■新型コロナウイルス(桃の節句に憂える)
■桃の節句に憂える
「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」。元旦に宮地嶽神社に初詣。のんびりと正月を過ごし、七草の節句(1月7日)で朝粥を食べて健康を祈り、「今年は行動の年」と仕事であちこち動き回っているうちに立春(2月1日)はあっという間に過ぎ去り、今日3月3日は早や桃の節句。新型コロナウイルスが世界各地に広がり、日に日に増える感染者の数に世界中が混乱、雛祭りどころではない。未知の感染病とはいえ、この危機的事態にわが政府の対応は行き当たりばったりで国民に丸投げ…の感は否めず、国民の不満は募るばかり。医療や介護ケアに携わる現場の人たちのご苦労には頭が下がります。なのに、人の集まるイベントや行事、狭い空間での宴会などの自粛を国民に求めながら、求めた本人たちはお友達と食事会や政治パーティー。問われているのはその姿勢なのに、問い詰められて、「気を付けながら臨んでいる。何が悪い」「他の政治家もやっている」と開き直る始末。一体、いつからこんな国になったのだろう? と感じているのは19さんだけでしょうか? でも、今更、文句を言っても始まらない。有用といわれている感染予防対策をしっかりと実践してウィルスを寄せ付けず、知らないうちに感染しているかもしれないウィルスをばらまかないように行動に気を付け、周囲に気配りしながら感染拡大を防いでいくほかに道はあるまい。
■決断と実行で日本の明日を切り拓いた先人たち
「命も要らず、名も要らず、位も金も要らず」と近代日本の明日を夢見て、血気盛んな志士たちに腹を割って説き、薩長連合で明治維新を成し遂げたわが鹿児島が生んだ英雄西郷隆盛。「貧乏人は麦飯を食え」と国民に忍耐と努力を本音で語り掛けに、所得倍増計画を打ち出し国民に寄り添って高度成長を成し遂げ、日本を先進国の一員と世界に認めさせた疾風の総理大臣池田隼人。中国首脳と正々堂々と掛け合い、総理大臣に就任して僅か2ヶ月半で戦後最大の懸案であった日中国交正常化を成し遂げ、「できることはやる。できないことはやらない。すべての責任はこの角栄が負う」と無類のリーダーシップを発揮し、日本列島改造論の夢をまっしぐら突き進み、その膨大かつ明晰な知識、徹底してやり抜く無類の決断力と実行力でコンピーター付きブルドーザーと呼ばれた庶民宰相田中角栄。この三人の総理大臣が生きていたら、どんな風にしてこの緊急事態を乗り超えてくれたのでしょうか・・・。今の政治家たちにも、その熱き想いと一途な姿勢を学んでほしいと期待はしているのですが・・・。
■敬天愛人の教え
この歴代稀なる三人の宰相に共通しているのは、西郷隆盛が好んだ「敬天愛人」の心。敬天愛人の意味について、西郷南洲顕彰会発行『南洲翁遺訓』には、『道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也』。その現代語訳では、『道というのはこの天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である』と書かれています。
得体のしれない新型コロナウィルスに対して、今、私たちは「敬天愛人」の心をもってお互いを思いやり、お互いに助け合い、支え合って、感染拡大を防いでいくしかないようです。マスクや消毒液は言うに及ばず、トイレットペーパーや洗剤までが買い占められ、ほんとに必要な人に必要なものが行き届かなくなってきている昨今の状況を見ると情けなくなってしまいます。1973~1974年のオイルショック時のトイレットペーパーや日常雑貨の買いだめで、私たちは学んだはずなのにどうしたというのでしょうか? 敬天愛人の心さえあれば、少なくとも社会のルールは守られると思うのですが…。
■鯉のぼりの泳ぐ端午の節句の頃は…
光陰矢の如し。桜の花が咲く頃には不安も遠のき、端午の節句(5月5日)には、鯉いのぼりが新緑の心地よい風を受けながらイキイキと泳ぎ、その下で、日本の明日を担う子供たちが元気に走り回る姿を見たいものです…。
七夕の節句(7月7日)の頃は、新型コロナウィルスのメカニズムも究明されて治療薬が実用化され、安心して国民待望の東京オリンピックを開催。そして、これまで幾多の困難と危機を克服してきた日本人の英知を結集した努力が実り景気も回復へ。国中が元気を取り戻し、重用(菊)の節句(9月9日)の祝いで改めて健康のありがたさを噛みしめる。中秋の名月(10月1日)を過ぎると、だんだんと紅葉していく山々の美しい日本の風景を味わい、楽しみながら、人と人との絆を深められるようになっていけたらいいなとひそかに願っています。Keep on going! 前へ、もっと前へ! ですよね。
お互いにそれぞれの置かれた場所で頑張りましょう!!
