FC2ブログ

■誠実に生きる/義父母の生涯(後編)

 前編より続く⇒ http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-40.html 
                          (2011/8  執筆)
義父は仕事柄、たまに新聞にも顔を出していましたが、照れ屋の義父はそのことを何も言わないので、家族も周囲の人から教えられ、新聞を探し出してあわてて読んでいました。
そんな義父が、珍しく、自分から七福神の育さんにそっと渡してくれた新聞記事がここにあります。おそらく、自分たちの生き方をそれとなく教えてくれたのだと思っています。七福神の育さんにとっては、何物にも代えがたい宝物で、時折取り出して読み直しています。

■亭主の好物”煮込みうどん” ~読売新聞から~
‘煮込みうどん”それも私が自分で作った手打ちうどんしか食べません。義母の新聞紹介記事 娘のころ母が作っていたのをみようみまねで 作ったのが始まりで、それ以来、日曜日には必ずつくっています。
小麦粉に塩を入れ、耳たぶ位の軟らかさになるまでこね、何時間かおいておくのがいいようです。それを伸ばして、切って、ゆでます。これをカツオとコブのだしに肉とタマネギのいためたのと一緒に入れ、薬味にネギを添えた何となくゴチャゴチャしたのが大好きですね。
「まあ、お父さん、そんなに食べていいの」と、言いたくなるほど食べます。だいたいめん類が好きなんですけど、スパゲティだけは「あれは油でこねてあろうが・・・」と言って食べてくれません。
(福岡県警/博多警察署長宮崎勇行夫人 宮はまよさん)
-1975年10月21日読売新聞朝刊掲載-
義母はことのほか料理が好きで、いつも手料理を食卓いっぱいに作ってごちそうしてくれていました。義母の亡くなる前の晩も、義母は娘(七福神の育さんの妻)と一緒に夕食の手料理を作りながらきゃあきゃあ楽しそうにしていたそうです。
その義母に見習い、七福神の育さんの二人の娘たちも料理をつくるのが好きで、家ではよく手料理をふるまってくれますし、4歳になる孫も、炊事場にやってきて料理を作る手伝いを今からしているんですよ。
三歳の時、泥水を飲んで一週間高熱を出して生死の淵をさまよい九死一生を得た義父は、食事にはものすごく気をつけておりました。義母の手料理が健康の源だったようです。

■誠実、仕事はきびしく・・・~毎日新聞から~
      福岡・中央署長を勇退する 宮勇行氏(56)
まやかし、はったり、それにへつらいもおよそ縁遠い。義父の新聞紹介記事   
「誠実」という言葉がこの人ほどぴったりする人は少ない。 
三十三年、警部昇任試験の時、本部長の口述試験で自分の長所と短所を問われ、「長所は、人の意見や話に率直に耳を傾け、受け入れる。短所は”腹”で仕事をするのが不得意でなので修業を要する」と答えたそうだ。
それから20年。”腹芸”はとうとう”定年”jまで修行足らず。 
「でも、これで良かったと思っています。ごまかしやはったりは長続きしない。自分に正直なのが一番いい。信頼もそこからしか生まれません。」
一線では八年余と捜査二課が長く、汚職事件など多く手掛けた。「仕事には厳しく緻密」「曲がったことが大嫌い」
当時の部下の宮評。
捜査二課長も含め事件の中枢畑にいただけに夜中の電話報告だけではなく記者連中にの夜討朝駆けでずいぶん私生活を脅かされた。だが、いつ訪れてもいやな顔を見せない。これには”強心臓”を自負する事件記者も恐縮。
「夜も寝ないで取材に来るのに捜査上言えない事がある。心の中ではいつも済まないと思っていました。せめて応対だけでも誠意を尽くさねば・・・」---。
陸軍工科学校(神奈川県)を出て終戦の年まで4年間余り関東軍に所属し、満州(中国東北部)iいた。
「9月に復員、家業の農業を手伝っていましたが、ブラブラしていても仕方がない。同じ働くならきちんとしたところで・・・」---。
20年12月に警察官になった。依頼31年8ヶ月。地元警察官の最高ポスト、福岡・中央警察署長を最後に第二の人生のスタートを切る。(福岡市の専門委員として地下鉄開業、天神地下街の町づくりの仕事が待っている)。
「上司、同僚、部下、人に恵まれました。仕事は厳しい面もありましたが、努力が報われいい職場でした。」
浮羽郡浮羽町小塩出身 福岡市西区で妻はまよさん(53)と長男の3人暮らし。
-1977年8月22日(月)毎日新聞朝刊掲載 -
義父は物静かで実に優しい人でした。脚が軽くて、家にいる時は、炊事場にも立つし、家の掃除、風呂の掃除、庭の掃除・・・よくしていました。怒った顔を見た事がありません。七福神の育さんの二人の娘も、おじいちゃん、おばあちゃん子で、とても可愛がってもらいました。二人の娘はおじいちゃんおばあちゃんの姿をみて育ったようなものです。
「とにかく人は誠実でなくちゃいかん。人に裏切られることはあっても、人を裏切るような事だけはしてはいかん。」
「小さな失敗はなんぼしてもいい。それが成長につながる。しかし、取り返しのつかない大きい失敗だけは絶対にしちゃいかん。それは一生かかっても容易には取り返せない・・・。」
。義父の七福神の育さんへの教えでした。
関東軍での生死を彷徨う体験や31年の警察の事件畑での体験から行き着いた心底からの人生訓だったのでしょう。義父母にはいろいろと助けられました。ただただ感謝するばかりです。
今は仕事で無理ですが、七福神の育さんが70歳を過ぎて時間2余裕ができれば、義父母の歩いてきた足跡をたどって「本」を書いてみたいと思っています。

