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■曽木発電所遺構と上野喜左衛門/後編

前篇から続く⇒ http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-9.html
■曽木発電所建設に尽した川内の豪商・上野喜左衛門姿を現した曽木発電所遺構 

野口遵が建設した曽木発電所事業を物心両面で支援したのが、当時、川内川流域に広大な田畑・山林・水利 権を所有し、川内(現・薩摩川内市)で海運業や製糸工場などを興し、豪商としての地位を確立していた上野家の4代目・喜左衛門。

4代目喜左衛門は、野口遵に多額の出資を行い、曽木発電所の建設に奔走する。また、自らも、川内川流域に発電所を建設して日本窒素肥料㈱工場に電力を提供し、野口の事業を支えている。

5代目喜左衛門は、4代目が築いた野口遵との協力支援
関係をさらに発展させ、川内川流域を舞台にして日本の電力化学工業発展の一翼を担い、事業を多方面に拡大していく。
 


  ■江戸末期~昭和を駆け抜けた
    薩摩川内の豪商・上野喜左衛門の功績

近代電力化学工業を産んだ川内川上野家のルーツは、明治維新を成し遂げた西郷隆盛や吉田松陰や坂本龍馬が生まれた江戸時代の文化・文政・天保年間 (1804~1843年)にさかのぼります。上野家は、先代が死亡すれば直ちに【喜左衛門】を襲名する習わしがあり、初代(江戸/天保年間没)~5代目(1971年没)まで踏襲されている。以下、その功績を振り返ってみよう。


 ◆初代・2代目【上野喜左衛門】

江戸時代天保年間の頃から、川内地方(鹿児島県北部)で、焼酎・ろうそくを製造販売し財を築く


◆3代目【上野喜左衛門】

西南戦争直後に大きく財をなし、川内川(九州三大河川の一つ)流域の広大な田畑・山林を所有。奈良時代より水陸交通網の要をなしていた川内で、新しく海運業と製糸工場などを興し、豪商の地位を確立している。この頃、川内地方では、"七福神の育さん"の生れた隈之城一帯を中心に、養蚕(かいこ)・製糸業が栄ている。 


 ◆4代目【上野喜左衛門】

曽木発電所の建設に当たり、野口遵が頼りにしたのが4代目・上野喜左衛門。4代目喜左衛門は、曽木発電所事業に多額の出資を行い、野口遵を物心両面から支援し、発電所建設に尽力する。

自らも電力化学事業にも乗り出し、「川内製油」「川内川電気㈱」を設立。川内川発電所を建設し、野口遵の経営する日本窒素肥料㈱に送電を開始している。「川内川電気㈱」は、後に「日本水電㈱」と対等合併するが、これが九州のトップ企業「九州電力」の前身である。

九州電力は、1974年に川内火力発電所を、1985年には川内原子力発電所を操業開始するが、その縁は、4代目喜左衛門にさかのぼることを知り、4代目喜左衛門の洞察力と偉大さにただ感服するばかり!!


◆5代目【上野喜左衛門】1901年~1971年 オリジナル焼酎喜左衛門

4代目喜左衛門が築いた野口遵との協力関係をさらに深めて支援を強化し、川内川流域を舞台にして、幅広く事業を拡大し、日本の電力化学工業発展の一翼を担って尽力した

幼名は次郎七。日本水電に入社し、一年後、取締役総支配人として活躍。

「川内製油」を発展させて「上野商事 ㈱」を設立また、1945年3月、川内市に「南国兵器㈱」を設立し、終戦直後の同年10月には「南国殖産㈱」に社名変更。南九州を主基盤にして多方面で事業展開している南国殖産グループの基盤を確立した。
32歳で貴族院議員に当選。鹿児島商工会議所会頭を14年間務め、政財界を問わずあらゆる場面で活躍し、地元川内・鹿児島・南九州の発展にのみならず、日本の電気化学工業の発展に多大な功績を残している。

余談ながら、JR鹿児島中央駅アミュプラザ地下1階の「焼酎維新館」喜左衛門の功績を讃えたオリジナル焼酎【喜左衛門】(白金酒造)を販売している。"コイが、カゴンマン、ホンモンのソチュ ゴワンド。ノンで ミヤンセ!! ガッツイ ウンマカド"(これが、鹿児島の、本物の焼酎です。飲んでみてください。とてもおいしいですよ)


◆「中外製薬」「積水化学工業」を興した

                十蔵と次郎男
グロンサンで有名な「中外製薬」の創業者【上野十蔵】は5代目喜左衛門の叔父で、七福神の育さんの生れた町隈之城の出身。関東大震災の惨状を目の当たりにし、製薬業を起こす決意をする。ドイツ製の薬を売り歩き、1943年中外製薬を設立、"大衆肝臓薬時代"を築いている