■参考:日本の風土に溶け込んだ五節句とは
五節句は、もともと中国から奈良時代に伝えられた風習で、稲作を中心とした日本人の生活のリズムにうまく適合させた季節行事として根を降ろし現代に至っているそうです。五節句は、お正月の人日(七草)、3月の上巳(桃)、5月の端午(菖蒲)、7月の七夕(竹)、そして9月の重陽(菊)と、季節の草や木に彩られるのが特徴。今では神事の意味は薄れましたが、節句の日は、祈りを共にすることで人々の絆を深める機会でもあり、日常の雑事を忘れて心身を休め、日頃あまり口にできない滋養のあるものを食べて鋭気を養う貴重な機会。少子高齢化が進む中で、身内や周りの人と一緒になって、日本の四季の美しさを味わい、楽しみながら、人と人との絆を深められたら幸せだなぁ…と19さんは思っています。(2020.3.3)
「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」。元旦に宮地嶽神社に初詣。のんびりと正月を過ごし、七草の節句(1月7日)で朝粥を食べて健康を祈り、「今年は行動の年」と仕事であちこち動き回っているうちに立春(2月1日)はあっという間に過ぎ去り、今日3月3日は早や桃の節句。新型コロナウイルスが世界各地に広がり、日に日に増える感染者の数に世界中が混乱、雛祭りどころではない。未知の感染病とはいえ、この危機的事態にわが政府の対応は行き当たりばったりで国民に丸投げ…の感は否めず、国民の不満は募るばかり。医療や介護ケアに携わる現場の人たちのご苦労には頭が下がります。なのに、人の集まるイベントや行事、狭い空間での宴会などの自粛を国民に求めながら、求めた本人たちはお友達と食事会や政治パーティー。問われているのはその姿勢なのに、問い詰められて、「気を付けながら臨んでいる。何が悪い」「他の政治家もやっている」と開き直る始末。一体、いつからこんな国になったのだろう? と感じているのは19さんだけでしょうか? でも、今更、文句を言っても始まらない。有用といわれている感染予防対策をしっかりと実践してウィルスを寄せ付けず、知らないうちに感染しているかもしれないウィルスをばらまかないように行動に気を付け、周囲に気配りしながら感染拡大を防いでいくほかに道はあるまい。
■決断と実行で日本の明日を切り拓いた先人たち
「命も要らず、名も要らず、位も金も要らず」と近代日本の明日を夢見て、血気盛んな志士たちに腹を割って説き、薩長連合で明治維新を成し遂げたわが鹿児島が生んだ英雄西郷隆盛。「貧乏人は麦飯を食え」と国民に忍耐と努力を本音で語り掛けに、所得倍増計画を打ち出し国民に寄り添って高度成長を成し遂げ、日本を先進国の一員と世界に認めさせた疾風の総理大臣池田隼人。中国首脳と正々堂々と掛け合い、総理大臣に就任して僅か2ヶ月半で戦後最大の懸案であった日中国交正常化を成し遂げ、「できることはやる。できないことはやらない。すべての責任はこの角栄が負う」と無類のリーダーシップを発揮し、日本列島改造論の夢をまっしぐら突き進み、その膨大かつ明晰な知識、徹底してやり抜く無類の決断力と実行力でコンピーター付きブルドーザーと呼ばれた庶民宰相田中角栄。この三人の総理大臣が生きていたら、どんな風にしてこの緊急事態を乗り超えてくれたのでしょうか・・・。今の政治家たちにも、その熱き想いと一途な姿勢を学んでほしいと期待はしているのですが・・・。
■敬天愛人の教え
この歴代稀なる三人の宰相に共通しているのは、西郷隆盛が好んだ「敬天愛人」の心。敬天愛人の意味について、西郷南洲顕彰会発行『南洲翁遺訓』には、『道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也』。その現代語訳では、『道というのはこの天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である』と書かれています。
得体のしれない新型コロナウィルスに対して、今、私たちは「敬天愛人」の心をもってお互いを思いやり、お互いに助け合い、支え合って、感染拡大を防いでいくしかないようです。マスクや消毒液は言うに及ばず、トイレットペーパーや洗剤までが買い占められ、ほんとに必要な人に必要なものが行き届かなくなってきている昨今の状況を見ると情けなくなってしまいます。1973~1974年のオイルショック時のトイレットペーパーや日常雑貨の買いだめで、私たちは学んだはずなのにどうしたというのでしょうか? 敬天愛人の心さえあれば、少なくとも社会のルールは守られると思うのですが…。
■鯉のぼりの泳ぐ端午の節句の頃は…
光陰矢の如し。桜の花が咲く頃には不安も遠のき、端午の節句(5月5日)には、鯉いのぼりが新緑の心地よい風を受けながらイキイキと泳ぎ、その下で、日本の明日を担う子供たちが元気に走り回る姿を見たいものです…。
七夕の節句(7月7日)の頃は、新型コロナウィルスのメカニズムも究明されて治療薬が実用化され、安心して国民待望の東京オリンピックを開催。そして、これまで幾多の困難と危機を克服してきた日本人の英知を結集した努力が実り景気も回復へ。国中が元気を取り戻し、重用(菊)の節句(9月9日)の祝いで改めて健康のありがたさを噛みしめる。中秋の名月(10月1日)を過ぎると、だんだんと紅葉していく山々の美しい日本の風景を味わい、楽しみながら、人と人との絆を深められるようになっていけたらいいなとひそかに願っています。Keep on going! 前へ、もっと前へ! ですよね。
お互いにそれぞれの置かれた場所で頑張りましょう!!
■参考:日本の風土に溶け込んだ五節句とは
五節句は、もともと中国から奈良時代に伝えられた風習で、稲作を中心とした日本人の生活のリズムにうまく適合させた季節行事として根を降ろし現代に至っているそうです。五節句は、お正月の人日(七草)、3月の上巳(桃)、5月の端午(菖蒲)、7月の七夕(竹)、そして9月の重陽(菊)と、季節の草や木に彩られるのが特徴。今では神事の意味は薄れましたが、節句の日は、祈りを共にすることで人々の絆を深める機会でもあり、日常の雑事を忘れて心身を休め、日頃あまり口にできない滋養のあるものを食べて鋭気を養う貴重な機会。少子高齢化が進む中で、身内や周りの人と一緒になって、日本の四季の美しさを味わい、楽しみながら、人と人との絆を深められたら幸せだなぁ…と19さんは思っています。(2020.3.3)
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