前篇はこちら⇒  http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-40.html 

 (鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎) 

テーマ : 生きることは学ぶこと
ジャンル : ライフ

■「置かれた場所で咲きなさい」

昼休み福岡天神の本屋さんの前を通りかかったて見かけた本『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎。
教育者の家庭に生まれ、大学院卒業後、ノートルダム修道会に入りアメリカに派遣され、帰国後まもなく36歳の若さでノートルダム清心女子大学の学長に抜擢され、マザー・テレサ来日の折は、マザー・テレサの通訳・アシストとして終始付き添われたノートルダム清心学園理事長
【渡辺和子】さんの、いま最も読まれているベストセラー
(1000円)。本の薄さの割にはちょっと高いけど、内容は価格以上でお買い得。早速読んで共感した七福神の育さんは、会社の同僚、知人のYさん、友人のHちゃん、そして我が娘Mちゃんに紹介。「いい本ですね。ありがとう」のメッセージ。そこで、このプログで皆さんにもその一部を紹介することにしました。宗教に関係なく人の心を打ち、元気を与えてくれる一冊です。あなたも読んでみませんか。(2012/7/25 執筆)

置かれた場所でさきなさい ■置かれた場所で咲きなさい
人は境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。「現在」というかけがえのない時間を精一杯生きよう。どんなところに置かれても花を咲かせる心を持ち続けよう。人はどんな場所でも幸せを見つけることが出来るのです。
■人はどんな境遇でも輝ける
結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが次々にでてきます。
そんな状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない時、そんな時には無理して咲かなくてもいい。根を下へ下へと下ろして根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。つらい日
々も、笑える日に繋がるのですから。つらい夜でも朝は必ず来るのですから。
■あなたは大切だ。生きるだけの価値がある
人間の価値は、何ができるか、できないかだけにあるのではなく、一人のかけがえのない「存在」
として「大切」なのであり、「宝石」なのです。あなたが大切だと誰かに言ってもらえるだけで人は生きていける。人はみな愛情に飢えている。存在を認められるだけで人はもっと強くなれるんです。
■信頼は98%。あとの2%は許すための「ゆとり」
人間は不完全なものです。それだから100%信頼するから、許せなくなる。人間は決して完全にわかりあえない。だからどれほど相手を信頼していても、「100%信頼してはだめよ。98%にしなさい。後の2%は相手が間違った時の許しのためにとっておきなさい。」と私は言っています。「人間は神様じゃないんだから、間違ってもいいんですよ」とそういう2%のゆとりが大切だと思うのです。心に2%のゆとりがあれば、相手の間違いを許すことができるんです。

