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■文学に目覚めた「野菊の墓」前篇

野菊の墓の表紙 64年の人生を振り返ってみると、人生の岐路とも言えるような出会いが幾度かありました。一冊の本との出会い、いろいろな人との出会い、ショックな出来事…etc。その出会いによって、ものの考え方、人としての生き方を学び、進むべき道を見い出すことができたような気がします。
これまで、大過なく、身心ともに健康で、充実した日々を過ごし、今なお若い人達と一緒に、仕事やボランティア活動ができるのもそれらの出会いのお陰だといつも感謝しています。
このプログでも、折々に、七福神の育さんの忘れられない出会いのひとコマもお話ししていきたいと思います。
先ずは、好奇心旺盛な夢多き高校時代、文学というものに目覚めさせてくれた伊藤左千夫の小説【野菊の墓】との出会いから始めましょう。
(2012年3月 執筆)
■高校に入って、スランプに陥って…。
高校1年の初夏のこと。七福神の育さんは、その年の春、県立川内高校に合格したものの、入学後は、それまでの気合いがいっぺんに抜けて目標を失い思い悩む日々を過ごし、勉強も手に付かず試験の成績はどんどん落ち込んでいきました。その前の年の秋に父を亡くし、経済的にも精神的にも大きな支柱支えを失ったことで、不安と寂しさもあったのでしょう。 
父はその死ぬ時まで、川内南中学校と永利中学校が統合されて新しく誕生した川内南中学校の初代PTA会長でした。その前は旧・川内南中学校のPTA会長や永利中学校の校長を長くしていたこともあり、先生や父兄のよき理解者として誰からも一応の信頼を得ていたようです。
そんな訳で、七福神の育さんは小中学時代、「校長先生の息子さん」とちやほやされ、周りからも期待されて育ちました。七福神の育さんも"いい子"になろうと真面目に勉強もしましたし、先生方もよく目にかけて教えて下さいました。近所のO先生のお家に夜に押しかけて、遅くまで個人レッスンを受けたものです。そんな甲斐あって、中学時代はいつもトップクラスの成績で、同級生からも一目置かれ、三年の時には生徒会長にも選ばれもしました。
七福神の育さんは、高校では入学試験の成績で上位の生徒ばかりが集められた選抜教室に編入され、入学直後の五科目テスト(国語・数学・社会・理科・英語)では全校生約400名中3番の成績でした。しかし、そのクラスは互いにライバル心ばかりが旺盛で、気を許せる友も出来ず、先生方も特別に気にかけてくれる訳でもなし。それまでおらが大将で甘い環境に育てられてきた七福神の育さんはだんだんとスランプに陥っていきました。成績も急ダウンし、6月の中間テストでは、150番にまで落ちていました。
 
■その夏、 中学時代の恩師K先生に会いに…。
 「このままではいけない。どうすればいいんだろう…」との思いがそうさせたのでしょう。初夏のある日、七福神の育さんは、その年の春に転勤されていった中学時代のK先生に手紙を書きました。
K先生は国語の先生。七福神の育さんは授業で直接教わったわけでもなく、担任の先生でもなかったのですが、「いろいろと生徒の相談に乗ってくれる優しい先生」として人気のあるマドンナ先生でした。K先生からはすぐに、「夏休みに遊びにいらっしゃい」と嬉しい返事がきました。
夏休みに入ってすぐの日、JR鹿児島本線の隈之城駅から汽車に乗りました。当時は、黙々と黒い煙をはきながら石炭で力強く走る蒸気機関車。西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)からJR日豊本線に乗り換えて、錦江湾沿いに噴煙を上げる桜島の雄大な景色を眺めながらしばらく走ると、汽車は姶良郡の隼人駅に着きました。ホームには、日傘をさしたK 先生の懐かしい(半年ぶりでしたがホントに懐かしいと感じたのです)笑顔がありました。「いらっしゃい。よく来たね」。K先生の眼鏡の奥の優しい眼差しで迎えて下さいました。何かホッとした気分になったのを覚えています。

■鹿児島神宮で一緒に祈願してくれた恩師 …
霧島神宮境内 K先生のご自宅にはご両親と小学校の教師の妹さん、中学生の弟さんがいらっしゃって、一緒にごくありきたりのお話をしながら、お昼御飯をご馳走になりました。食事が終わると、K先生は妹さんと二人で近くの鹿児島神宮に案内してくださいました。「ここは神話にでてくる山幸彦ゆかりの神社で、神代の皇居跡もあるんですよ。薩摩隼人族の先祖は山幸彦の兄さんの海幸彦尊だから、ここの神社は薩摩隼人族の守り神なんです。神代の昔から崇められてきた由緒ある神社だから、ごりやくがいっぱいあるそうですよ。先生も一緒にお祈りしてあげるから…しっかりお願いをしたらいいよ・・・。」 と言って、一緒に並んで、鈴を鳴らしてお参りをして下さいました。嬉しかったですね。自分のためにお参りしてくださる先生がいて…。
手紙で悩みの一部を打ち明けていたのですが、K先生はその事には触れずに、お参りの後、「育郎君もいろいろとあろうけど、悩むってことはそれだけ成長してるってこと。誰しもそうやって大人になっていくんだから…。喜怒哀楽は人生にはつきもの。だから人生は面白いんよ。大いに悩み、苦しみ、考えることね。誰も助けてはくれないんだから。自分で考えて解決していくしかないのよ。頑張りなさい…!」と一言。K先生のその言葉に、「そうなんだ。ようし、頑張ろう…!」と道が開けたような気がして少し元気が湧いてきたのを覚えています。

