語った「美しい日本の心」。大事にしたいですね。

■地域の連帯感と共助の精神は挨拶から

今年も育さんの庭先に咲いカサブランカ 幼児・児童の虐待や殺害事件が新聞をにぎわしている昨今。「5歳の長女を洗濯機に…」「1歳児を木箱に…」おぞましい事件が後を絶ちません。高齢化社会も急激に進んでいます。今ほど、地域と人間力が問われている時はありません。
日本は、昔から隣近所とのかかわりが濃い時代が長く続き、地域単位で助け合っていました。犯罪の芽があれば小さいうちに摘みとり、大事に至らせない役割を地域が果たしていました。七福神の育さんもそんな環境の中で育ってきました。

 福岡県警本部のトップにあった義父は、七福神の育さんが若い頃、よく言っていました。「失敗はするよりしないにこしたことはない。でも、人間、そううまくはいかない。だから、小さい失敗はやってもいいが、取り返しのつかない大きな失敗だけはしたらいけないし、させてはいけない。そのために、家庭があり、地域社会があり、警察がある」
社会には犯罪を抑え込んで外に出さない力があるというんです。その力が「地域の連帯感」「共助の精神」なのでしょう。 
その連帯感と共助の精神は、日常の「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」の出会いの挨拶の中から芽生えてくるような気がします。ちょっとした一言ですが、この一言で、最近、社会で失われつつある人と人との「つながり」、地域の「連帯感」と「共助の精神」が取り戻されていくのではないでしょうか。最近ホントにそう思うようになりました。ちょっとした声かけが、犯罪を未然に防止したり、元気を与えたり…街を明るくしてくれそうな気がします。
だから、七福神の育さんは、団地内で出会う人々には、見知らぬ人でも、自分の方から挨拶しようとこれからも心がけていこうと思います。

湊坂団地の入り口風景 写真の一部は、雑誌「ぐらんざ」「私の部屋ビズ」より掲載しました。

(鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎)

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■1日1善に挑戦中!『道案内』/中篇

出張先で、旅行先で、近くまで来ているはずなのに目的の場所になかなかたどり着けない・・・。約束の時間が迫り、気は焦るばかり・・・・。通りがかりの人をつかまえて道を尋ねるが、教えてもらっても、初めての場所では方角さえもトンチンカンでグルグル同じ所を往ったり来たり・・・。
そんな時、親切な人が現れて、わざわざ近くまで案内してくださる。仏さまに出会ったようで去っていく人の背中に向かって、思わず両手を合わせ、「あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た」。
そんな経験が何度かあって、今では、七福神の育さんも、他人に道を尋ねられたら、知らない場所でも調べて、丁寧に教えてあげることにしています。


■ソウルの街角で ソウル市庁舎
当時、食品メーカーの海外事業担当をしていた七福神の育さんがソウルを訪れ、取引先との商談で飛び回っていた 6年前の頃の話。
その日の仕事が終わってソウル駅で通訳のKさんと分れて、商談の拠点にしていた西日本銀行ソウル支店に向かって一人で歩き始める。目印のロッテホテルの前まではすんなりとにたどり着き、そこから地下道に入る。西日本銀行は広い道路を挟んでロッテホテルの斜め向かい側の大きなビルの一室で、それまで何回か訪れていたのですぐわかると思っていたのだが、これが大間違い。曲がり角を一つ間違えたばかりになかなかそのビルの入口が見つからない。
地下街はどこも似たような風景で、ハングルが読めるわけでもないし、韓国語がしゃべれるわけでもなし。心細くなってとりあえず地上に出るとそこはソウル市庁舎の前。目的のビルがあの辺にあることは分るのだが、地下道を通ってそこまで行きつくのは七福神の育さんには至難の業。
困っているところに20歳前後の学生風の女性が通りかかる。『アガシ…シレジマン』。勇気を出して頭を下げながら声をかける。怪訝そうな顔をしながらも、立ち止まってくれる。『シレジマン、ニシニホンバンク、オディエヨ?」と西日本銀行ソウル支店のN支店長の名刺の住所を指さしながら片言韓国語で尋ねる。その女性はしばらく考えてから、『アァー』と言って、身振り手振りで教えてくれる。でも、七福神の育さんには通じない。
困まりはてた顔の彼女が、「ついて入らっしゃい」とばかりに手招きする。どうやら近くまで案内してくれるらしい。黙って彼女の後についていく。地下街にもぐって7~8分ぐらい歩くいてエレベーターの入り口までいくと『ヨギエヨ』と上を指さし、教えてくれる。「カムサハムニダ」。お礼を言うと彼女は微笑んで『アンニョンヒ ケセヨ』と手を振って去って行った。
韓国の人の親切さが身にしみて、それ以来、韓国に親しみを感じるようになりました。そして思ったことは、
「ハングルが読めるようになろう!」「韓国語で簡単な会話ぐらいはできるようになろう!」。昨年から、ウォークマンで韓国語の勉強を始めています。