最後にもうひとつ、
■希望にはかなわないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること。迷うことができるのも、一つの恵み、一つの幸せ
■七福神の育さんの社会人生活を振り返って
七福神の育さんは、大学卒業後、銀行に入行。広島の初任支店で、「出納⇒預金⇒貸付」の窓口業務をマスター。9ヶ月後に、福岡の本店の電算センターに。そこでコンピューターと出合い、「データ入力・チェック)⇒コンピューターオペレータ⇒プログラマー⇒システム企画設計」と8年間でコンピュータ運営に関する全ての部署で銀行事務のコンピュータ処理化(オフライン処理からオンライン処理まで)に従事。
その後、推されて従業員3000人を束ねる職員組合に執行役員として専従。労務・人事問題の改善に労使協調の姿勢で携わり、全国の銀行の労働組合の皆さんとの交流も深めました。その間、経営不振に陥ったT相互銀行の吸収合併、業界初の普通銀行転換という銀行の歴史的事業にも遭遇し、職員組合の立場で協力支援。
5年間の職員組合役員生活を経て銀行現場に復帰。人事部より希望配属先を打診されすぐさま営業現場を希望。「それでよろしいんですか?本部でも支店でも今までの経験を生かせるポジションを用意しますが・・・?」 との人事部長のご配慮を断って「得意先次長」の肩書で営業店へ。夜遅くまでカブ号に乗って、若手行員と一緒にお客さまを訪問し「預金と融資」の提案営業に邁進。みんなの努力が実って2年間連続最優秀店舗となり38歳で福岡近郊の支店長に。
そこでは、地域の企業の社長さん達と【地域交流飛翔会】なる組織を作り【地域密着・地域活性化】に全力傾注し、その結果、役場や婦人会、小中学校のPTA役員の皆さんなど地域の信頼と期待と集める所となり、支店の業績もウナギ登りでこれまた2年連続優秀店舗表彰受賞。全国の銀行でも話題となり、東京にある銀行協会の研修所で何回か管理者や支店長向けに講義もする羽目になりました。 今でも【地域交流飛翔会】の当時のメンバーとの交流は続いています。
その後の大型店舗支店長時代はバブル崩壊で一転苦労の連続で、朝5時に起きて3社参りをして銀行に出勤する場面も3ヶ月ありました。それから後は営業本部に赴任。「営業推進⇒営業管理⇒営業企画」と全店の営業を統括する部署で営業推進し、再び、郊外のブロック長で営業第一線へ。
そしてまた営業本部を経て53歳の時、銀行とは畑違いの、お取引先で東証2部の食品メーカーに役員として出向。そこでは、営業管理担当の後、特務担当として海外事業、通販事業の新規事業に携わり、東アジア、アメリカに何回も足を運びました。60歳で役員定年。
運よく、敬愛する先輩の助力もあり、某ラジオ放送局の社長が声をかけて下さり、こだわりの焼酎造りの会社設立とラジオショッピング事業の手伝いをすることになりここでもまた未知の仕事に全力傾注。皆さんの協力があって1年半でほぼ初期の目的を達成したところで円満転職。
今は、地元の総合広告代理店で全国のテレビ局や新聞社を相手に素晴らしい若い仲間達と一緒に奮闘中。その合間に、鹿児島県や薩摩川内市の地域活性化のために、ボランティア活動二励みながら充実した日々を送っています。
いろいろと自分の過去を振り返ってきましたが、七福神の育さんは、これらの日々を、「ホントに充実していたな。我ながらよく努力したな」と誇りに思います。それも周囲の皆さんのお陰!! その原点は、私が23歳で本部に赴任した際の上司で今は亡き草野主任(後の銀行監査役)に、「あなたは、これからスペシャリストを目指しますか?ゼネラリストを目指しますか?」と問われた時、即座に、「勿論、ゼネラリストです」と答え、「それなら自分がその方針であなたを育てるからそれでついてくるか」と言われた事にありました。
それ以来、七福人の育さんは、その信念を貫き通してきました。職員組合役員を退任する時、人事部長に、「営業経験がないのにいきなり営業で大丈夫ですか?」と問われた時に、「大丈夫です」と即座に答えられたのも、「営業の相手は人。人との交わりはこれまで十分に学んできた。営業のノウハウは1ヶ月もあれば十分。自分には営業のスペシャリストが持っていない知識と技術と経験と人脈ががいっぱいある」と自信かがあったからです。何よりも、「環境適応力が強い}というのが七福神の育さんの長所でしたから。
そう、渡辺和子さんの言う、「置かれた場所で花を咲かせなさい」ということを実践していたんだと今確信しています。それは、小生が中学3年の時に他界した父の口癖、「少年老い易く学成り難し」「なんでもいいから勉強しとけ」という教えがあったからだと思います。 それが心の支えとなっているんだと思います。
この本に自分を重ねながら、七福神の育さんまだまだ元気。これからが青春の気概でこれからもがんばりますよ!!
■親友のHちゃんからススメられた【責めず、比べず、思い出さず】
 ~苦しまない生き方 禅と大脳生理学に学ぶ知恵~
この苦しみに満ちている世界、人生において、心が楽になり、生を充実させるための具体的な実践方法を示しています。不安、心配、意欲の減退、自責などの感情は薬では治せず、自分の心で治すしかないと説く。「心のもち方」「言葉」「呼吸」「坐禅」「写経、読経」の中から、どれか一つを実践すれば、晴ればれとした人生に!!。『置かれた場所で咲きなさい』と一緒に読めば、さらに人生が楽しくなる一冊です。Hちゃんありがとう。 
責めず比べず思い出さず       山口市の瑠璃光寺五重塔 
         高田明和 著           七福神の育さんの好きな山口瑠璃光寺の秋
(鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎)