霧島神宮初午祭 ■恩師からプレゼントされた一冊の本『野菊の墓』
鹿児島神宮の境内をしばらく散策していると、K先生は、「今、どんな本を読んでいるの」と突然尋ねられました。それまでこれといった小説など読んだこともなかった七福神の育さんが返事に困っていると、「そう、あまり読んでいないのね。だから育郎君は考え方がまだ子供っぽいところがあるんだ。これからはどんな本でもいいから本を読まなくちゃだめよ。」
「本を読めば、知識を得られるし、それまで知らなかった未知の世界を知り訪れることもできる。そこには新しい発見が必ずあるはずよ。」「小説を通していろんな体験ができ、随筆や哲学、専門書からはものの見方・考え方が学べるよ。だから本をたくさん読むことが大事。その為には、まず本を好きになることね。」 と諭して下さいました。
帰り際、K先生は「これを読みなさい」と一冊の単行本を差し出されました。それが伊藤左千夫の『野菊の墓』。帰りの汽車の中で、どんな本かとおもむろに本を開き読くと、『政夫と民子の幼い悲恋の物語』との文字が目に入り、なんだか面白そう。思春期の育さんは好奇心に駆られ読み始めました。読んでいくにつれ、先がどうなるのかとわくわくしてきて胸の鼓動が高まり、車窓の景色には目もくれずページをめくりました。汽車が隈之城駅に着くとそのまま家には帰らず駅のベンチに座って読み続けました。

■『野菊の墓』にとめどもなく流した涙 
多くの読者の共感と涙を誘った伊藤左千夫の主観的で感傷的な私小説【野菊の墓】。
あらすじは、『江戸川の矢切りの渡し付近の静かな田園を舞台に、十五の政夫と二つ年上の従姉民子との間に芽生えた幼い清純な恋が、世間体を気にする大人たちのために引き裂かれ、政夫は町の中学に行かされ、民子は心ならずも他に嫁がされてついには心労が重なり病死してしまう』というはかなくも悲しい恋の物語でした。あまりにも純真、可憐な恋物語に七福神の育さんはとめどもなく涙を流していました。生れてはじめての経験で、その夜はいつまでも興奮冷めやらず、寝床の中で繰り返し繰り返し読みながら涙の夜を明かしたのでした。
この物語は、木下恵介監督の「野菊の如き君なりき」で映画がされ、松田聖子さんや山口百恵さん主演のDVDでも人気の物語です。

後編へ続く http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-32.html


画像は、鹿児島霧島市のHPより掲載させていただきました。
 (鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎) 
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ジャンル : 日記

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プロフィール

七福神の育さん

Author:七福神の育さん
■本名:新留 育郎
■薩摩川内市出身1946年生
■座右の銘
「敬天愛人」「士魂商才」 
■趣味とスポーツ
「柔道」「家庭菜園」
「絵画鑑賞と史跡散策」 
■愛読書
「野菊の墓」
「翔ぶが如く」
「金子みすず童謡詩集」
■愛唱歌
「北辰斜めにさすところ」
(旧制第七高等学校寮歌)
「吉田松陰」「薩摩の人」
「白い花の咲く頃」
「愛傷歌」「北の旅人」
■好きな俳優/アナウンサー
吉永小百合、有働由美子
小西真由美(川内出身)
■交流会/地域貢献活動
鹿児島県
企業誘致サポーター
薩摩川内市CSサポーター
福岡さつま川内会副会長
福岡県新宮町男女共同参画
 審議会副会長
福岡可愛山同窓会会長
川内高校可愛山同窓会会員
川内高校ひっとぼ会世話人
川内南中学校同窓会会員
山口大学獅子の会世話人  
山口大学鳳陽会会員
山口大学柔道部OB会会員
西銀EDOS会会長
西銀志免会会長
西銀福間会会長
西銀会会員
福岡薩摩五代会会員
七福神+ONEの会世話人
■職歴
大手銀行支店長/本部部長
東証二部上場会社役員
地元放送局関連会社役員
総合広告代理店役員
■現職
HOSJAS企画(同)CEO
地場企業2社顧問

■資格認定
九州観光マスター1級
旅行業務取扱管理者
個人情報保護士
宅地建物取引主任者

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