■鹿児島と山形の交流、いま再び(前篇)
それから二日後、なんと、その話がそっくりそのまま、西日本新聞の朝刊一面下段の【春秋】に掲載されたんです。あまりのタイミングの良さに、「西日本新聞にあのことお話しされましたか?」と三浦支社長にお尋ねすると、全くしていないとのこと。七福神の育さんもリリースしてないし…。こんな偶然ってあるもんなんですね。
そしてまたまた びっくり!! 12月7日三浦支社長から1枚のファックス。【西郷さんの縁 山形、鹿児島両県議会交流】の大見出しの山形新聞(12月6日)二面記事。両県の交流がいま再び始まったことを報じていました。 (2010/12/19執筆)
鳥羽・伏見の戦いの契機となった江戸薩摩藩邸焼き討ちを実行した庄内藩(山形県鶴岡市・酒田市)は、戊辰戦争でも薩長の新政府軍に果敢に抵抗しています。だから、新政府軍に降伏した時、庄内藩は厳重な処罰が下ることを覚悟していました。しかし、新政府軍参謀の薩摩藩士・黒田清隆は、庄内藩に対し極めて寛大な処置を取のました。この温情ある薩摩人の処置に対し、旧庄内藩の人々は痛く感激し、薩摩人に敬愛の念を抱くようになりました。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。然れどもかくの如き人は、凡俗の眼には見るべからず」。七福神の育さんの座右の銘でもある「敬天愛人」など西郷隆盛の教えをまとめた【南州翁遺訓(なんしゅうおういくん)30ヶ条】は、実は、西郷隆盛(南州翁)に心服していた旧庄内藩士達が、西郷隆盛から直接聞いた教訓等を一冊の本にしてまとめ刊行したものです。

また、鶴丸城二の丸跡地(鹿児島市立美術館脇)i建つ軍服姿の西郷隆盛像は、元山形県議の石沢宏太郎(山形県東山村郡区)がモデルを務めており、両県議会の再交流の橋渡しにもなったようです。
■三島通庸(初代山形県令)と山形の石橋

薩摩の島津藩では、肥後の石工に石橋架橋の技術を学んで多くの石橋を作っていました。三島通庸は技術を持たない山形に故郷薩摩より奥野忠蔵等多くの石工を呼び寄せ、石橋架橋にあたらせたのです。
後に山形県土木技官となった奥野忠蔵が設計した現存する石橋で記録に残っているのは瀧ノ岩、瀧ノ小、吉田、綱取、常磐の5橋だそうですが、山形県内に残る他の8つの石橋も何らかの形で奥野忠蔵が関与していたようです。

■鹿児島の「ちまき」と山形/鶴岡の「笹まき」
鹿児島県内の家庭では、端午の節句に、【ちまき】と呼ばれる「あくまき」をつくって祝います。
七福神の育さん実家では今も、端午の節句(子供の日)の頃になると、木や竹を燃やした灰から取った灰汁(あく)に浸したもち米を孟宗竹の皮で包んで大きな釜に入れ、灰汁水で数時間煮込んで作っていました。ぐつぐつぐつぐつ長時間煮込むと米粒が溶けて餅状になり、表面は飴いろのぷるるんとした「あくまき」が出来上がります。これが【ちまき】です。 竹皮をむいて左手にちまきを持って、細い糸の片方を口にくわえ、右手に糸の端を持って、糸でぐるりと円を描くようにして【ちまき】を適当な大きさに皿に切り落とし、砂糖と少々の塩を混ぜたきな粉をまぶしていただきます。黒糖の粉やはちみつ、醤油をつけてもおいしいです。かすかな苦みが素朴な手作りの味を引き立たせます。
鹿児島の【ちまき】に似た食べものに山形の旧酒田藩/鶴岡地方にだけ伝わる【笹まき】があります。
【ちまき】同様に灰汁で煮込ンで作りますが、こちらは笹で包み,笹を丸のままのタケノコそっくりに編んだり、穂先のような形に巻いています。作り方も、灰汁にナラや柿の木の灰を使う以外は鹿児島の「ちまき」によく似ています。
山形テレビの三浦支社長によると、山形県内の鶴岡以外の地方でも【竹の子まき】と呼ばれる【笹まき】があるそうですが、あの透き通ったようなゼリー状(?)、蕨持ち風(?)の食感は鶴岡地方の【笹まき】だけだそうです。食べ方はどちらも同じで、黄粉をまぶしたり、最近では黒蜜をかけて食べるそうです。食べ方も全く鹿児島と同じなんですね。
江戸時代には、山形と鹿児島は北前船での取引が行われており、保存食として重宝された鹿児島の【ちまき】が北前船で山形の酒田港に運ばれ広まったものなのでしょうか? 。今でこそ新幹線や飛行機があり、鹿児島と山形などもすぐ行き来が出来ますが、当時の先人達の交流にはロマンすら感じるものがあります。
後編へ続く http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-26.html
写真は、鹿児島県市及び山形県市関係のHPより掲示しました。
(鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎)
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