テーマ : 楽しく生きる
ジャンル : ライフ

■茶の匠/星野茶ひと筋に「木屋宏さん」のこと

九州自動車道八女インターを下り、国道442号を東に八女市街地を通り抜けると約10分で県道52号に分岐する。
県道52号を星野川(矢部川の支流)沿いに山あいの新緑と薄紫のフジの花を楽しみながら20分も車を走らせると山の斜面に茶畑の風景が現れ、星野茶で有名な星野村に入る。しばらく走ると左側に『木屋芳友園』の本社・工場が見えてくる。その300メートル先に先月オープンしたばかりの同社直営店『茶房 星水庵』がある。
5月8日、春の叙勲お祝いを兼ねて、㈱木屋芳友園会長の木屋宏・博子さんご夫妻を訪ねてみました。今回は、半世紀以上にわたり星野茶ひと筋に『村おこし』に取り組んでこられた木屋ご夫妻の活躍ぶりを紹介します。(2010年5月 執筆)

■『黄綬褒章』受章の『木屋芳友園』の木屋宏さん    
 
木屋宏会長 先月28日の新聞各紙は、星野村の木屋宏さんが、今年の春の叙勲で、業務に精励して模範となった農林漁業従事者や卓越技能者に贈られる『黄綬褒章』を受賞と一斉に報じました。
製茶業ひと筋52年間、高級ブランド茶・星野茶の普及と接茶文化の継承に一身を投げ打ち、古希を過ぎた今なお星野村の「村おこし」の先頭に立って地域の活性化に取り組んでおられる努力が認められての栄えある受賞。
木屋会長ご夫妻の地道な地域貢献活動を長きにわたって見聞してきた七福神の育さんにとっても、ホントに嬉しいビッグニュースでした。木屋会長ご夫妻、本当におめでとうございます。心から敬意を表します。
 「地道に努力する人が正しく評価される」こんな素晴らしいことはありません。本気で頑張っている人は、やっぱりみんながどこかでよく見てくれてるんですね。感動しました。

■19歳で星野村に戻り、家業を継ぐ
木屋宏さんがお茶の道に入ったのが16歳。親戚が経営するお茶屋で修行。1年のうち休みは6日間のみで残りの359日は商品配達と注文とりでお得意さんまわりの日々。当時は日本茶を飲むのが当たり前の時代で、注文も飛ぶようにあったとか。家族と離れて朝から晩まで働きづくめの過酷な生活だったが辛いと思ったことはなかったそうです。
宏さんは19歳の時、茶商だった父の芳友さんが体調を崩されたのを機に星野村に戻り、芳友さんの興した「木屋芳友園」の二代目に。父・芳友さんは実直でお茶へのこだわりは人一倍厳しい商売人。宏さんは、父・芳友さんから、茶の見分け方や商売人としての心構えを繰り返し繰り返し徹底して叩き込まれたそうです。

■高級ブランド茶・星野茶の普及に専念 
家業を継いだ宏さんは25歳で博子さんと結婚。以後45年間、博子さんと二人三脚で星野茶の製造と販路拡大に、来る日も来る日もただひたすら精励。
新芽の摘み取りが始まる4月下旬から5月にかけて生産者が出荷した荒茶を買い付け、自社工場で火入れなどの仕上げを施して、洗練された独自の技術と繊細な感覚で、香りとコクのあるまろやかなお茶を創りだす。
フル稼働する工場の機械音にせきたてられながら茶葉と向かい合う姿はいつも真剣勝負。茶葉をつかんだ手のひらの感覚が高級ブランド茶・星野茶を生み出す。まさに匠の技だ。
そこには、お茶にとことんこだわって妥協を許さなかったた父・芳友さんの教えが生きている。

■いいお茶は喉を通った後、うまみに変わる 
煎茶 高峰  「いいお茶は口に含んだ時には渋みがでても、のどを通った後、うまみに変わる」。父・芳友さんの口癖だった。納入先や常連のお客さんから『今年もおいしいよ』と喜んでもらえた時が一番うれしいと宏さんは眼を輝かせて語る。
最近、家庭でも、手っとりばやいペットボトル茶が普及し、急須で入れるリーフ茶の需要は減ってきている。でも、木屋さんご夫妻の入れてくれたお茶をいただくとやっぱりおいしい。香りとコクのあるまろやかさは他の飲みものでは味わえない何かがある。これが「本物のお茶」ということだろう。
お茶の美味しさを引き出すのはお茶そのものの品質とお茶の入れ方、飲み方だそうです。


 
■人を裏切ることは決してしない。誰にも謙虚な姿勢を貫く 
肩を張らず威張らずに、頼まれたことはきちんとやる。人を欺くようなことは決してしない。その姿勢は、客さまにも仕入先にも納品先にも従業員に対しても変わらない。木屋さんご夫妻は「謙虚さ」を一番に商いを続けてきた。だから、他人を裏切るようなことをする人は、たとえ儲かる話であっても相手にしない。
商いの基本は「信頼」。ドラッカーのマネジメントに「商売の基本・原則を大事にしない企業は持続しない」とあるが、木屋さんご夫妻は、まさにそれを実践されている。