■東京六本木ヒルズの前で
テレビ朝日 6月初めのこと。その日はテレビ朝日さんとの初商談で10時のアポ。30分前には着けるように、早めに地下鉄日比谷線に乗って六本木駅で下り、一番出口を出て森ビルに向かう。ここは六本木ヒルズ。
テレビ朝日は森ビルの裏側にあると聞いており、テレビ局ならテレビ塔があってすぐわかると分ると思っていたのだが、それが大間違い。森ビルは高層の広~いドでかいビル。そのピルの前では周りの風景は隠れてまるで見えない。外は小雨が降っていたのでビル中を通って裏に出ることにしたのだが、グルグル回ってばかりでなかなか裏側の出口にたどり着けない。
そこでまた、いったん元の正面入口に戻る。待ち合わせの時間は迫るばかり。このままじゃ遅れてしまう。通りがかりの茶髪の若い人に道を尋ねる。『うーん、この裏だけど、説明が難しいなぁー。ビルの中を通っって行くのは初めての人には難しいよ』。ちょっと考えていた茶髪の彼。意を決したように「おじさん。そこまで案内するよ。」と傘をさしのべ案内してくれる。「おじさん。ここだよ。じゃぁね」といって小走りに去って行った。「ありがとう」。お陰で初めての商談に間に合いました。若者の親切に感謝感謝の一日でした。
最近の若い人は…とよく耳にしますが、若い人の中にも親切な人はいっぱいいる。日本も捨てたものじゃない。 最近、電車の中でも、若い人たちがお年寄りに席を譲るのをよく見かけるような気がするのは私だけでしょうか?


■福岡天神の街角で~PART1~

アクロス福岡の森 福岡市役所の15階の食堂は一般市民にも開放されていて、安くて、品数が多く、うまいのが評判。週に三回は利用しています。市役所の斜め向かい側にある福岡アクロスのビル壁面には人口のアクロス山があって、4万本近くの森と小鳥がさえずる散策道があってお昼の憩いの場所になっています。
そんな6月のある日。いつものように市役所の食堂にランチに行く途中、信号待ちをしていると50歳くらいの女性から、「この近くに○○○という会社があるはずなんですけど・・・知りませんか?」と尋ねられる。全く心当たりはない。
昔は「分りません」でかたずけていたんですが、最近の七福神の育さんは違うんです。「一日一善」を実行中で、困った人にはできるだけ親切にしてあげることにしているんです。
「電話番号は分りませんか?」。ご婦人は住所と会社名と電話番号をひかえたメモを取り出し見せてくれる。自分の携帯で電話して聞いてみるとすぐに判明。市役所近くのベスト電気の向かいビルの一室にその会社はありました。「奥さん、分りましたよ。この近くだからそのビルの前まで案内します」といって一緒に歩き出す。聞けば、パートの面接に来られたんだとか。『おかげで間に合いました。ありがとうございました」深々と頭を下げられ、エレベーターのある方へ。「面接頑張ってくださ~い」。お陰で、すがすがしい気持ちになれました。