5代目喜左衛門の次弟の【上野次郎男】は、「日本窒素肥料」の常務取締役を経て、1951年「積水化学工業」社長となり、プラスティック加工の分野で最大手メーカーに発展させ、積水化学の中興の祖と言われている。 


■今も、脈々と流れる喜左衛門の商いの心 
 

歴史を語る川内川代目喜左衛門は、終戦後の財閥解体、農地改革によって広大な土地と事業資産を失うことになるが、せんでガラッパ(義理人情に厚い気骨あふれる川内人をさす。ガラッパは河童のこと)の不屈の精神で、逆境をチャンスと捉え、時代の変化に敏感に対応し、新たな事業に挑戦し、飛躍発展を遂げている。喜左衛門のすごさをここに垣間見ることができる。

喜左衛門の「商いの心(起業精神と企業魂)」は、代々引き継がれ今も脈々と流れている。
戦後の財閥解体、1970年代前後のオイルショック、1990年代のバブル崩壊で、それまで勢力を誇っていた有力企業グループが破たん・衰退・低迷していく中で、南国殖産グループ(上野グループ)はその困難を跳ね返し、ばねにして逞しく成長してきている。今また、リーマンショックの不景気の中にあっても、「元気企業」といわれるその活力の源は、この「喜左衛門の商いの心」にあるのかも知れない。
 


■「人こそ財産」をモットーに

       さらに発展する南国殖産グループ 

南国殖産本社上野喜一郎は、5代目喜左衛門の後を引き継ぎ、1971年から社長・会長となり南国殖産グループのリーダーとして、九州・鹿児島を拠点に、エネルギー、情報通信、建設資材、機械設備、都市開発、農業、介護医療等なあらゆる産業分野で幅広く事業を拡大。では、総合商社の南国殖産㈱を核にして、会社・関係会社合わせて30数社を擁する九州でも屈指の企業グループに成長させ、地域経済の牽引車となって地域発展に大きく貢献している。

また、2008年亡くなるまでの10数年の長きにわたり、県経営者協会会長、鹿児島商工会議所副会長を務め、鹿児島の経済界の発展に尽力、2002年には旭日小綬章を受章
現在、南国殖産グループは、「人こそ財産をモットーに、時代の変化に敏感に対応しながら、新しいビジネス拠点・新しい街づくりに挑戦している。 
 


歴史をひも解くと、その時代に生きた先人たちの意外なストーリーが垣間見えてきて面白いですね。 わが故郷・川内の先人たちの偉業を誇りに思う"七"福神の育さん"でした。作家の有島武郎・里見、画家の有島生馬の三兄弟も川内の出身なのです。川内ってすごいでしょう!!


 【参考文献】川内市発行の「川内市史」「わがまち川内」及び関係各社のホームページ、南日本新聞の記事、鹿児島県発行の情報誌、地元伝聞情報を参考にまとめてみました。文中の写真は、薩摩川内市及び伊佐市及び南国殖産のHPからコピーさせていただきました。
(2012/5/25HP掲載)
(鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎) 


 

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プロフィール

七福神の育さん

Author:七福神の育さん
■本名:新留 育郎
■薩摩川内市出身1946年生
■座右の銘
「敬天愛人」「士魂商才」 
■趣味とスポーツ
「柔道」「家庭菜園」
「絵画鑑賞と史跡散策」 
■愛読書
「野菊の墓」
「翔ぶが如く」
「金子みすず童謡詩集」
■愛唱歌
「北辰斜めにさすところ」
(旧制第七高等学校寮歌)
「吉田松陰」「薩摩の人」
「白い花の咲く頃」
「愛傷歌」「北の旅人」
■好きな俳優/アナウンサー
吉永小百合、有働由美子
小西真由美(川内出身)
■交流会/地域貢献活動
鹿児島県
 企業誘致サポーター
薩摩川内市 
 CSサポーター
新宮町男女共同参画
 審議会副会長
福岡さつま川内会会長
福岡可愛山同窓会代表顧問
川内高校可愛山同窓会会員
川内高校ひっとぼ会世話人
川内南中学校同窓会会員
山口大学獅子の会世話人  
山口大学鳳陽会会員
山口大学柔道部OB会会員
西銀EDOS会会長
西銀志免会会長
西銀福間会会長
西銀会会員
福岡薩摩五代会会員
七福神+ONEの会世話人
■職歴
大手銀行支店長/本部部長
東証二部上場会社役員
地元放送局関連会社役員
総合広告代理店役員
■現職
HOSJAS企画(同)CEO
地場中小企業顧問/監査役
■資格認定
九州観光マスター1級
旅行業務取扱管理者
個人情報保護士
宅地建物取引主任者

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