木屋芳友園本社
■熱意こそ人を動かす
28年前、七福神の育さんは、星野村に「㈱木屋芳友園」という優良企業があるのを知り、バイクを30分走らせ、足しげく訪問を重ねました。
芳友会長と息子さんの宏社長にお会いしているうちに、事業に対する情熱と人柄に触れ、何とかお取引につなげたいと思いを募らせるのだが、美味しいお茶はいただけても肝心の提案にはなかなか乗ってこられない。それでもあきらめないのが育さんの真骨頂。
初回訪問から10ヶ月後、宏社長が銀行の窓口にお見えになり、「次長の熱心さがよくわかった。お取引をさせて貰います」。銀行入社以来、営業経験が全くなく、本部からいきなり支店の営業担当次長に赴任した七福神の育さんにとっては、初めての優良企業の新規開拓で、今でも思い出に残る感動のシーンであった。カーネギーが言うように、熱意は通じるものですね。
以前、このプログ http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-6.html  で紹介した「ほん気」という詩のとおりでした『本気でやればだれかが助けてくれる』と実感させられた育さんは、その後、八女市役所をはじめ地場優良企業・団体の新規取引に成功。お陰で支店の業績はアップし、店200数ヶ店の中で最優秀店表彰に輝きました。木屋さんご夫妻とはそれ以来のお付き合いで、お会いするたびに元気をもらっています。


■星野村や福岡県茶商工業界の要職で率先垂範星野村/星の文化館 
木屋宏さんは本業に精励する傍ら、地域や茶製造業界の活性化にも率先して取り組まれています。若い頃は、地元消防団長として若手事業者の模範となってリードし、長男ご夫婦が家業を手伝われるようになると、周りに乞われて県茶商工業共同組合理事長星野村商工会会長を引き受け、70歳を迎えた本年3月まで地域の商工業発展に尽力されています。
澄み切った空、棚田、茶畑、山林、焼き物……星野村のたくさんの地域資源を活かしてた星と文化の里」づくりに取り組み、「星の文化館」や「茶の文化館」などのふるさと創生事業の発展にも大きく貢献されました。

■ブルーベリーで働く場を提供、地域の活性化に尽力

星野村の土壌と気候がブルーベリーの生産にもっとも適していると知った木屋宏さんは、お茶以外の特産品開発を目指し、お茶の収穫時期と重ならないブルーベリー栽培を地元生産農家に働きかけました。
そして、2007年にはそのブルーベリーを活用した商品開発に取り組み、翌2008年には地元経営者や大学教授と共同出資で加工販売会社「星のふるさと村」を設立し社長に就任。地域期待の「星のブルーベリージャム」や「星のブルーベリー羊羹」「星の果実・ブルーベリー酢」を売り出す。地元の主婦や若手の働く場が増えて、村に若い人たちが残るようになり地域の活力につながっています。昨年、ブルーベリーで50万円の収益を上げた生産農家もあったとか。お茶の収入だけに頼っていた生産農家にとっては大きな収入源で、願ってもない話だ。
「あと2~3年で生産も、販売も軌道にのるはず。その時まで、まだまだ頑張りますよ」と宏さんは熱っぽく語る。星野村から星野茶に続く第二の特産品が全国に広がるのもそう遠くない…。

■接茶文化を残したい…「茶房・星水庵」オープン 
   建築資材から業者まで、全てを地元活用
茶房 星水庵 先月16日、木屋宏さんは息子の康彦社長と話し合い、星野村の自然を五感で感じていただきながらお茶を楽しんでいただける空間として『茶房 星水庵』をオープンした。
ゆったりとした店舗内部には、お客さまに"本物のお茶の香りとまろやかさ"を味わって"やすらぎと癒し"を感じて頂けるように、お茶の試飲・喫茶・直売の三つの空間を提供。
また、お茶の入れ方、飲み方を学ビお茶を楽しむコーナーを設け、「すぐに温かいお茶を入れて客をもてなす日本の『接茶文化』の作法」を教えている。
地域活性化への宏さんのこだわりは、この店舗建設でも徹底している。柱、壁床板、瓦、庭の置き石、庭木に至るまで地元で調達できる建築資材は全て地元産。建築工事業者はちろんのこと大工さん、左官さん、庭師さんなど建築工事に携わる人も全て地元の人を指名。宏さんは、会社経営を任せている息子の康彦社長に対して、これだけは頑として譲らなかったという。 七福神の育さんもこれには脱帽。
星野村/茶の文化館  大きな柱、気の温もりの感じられるぶ厚い一枚板のテーブルとカウンター、自然の風景にしっとりとマッチした瓦屋根。春には星野川のせせらぎを聞きながら、初夏には川面に飛び交うホタルを追いながら、真夏には夜空に輝く満天の星を見上げながら、秋は紅葉、冬には雪景色を静かに眺めながら、四季折々に頂く一杯のお茶にゆったりと時は流れる。木屋さんご夫妻の「お茶の基本である「もてなしの心」が散りばめられている。
九州観光マスター1級の第1号の資格認定を受けている七福神の育さんは、「ホスピタリティー(おもてなしの心)は商いの基本」と公言しているが、木屋さん夫妻は、それを日本の文化として引き継いでいこうと実践されていて、感服するばかりである。
■木屋芳友園のおススメ商品   