■福岡天神の街角で~PART2~庭先に咲くたち葵 
7月初めの日差しの強い日の昼下がり。今日もまた福岡市役所の食堂でランチしようと歩いていると、途中、年配のご婦人 かきょろきょろあたりを見渡しておられるのに出会う。「どうかなさいましたか?」と声をかける。
「百十四銀行をご存じありませんか?」。よく聞くと、最近、高松から福岡に戻ってこられ、手続きに行く所」だとか。昔福岡にいた頃は、確かこの辺にあったと思ったんですが、移転したんでしょうか?・・・」。電話番号も、住所も分らないという。
それじゃ、いくら銀行出身の七福神の育さんでもお手上げと思ったんですが、はっと気がついて、携帯電話を取り出し、インターネットで百十四銀行福岡支店で検索。「奥さん分りました。ここから500メートルぐらい先の福岡銀行さんの隣のビルですよ。ついでですから、ご案内しますよ」とゆっくり歩き出す。
「いいんですか?反対方向でしょうに。ご迷惑かけますね」「いいえ、どうせ昼ご飯に行くとこでしたから、その銀行の近くで食べることにしますよ。」「40分ぐらいあっち往ったりこっち往ったりしててくたびれ果ててたところでした。ホントに助かりました。ありがとうございました」
携帯ってホントに便利ですね。いつどこでも電話できて、自由に連絡も取り合える。ナビにもつかえて、他人のお役にも立てるんですね。
人のお役に立てた後の気分はなんとも言えないですね。その日一日がなんとなく楽しくなってきて、仕事も上手くいくそうな気がするんですよ。


後編に続く

(鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎)

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■1日1善に挑戦中!『マイ箸』/前篇

 社会のために、何か役に立つことをしたい・・・ 
今年10月で64歳。こうして、元気で仕事を続けられているのも、私を生み育ててくれた今は亡き両親、家族、八人の兄弟(七福神の育さんは末っ子なのです)、親戚、友人なかでも鹿児島の同級生たち、教えてくださった学校の先生方、これまで勤務してきた職場の上司・先輩・同僚の皆さん、仕事でお世話になったお取引先の皆さん、地域の方々…いろんな人達のお陰。
もういい年だし、「世のため人のために、小さなことでもいい、何か役立つことをしよう」と今年の元旦の計で一日一善】を思い立ち、只今、実践中!!。今回は、その中で、七福神の育さんが挑戦している『マイ箸」をご紹介します。


■「マイ箸」との出会い
「マイ箸」とは自分用の持ち歩き用のお箸のことです。
マイ箸 三年前、勤めていたFM福岡のH常務と居酒屋に行った時の事です。FM福岡の番組から生まれたオリジナル焼酎【音乃葉】の水割りを注文されたH常務。背広の内ポケットから、ワイン色の布製の包みに入った綺麗なお箸を取り出し、そっと自分の前におかれた。「常務、なんですか?それは」。「いや、これが私のマイ箸。いつも持ち歩いていて、食事する時はこの箸使うんです」。「愚かな人間のささやかな罪滅ぼしですよ。もったいないですからね。大したことじゃないんですが・・・」。
日ごろのH常務からは想像もできないシーンでした。人はみかけによらないものですね。その日からH常務を見る私の目は、尊敬の眼差しに変わりました。


今年から、「マイ箸」に挑戦 
今年の計を立てる時、H常務の事を思い出し、七福神の育さんも挑戦することに・・・。
H常務に見習い、マイ箸をポケットに入れて持ち歩いています。
割り箸しか置いてないお店ではマイ箸を使い、割り箸と普通(再利用できる)のお箸の両方を置いてあるお店では普通のお箸を使っています。背広の上着を着ない夏は、時々忘れたりしますが、その時は普通の箸を置いててあるお店を選んで行っています。最近では、普通のお箸を置いてあるお店が増えているような気がします。


■「マイ箸」で、気持ちがこんなに変わりました
「マイ箸」は意外と気持ちのいいもんです。何かちょっといいことしたような気分に・・・。イライラ気分も、「マイ箸」で食事すると、すっ~と和らぎ、気分転換にもなりますよ。
 

