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■曽木発電所遺構と上野喜左衛門翁/前篇

ひっとぼ会のJさんから、「私の祖父が関係した明治の発電所の遺構が曾木の滝(現・伊佐市)の近くにあるそうよ」と聞かされ、車で川内に帰省の折、立ち寄ったのが曽木発電所遺構。湖底に浮かび上がった廃墟の壁をじっと眺めながら往時の姿に想いを馳せていると、明治から昭和にかけて、日本の電気化学工業の近代化に尽力し、そのめざましい発展を支えてきたわが郷土の先人たちの足音が聞こえてくるようで感動的でした。

現在があるのは全て"先人たち"が存在したお陰。この遺構に隠されている先人たちの足跡を知りたくなって、川内歴史資料館に足を運び、ちょっとばかり勉強してみました。 (2012/5/24掲載)


■中世ヨーロッパのお城を思わせる曽木発電所遺構 
曽木の滝北薩摩を東西に流れる川内川の上流にある鶴田ダムのさらに上流に、「東洋のナイヤガラ」とも呼ばれる曽木の滝(鹿児島県伊佐市大口宮入)がある。滝の周辺は公園になっていて、桜、新緑、紅葉と四季折々訪れる人を楽しませてくれる。その滝を1.5Km下った場所に、ダムの水位の下がる5月初め頃から、中世ヨーロッパのお城を思わせるようなレンガ造りの建物が徐々に姿を現す。建物は煉瓦の壁だけが残っているが、元々は3階建 曽木の滝公園 ての建物だけあって威風堂々としていた様子がうかがえる。ちなみに、建物のレンガや機械設備まで全てドイツから輸入したものだとか。

1909年(明治42年9月)に完成した曽木第2発電所の遺構だ。曽木発電所遺構は、近代産業遺産として、平成17年11月に国の登録有形文化財に登録され、鹿児島市内の磯御殿・尚古集成館とともに鹿児島歴史探訪の観光スポットになっている。

 


 

  ■神秘的な対岸からの眺め

曽木発電所遺構の全体が見渡せることができる対岸の高台には展望台が設けられ、川面に映える遺構をゆっくり眺め曽木発電所遺構 ることができる。展望台の周りは、樹木の茂るちょっとした公園となってきれいに整備されている。静寂な公園の木漏れ日の小道を散策すると、何かオーラが感じられゾクッと身震いがする。日本の電気化学工業の近代化に偉大な功績を残した先人達の魂が宿っているのだろうか・・・神々しくもある。  

実は、最初の発電所(曽木第1発電所)はここから少し上流の曽木の滝の近くに造られていて、現在見ることのできるこの遺構はその2年後に完成した曽木第2発電所。曽木の滝公園内の奥には、第1発電所の導水路跡や洞窟など  が至る所に残っており、散策路として整備され、洞窟では霊芝なども栽培されている。 


■ライトアップで暗闇のダム湖に浮かび上がる
                 ロマンテックなシルエット

伊佐市では建設100周年記念イベントの一環で、昨年11月にライトアップ。それが好評だったため、この年末年始は、姿を現した曽木発電所遺構 12月11日より本年1月11日まで、ライトアップいう粋なサービスで帰省客を楽しませている。

遺構から約30メートルの高さにあるサーチライトから白い光が伸び、暗闇のダム湖にレンガ造りの建物が浮かび上がる様はまさにロマンティク近代日本の電気化学工業を切り開いた先人たちの夢とロマンが今にも伝わってくるようだ。

渇水が長引いたこの年末年始は曽木発電所遺構の姿を見ることができたが、例年の冬場は鶴田ダム湖に沈んでしまって残念ながら見られない。ダムの水位の低下する5月頃から徐々に姿を現し、7月頃が一番くっきりと姿が浮び、9月頃までは全容を見ることができる。 


■曽木発電所は電気化学工業発祥の地

曽木発電所は、1908年日本窒素肥料(現チッソ)を設立し、ここを土台に、第二次世界大戦まで日本・東アジアの電気化学工業界に君臨した日窒コンツェルン(野口財閥)のドン野口遵(のぐちしたがう・1873~1944年)が1909年(明治44年)に建設した水力発電所。建物は高さ19メートル、幅43メートル、奥行き20メートル。発電量は6700Kw(1590kw×4基)で、当時は国内最大級の発電量を誇っていた。

この電力は、伊佐市にある日本最大の金山(菱刈金山)や牛尾鉱山、そして水俣の日本窒素肥料(現・チッソ株式会社の前身)に大量に供給され、近代日本の電気化学工業の発展を支えていく

電気化学工業では、ダム建設による水力発電により電力を確保し、大量に供給される電力を利用して電気化学工場で肥料や火薬を製造する。電力が安いほど競争力が得られることから水力発電と化学工業は相互依存の関係にあり、この曽木発電所が近代電力化学工業の発祥の地と言われる理由はここにある。


■曽木発電所からアジアに広がる電気化学工業

世界第一次大戦の勃発によりイギリスからの硫安の輸入が途絶えたのを契機に、野口遵の率いる日本窒素肥料は、国内原料と曽木発電所・川内発電所の自家発電を利用していたため生産費の上昇がなく大戦中に莫大な利益を上げ急成長する。野口遵は、ここで得た巨額の富とドイツ式先端技術をバックに、延岡⇒朝鮮半島⇒中国(満州国)⇒マレー半島へと事業を拡大し、世界第3位の電気化学メーカーに発展させていく。後に、野口遵は「近代電力化学工業の父」との言われるようになる。

第二次世界大戦の敗北による財閥解体で日窒コンツェルンは終焉をむかえるが、現在の日本の化学工業の先端を走る「積水化学」や「旭化成」のルーツは日本窒素肥料㈱であり、曽木発電所はその原点なのだ。

曽木発電所は1961年まで操業。鶴田ダムの完成によりその役目を終え、1965年に水没し幻の発電所となった。

実は、野口遵をバックアップし、曽木発電所の建設に大きく尽力したのが、わが故郷・川内の豪商【上野喜左衛門翁】でした。後編では、その上野喜左衛門翁についてお話します。

 後編に続く⇒ http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-10.html

 


 

(鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎)

 

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