茶の匠 芳友  星野村はお茶の栽培に最適な自然が残る山あいの里。その山あいにある「木屋芳友園」のこだわりの商品はここで買い求めできます。
●直売店: 茶房 星水庵
      福岡県八女市星野村4529-1 
              販売/9:00~17:00 
              喫茶/11:00~17:00
●お電話で:  0120-44-1563
●FAXで:      0943-52-2097
●インターネットで 
http://www.horyouen.co.jp  


星野愛す(抹茶アイス) 七福神の育さん イチオシ商品は、
 ◎星野茶にこだわった
              
「新茶 茶の匠 芳友」
 ◎抹茶、ほうじ茶の味が楽しめる
   オリジナルアイス「星野愛す」




■木屋芳友園の企業紹介はこちら 
         ⇒ https://hosjas.com/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
写真の一部は木屋芳友園及び星のふるさと館のHPよりコピーさせていただきました。
(鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎)

テーマ : 福岡
ジャンル : 地域情報

■【鹿の子ユリ】と【山本實彦】

 ■鹿の子ユリが今年も咲きました

鹿の子ゆりIMG_20200730_08393310年前、自宅の庭に植えた鹿の子ユリが今年も咲きました。鹿の子ユリは東シナ海に浮かぶ甑島(薩摩川内市)が原産地で、甑島列島に群生し、7月から8月にかけて咲く花です。19さんが小さい頃はあちこちの家の庭の片隅で、ギラギラした太陽に負けじとまっすぐな花弁を反転させ誇らしげに咲いていました。花言葉は富と誇り」「荘厳」鱗茎は滋養強壮、咳止め、解熱、消炎の効能があるとされ、甑島の島民は天明の飢饉や太平洋戦争中にも鱗茎を食べて飢え凌いだそうです。ユリの球根は百合根と呼ばれ、京料理には欠かせない素材だとか。そういえば、母がつくってくれた茶わん蒸しには入っていました。鹿の子ユリを見る度に、故郷の夏が懐かしく思い出されます。

 

■川内の傑人「山本實彦」の銅像が建立されました。
 故郷と言えば、川内川に架かる太平橋の大小路側に畔に「山本實彦」の銅像が今年建立されました。實彦は大正から昭和にかけて活躍した19さんの故郷・川内が産んだ傑人です。与謝野鉄幹・晶子夫妻を川内に招いたり、ラッセルはじめ多くの世界に名だたる知識人を自費で日本に招聘する等、日本の文学・科学・思想界の発展にも大きく貢献しています。
 その實彦像の除幕式が去る5月17日に催され、そのとき配られた「改造社と山本実彦という一冊の本を、福岡薩摩川内会の西谷和武会長から借り受けて読んでみました。そこには、あの「コンピューター付きブルドーザー」で日本列島改造論の庶民宰相・田中角栄を彷彿させるわが故郷の「ぼっけもん(男の中の男)の姿があり、ドラマを地でいく
波乱盤上の人生に引き寄せられ、一気に読み上げてしまいました。CORONAパンデミック禍の今、山本實彦や田中角栄のような勇気と決断力と実行力があり、情報に機敏で大胆さ(山師の一面もあるが…)を兼ね備えた真の政治家がいてくれたら…と嘆くのは19さんだけでしょうか。