①もったいない、ものを大事に使いたい・・・との意識が芽生え、「使い捨てのライフスタイル」を見直すようになりました。
「マイ箸」が地球環境に与える効果は微々たるものですが、日常の生活、仕事の中で、まだまだ使えるものがいっぱいありますし、ものを大事に使うことで、地球環境保護への波及効果は大きいものがあると実感しました。

②お箸の先に見える『食』そのものを大切に考えたい・・・という気持ちが大きくなりました。
薩摩川内市のいむた池 小さい頃、お茶碗にご飯粒を残すと、教師をしていた父が、うるさく注意したのを思い出します。「このコメを作るのに、農家の人がどれだけ苦労をしているか、考えてみなさい」。
 
③今わかる父の言葉
父は、中学で農業の先生をしていて、当時は戦後間もない頃で貧困の最中にありました。学校の田んぼで生徒さん達と一緒に産ったお米は、生徒さん全員に平等に分け与えていたそうです。父が赴任するまでは、学校の先生たちが分けていたそうですが。それがきっかけで、父は父兄の方々から大きな信頼を寄せられることになり、学校をやめた後も、ご父兄や地域の方々から慕われていました。
今にして、やっと父の言葉がわかったような気がします。 


■失われて行く地球の森林 アマゾンの森林破壊
☆「地球の森林は1分間に30ヘクタール失われています。
年間で14万平方キロ、北海道と九州を合わせた面積の森が失われていることになります。

☆林野庁の調べでは、日本の年間の箸の使用量は約250億膳、一人当たり年間200膳の箸をを使い捨てしています
120平方メートルの一戸建て住宅に使用する木材の17,000戸分に相当する量だそうです。

■「マイ箸」のおススメ
☆割り箸は、約97%が海外からの輸入、そのうち90%が中国からの輸入でまかなわれています。
割り箸の材料は、木を一斉に伐採する効率的で低コストな皆伐方式で行っています。そのため、資源の供給(木を育てる)が追いつかず、森林は減少する一方となっているのです。
日本で大量消費される割り箸のために、中国の森林が消えていく・・・悲しいことです。
持続可能な社会の実現に向け、使い捨ての「割り箸」をやめて、心も豊かになる「マイ箸」の使用をおススメします!


中編に続く

写真の一部はHPよりコピーさせていただきました。
(鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育

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プロフィール

七福神の育さん

Author:七福神の育さん
■本名:新留 育郎
■薩摩川内市出身1946年生
■座右の銘
「敬天愛人」「士魂商才」 
■趣味とスポーツ
「柔道」「家庭菜園」
「絵画鑑賞と史跡散策」 
■愛読書
「野菊の墓」
「翔ぶが如く」
「金子みすず童謡詩集」
■愛唱歌
「北辰斜めにさすところ」
(旧制第七高等学校寮歌)
「吉田松陰」「薩摩の人」
「白い花の咲く頃」
「愛傷歌」「北の旅人」
■好きな俳優/アナウンサー
吉永小百合、有働由美子
小西真由美(川内出身)
■交流会/地域貢献活動
鹿児島県
 企業誘致サポーター
薩摩川内市 
 CSサポーター
新宮町男女共同参画
 審議会副会長
福岡さつま川内会会長
福岡可愛山同窓会代表顧問
川内高校可愛山同窓会会員
川内高校ひっとぼ会世話人
川内南中学校同窓会会員
山口大学獅子の会世話人  
山口大学鳳陽会会員
山口大学柔道部OB会会員
西銀EDOS会会長
西銀志免会会長
西銀福間会会長
西銀会会員
福岡薩摩五代会会員
七福神+ONEの会世話人
■職歴
大手銀行支店長/本部部長
東証二部上場会社役員
地元放送局関連会社役員
総合広告代理店役員
■現職
HOSJAS企画(同)CEO
地場中小企業顧問/監査役
■資格認定
九州観光マスター1級
旅行業務取扱管理者
個人情報保護士
宅地建物取引主任者

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