 以下に、「改造社と山本実彦」松原一技著(方新報社))の中から、山本實彦の足跡をもっと詳しく紹介してみたいと思います。

■日本近代文学の井戸を掘った【山本實彦】
 山本實彦(18851952)は鹿児島県薩摩川内市大小路町に生まれ、苦学して上京し、大正・昭和期の日本近代文学の育成に多大な功績を残し、政治家としても活躍しています。
 大正8年、改造社を創業田山花袋、徳田秋声、正宗白鳥、佐藤春夫、広津和郎など当時の名だたる作家を集めて総合雑誌「改造」を創刊。自らは、政治・経済・社会問題を論じ、創刊号から与謝野晶子、尾崎幸雄、土井晩翠、幸田露伴、谷崎潤一郎など、後に日本文学史に名を残す錚々たるメンバーがこぞって執筆しています。
 賀川豊彦「死線を超えて」80万部を出版し大正時代最大のベストセラーとなり、志賀直哉「暗夜行路」林芙美子「放浪記」火野葦平「麦と兵隊」川端康成伊豆の踊子」石坂洋二郎「若い人」…等の作品が次々に生まれ、当時の知識人の圧倒的支持も得て大衆の人気を集めました。
 又、理想主義的ヒューマリズムのフランスの思想家・作家ジャン・クリストフ」ロマンローラン、中国の小説家で「阿Q正伝」魯迅インドの詩人でインドの国歌も作詞作曲したタゴール…等、様々なジャンルの世界的著名人も直接寄稿し、当時の出版業界は實彦の「改造社」の独壇場だったようです。いずれも19さんが学生時代に読みあさった本で、それらの名作を裏で支えた一人が山本實彦と知り、實彦が身近になりました。 

■アインシュタインを日本に招聘した【山本實彦】
 實彦は昭和2年に、一世を風靡した「円本(1円で買える本)の先駆けとなる日本初の「現代日本文学全集」全63巻を刊行しました。そのお蔭で、経済的に困窮していた作家さん達は生活が楽になり文筆活動に専念出来て、今でも老若男女を問わず多くの人に読み親しまれている名作が次々と生まれました。この意味で山本實彦は日本文学発展の父であり母である」といえるのではないでしょうか。
 その実彦は、ドイツ生まれの理論物理学者で「相対性理論」アインシュタイン、イギリスの哲学者で「社会改良主義」ラッセル、アイルランドの劇作家で「シーザーとクレオパトラ」バーナードショ-…等の世界に名だたる知識人を自費で日本に招聘し、東京、福岡ほか全国各地で講演を繰り広げ、日本の科学・思想界の発展にも大きく貢献しています。どんなに難しいと思われることでも、思ったら即行動に移し、何が何でも周りを説き伏せて実現いた傑人でした。

■九州の暴れ川、川内川の改修工事に尽力  
 郷土をこよなく愛する實彦は政界にも打って出て、昭和5年、衆議院議員に当選。当時の民政党・浜口雄幸内閣総理大臣を得意の熱意と粘りで動かし、川内川を国管理の一級河川に認めさせました。そして、国家予算で河川改修工事費を分捕って持続的な治水工事を成し遂げ、洪水の度に床を上げ、畳をはいで避難し右往左往して苦しんでいた川内川流域住民の悲願を叶えました。今年も熊本や福岡、山形など全国各地で大河が氾濫し、想像を超える甚大な被害を強いられています。19さんが小中高校生の頃の川内川も大雨の度に氾濫し被害が出ていましたが、この二三十年は氾濫もなく大きな被害には遭っておらず、これも山本實彦のお陰と知り、郷土の先達に誇りを感ぜずにはいられません。
 そういえば、鹿の子ユリの花言葉に、「慈悲深い」「威厳」というのもありました。まさに山本實彦
ギラギラした真っ赤な太陽に負けじとまっすぐな花弁を反転させ誇らしげに咲かせている「鹿の子ゆり」のような慈悲深く威厳のある誇り高き傑人でもありました。(2020.8.1)
19さんのHPもどうぞ ⇒ http://hosjas.com

■時計草を育てて、あらためて学ぶ!

 植物の生育も、企業経営も、何事もバランスが大切
■窒素、リン酸、カリをバランスよく施肥
 
IMG_20200513_時計草(パッションフルーツ)  3年前、庭先に植えた二本の時計草(パッションフルーツ)が今年は6個実をつけました。秋の穫り入れが楽しみ。最初の年は2個、去年は1個。植物を育てるのは難しいですね。人間がバランスよく栄養をとらないと体調を崩しやすいように、植物も適切に肥料を与えないとすくすく元気に育ってくれません。
 植物を育てるのに欠かせないのが肥料の三要素のチッソ(N)・リン酸(P)・カリ(K)。葉緑素の素となるNは葉をすくすく大きく茂らせ、Pは花と実を肥らせ(特にトマトなどの果菜類に大切)、Kは根や球根を肥らせる(芋類やチューリップなど球根類に必須)のに効果があります。
パッションフルーツ かと言って、N・P・Kを過剰に与えると拮抗作用が起こり、植物の生育に不可欠の鉄やマグネシューム欠乏を誘発し、葉が黄色くなり枯れてしまいます。「過ぎたるは及ばざるが如し」ですね。植物を大きくきれいに美味しく育てるには、その植物に合った効果の比率で栄養(肥料)を与えることが有効。つまり、バランスが大事ということです。 
  

■資本と経営と労働がバランスよく機能
 バランスは企業経営にも当てはまります。企業経営の三要素は、資本(出資者=株主)と経営(経営者=取締役)、労働(従業者=社員)。出資者は事業資金を提供し、経営者はその資金で事業を展開し、従業者はその事業展開に労力と知恵を提供します。この三要素が、企業が置かれた状況に応じてバランスよくうまく機能して企業は利益(黒字)を上げることが出来て、この利益は、配当、報酬、給与という形で出資者、経営者、従業者に分配されます。
 三要素が十分に機能している時は経営は順調に行くのですが、そんなにうまくいかないのが現実です。だから、三要素のうちの一つが不足する(厳しい状況にある)時は他の二つが1.5倍の力を発揮しカバーしながら切り抜けなければなりません。二つの要素がダメになればその行先には破綻の門が待ち受けています。企業は三要素が上手く機能して利益を出してこそ長く存続でき、それにより三者は安定したより豊かな生活が得られ、企業を通じて社会貢献ができるのです。
 
■企業の社会貢献
企業の社会貢献とは、「利益を上げて税金を国に納める」「有形(商品)・無形(技術・知識)のサービスを社会に提供する」「雇用を維持・拡大する」の3つにあると19さんは思います。そして企業は、黒字経営を実現してこそ、社会に貢献できるのです。

■経営者の使命
経営者の使命(役割=責任)とは、利益を上げて自己資本(内部留保)を増やし、財務体質を強化して持続可能な企業に仕上げることだと19さんは思っています。大企業・中小企業を問わず日本の優良・有力企業の大半は、バブル崩壊、リーマンショックの教訓から内部留保の蓄積に励み、財務体質強化に取り組んできました。政府は景気拡大策として企業に内部留保を吐き出すように要請していますが、企業が危機に陥った時、政府が一民間企業を助けることはまずありません。
 だから、企業は、(内部留保を必要以上に蓄積する必要はないが)、コツコツと内部留保を蓄積し、いま巷で囁やかれているような1930年代の世界恐慌以上?のコロナ不況にも耐えうるだけの力を蓄えておく必要があるのです。その備えを怠ったり、十分な備えができなかった企業は、まさかの時に、右往左往せざるを得なくなります。
 
■自分の城は自分で守る

 日本の賢い企業は、これまで蓄積してきた豊富な内部留保を活用して、コロナ非常事態の逆境をチャンス到来と捉え、新たなビジネスモデ
ルを創造しながら更なる発展を遂げていくものと考えます。日本の企業の多くは軟(やわ)じゃないんです。「黒字を続け、内部留保を厚くする」。これが企業の持続可能な発展の基本だと19さんは思っています。雨降りに傘を差し出してくれる銀行や取引先はまずありません。企業経営は自己責任なのです、
 トヨタ自動車の中興の祖といわれる石田退三氏が言っています。「自分の城は自分で守れと。先月、「車をつくる会社」から「モビリティカンパニー」にモデルチェンジすると豊田章男社長が表明したトヨタの強さと凄さの原点はここにあるのではないでしょうか。(2020.6.19)
19さんのHPもどうぞ ⇒ http://hosjas.com


最新記事
カテゴリ
プロフィール

七福神の育さん

Author:七福神の育さん
■本名:新留 育郎
■薩摩川内市出身1946年生
■座右の銘
「敬天愛人」「士魂商才」 
■趣味とスポーツ
「柔道」「家庭菜園」
「絵画鑑賞と史跡散策」 
■愛読書
「野菊の墓」
「翔ぶが如く」
「金子みすず童謡詩集」
■愛唱歌
「北辰斜めにさすところ」
(旧制第七高等学校寮歌)
「吉田松陰」「薩摩の人」
「白い花の咲く頃」
「愛傷歌」「北の旅人」
■好きな俳優/アナウンサー
吉永小百合、有働由美子
小西真由美(川内出身)
■交流会/地域貢献活動
鹿児島県
 企業誘致サポーター
薩摩川内市 
 CSサポーター
新宮町男女共同参画
 審議会副会長
福岡さつま川内会会長
福岡可愛山同窓会代表顧問
川内高校可愛山同窓会会員
川内高校ひっとぼ会世話人
川内南中学校同窓会会員
山口大学獅子の会世話人  
山口大学鳳陽会会員
山口大学柔道部OB会会員
西銀EDOS会会長
西銀志免会会長
西銀福間会会長
西銀会会員
福岡薩摩五代会会員
七福神+ONEの会世話人
■職歴
大手銀行支店長/本部部長
東証二部上場会社役員
地元放送局関連会社役員
総合広告代理店役員
■現職
HOSJAS企画(同)CEO
地場中小企業顧問/監査役
■資格認定
九州観光マスター1級
旅行業務取扱管理者
個人情報保護士
宅地建物取引主任者

最新トラックバック
月別アーカイブ
リンク
検索フォーム
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSリンクの表示
19さんの庭先に咲く花