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■2020年新年のご挨拶~後編

■世界平和について

一昨年9月に広島駅前にニューオープンした新社屋落成披露パーティーで広島テレビ放送さんを訪れた折、新社屋一階のホールの左側に設置されている「一本の鉛筆の歌碑」「HIROSHIMA AIR CLOCKに立ちすくみました。そのモニュメントには、広テレさんが取り組まれてきた世界平和への主張が脈々と流れており、伝えたいことに心をこめて切々と語られるK専務さん自らのお話しに平和の尊さがひしひしと伝わってきて胸がジーン。広テレさんのこうした地道な取り組みが、人の心に響き、人を動かし、美空ひばりさんやヨーコ・オノさんをも動かして世界平和の輪を拡げてきたことを知り感銘を受けました
平和への思いを発信し続けられている広テレさんに深甚なる敬意を表して、「一本の鉛筆の歌碑」「HIROSHIMA AIR CLOCKと新社屋玄関先に植えられた「被爆桜」を紹介します。尚、写真は、広島広域観光情報サイト「ひろたび」から転写させて頂きました。


一本の鉛筆の歌碑

広島テレビ一本の鉛筆 昭和49年夏、広テレさんの呼びかけで第一回広島平和音楽祭が開かれ、ひとつの曲が生まれ、広テレさんの骨折りで不世出の国民的歌手で国民栄誉賞の美空ひばりさんが初めて歌った、作詞:松山善三氏、作曲:佐藤勝氏の「一本の鉛筆」の歌碑新社屋一階ホールのピースコーナーに設置されています。歌碑の文字は市民から寄せられた書体(ピースフォント)が使われ、付属モニターで美空ひばりさんの出演当時の広島平和音楽祭の動画を鑑賞できます。平和へのひたむきな願いが静かに心に滲み込んできましたる反戦

  あなたに 聞いてもらいたい  あなたに 読んでもらいたい
  あなたに 歌ってもらいたい  あなたに 信じてもらいたい
  一本の鉛筆があれば      私は あなたへの愛を書く
  一本の鉛筆があれば      戦争はいやだと 私は書く
   あなたに 愛をおくりたい    あなたに 夢をおくりたい
   あなたに 春をおくりたい    あなたに 世界をおくりたい
   一枚のザラ紙があれば     私は 子どもが欲しいと書く
   一枚のザラ紙があれば     あなたを返してと 私は書く
  一本の鉛筆があれば      八月六日の朝と書く
  一本の鉛筆があれば      人間のいのちと 私は書く


HIROSHIMA AIR CLOCK

広島テレビ原爆8時16分 広テレさんの平和への訴えが通じて、2015年、「原爆から立ち直った元気な広島の姿を発信して欲しい」という広島への思いを抱いていた世界のジョン・レノン(ビートルズ)の妻オノ・ヨーコさんが製作した時計がピースコーナーに設置され、広島から世界へ平和のメッセージを発信されています。時計の針は、原爆の投下された、1945年(昭和20年)86日午前815分を指したままでした。


■被爆桜

広島テレビ 被爆樹木二世 広テレさんは、広島市内(碇神社・広島市中区白島九軒町)で被爆した後、息を吹き返した桜の木から接ぎ木をして育った被爆桜二世の桜の木を新社屋の玄関脇に植樹して、原爆にも負けなかった生命力の強さを広島から世界に発信し、世界の人々に生きる勇気を与えています。春には、見事な花を咲かせて、訪れた人々に世界平和を優しく呼び掛けてかけてくれることでしょう。

2020年の念頭にあたり、世界中が平和でありますように願ってやみません。この広テレさんの取り組みを見て、世界平和のために、飢えに苦しむ世界の子供たちのために、私にも出来ることがあると思い知らされました。2020年は行動の年。微力ながら19さんも、小さなことから行動に移していこうと思っています。


■ご参考までに
広テレさんの平和への取り組みについてご紹介します。(参考:広島テレビホームぺージ/ニュースリリースより)

〜 広島のテレビ局として、「平和」を世界発信〜

2017年、開局55年を迎えた広テレさんは、原子爆弾が広島に投下された86日、平和を願うドキュメンタリー番組の英語版を無料配信され、以来、広島のテレビメディアとして、平和を願うメッセージを世界に向け発信されています。その趣旨について、広テレの佐野讓顯社長は2017712日のニュースリリースで次のように語られています。

『広島は被爆地です。72年前の86日、一発の原子爆弾により焦土と化し、十数万人の市民が亡くなりました。広島はその惨状を乗り越え、生きる希望を失わず、復興を果たしました。現在は国内外に向け、平和を希求するメッセージを出す都市となっています。広島テレビは、今年開局55年を迎える、テレビ放送局です。広島のメディアとして、被爆の惨状を伝え、復興を記録し、平和を希求する責任を担っています。その情報発信は、やはり国内外に向けて行う必要があると考え、行動し続けています。
20
17年、広島テレビは、新しい情報発信の形として、過去に製作した原爆・平和をテーマとしたドキュメンタリーコンテンツの英語版を制作し、アメリカの新聞、ニューヨーク・タイムズに広告掲載をし、広島のメディアとして平和を希求するメッセージを自社WEB上で無料配信します。この広島テレビの「平和を希求する」メッセージは、全世界に共感されるものと信じています』と。

●ちなみに、この時、無料発信された作品は次の通り。

1)番組名:被爆米兵
捕虜収容所がないとの理由で、原爆投下の目標にされた広島。しかし、被爆死したアメリカ兵捕虜は12人いると言われ、そこには戦争や核兵器の不条理さを表す真実があった。アメリカ兵の遺族が今も抱く複雑な感情や国境を越えた人間愛を被爆米兵の存在を通して伝える。(第12回日本放送文化大賞 準グランプリ受賞)

2)番組名:いしぶみ
20158月 全国放送された戦後70周年特別番組を再編集した劇場公開版。昭和2086日、原爆で命を奪われた旧制広島二中の一年生321人。彼らが最後に残した言葉を、広島出身の女優・綾瀬はるかが読み語る。(監督:是枝裕和/出演:綾瀬はるか・池上彰)
3)番組名:碑(いしぶみ)
4)番組名:家路
5)番組名:チンチン電車と女学生 〜2003・夏・ヒロシマ〜
6)番組名:消えた街並みからのメッセージ 〜CGでよみがえる86日〜

●昨年は、広テレさんがこれまで制作放送されてきた原爆をテーマにした数々のドキュメンタリー作品の中から次の4作品を、YahooJAPANと同社が運営するサイト「未来に残す 戦争の記憶」に提供し、無料にてインターネット配信されています。

(1)「原爆ドーム100年物語ヒロシマ・未来への警告2015627日放送)

(2)「原爆供養塔の聲(こえ)」2018331日放送)

(3)「被爆米兵の故郷へ〜オバマとの抱擁から2年〜」2018107日放送)

(4)「原爆資料館〜ヒロシマを遺す〜」2019525日放送)

 (2020.1.2執筆)

■吉永小百合さんが平和のメッセージを沖縄から発信
19さんは今も昔も「サユリスト」。女優の吉永小百合さんは私の青春時代のあこがれであり女神。二年前、「北の桜守」の映画のトークショーが福岡の西鉄グランドホテルであって聞きに行きましたが、入場から終始、もの凄いオーラを感じてすっかり心酔しました。(小百合さんは19さんと同じ鹿児島に縁があり、お父さんが鹿児島県出身)
吉永小百合さんは詩の朗読を通じ、戦争や核兵器のない世界の実現を訴え続けておられますが、そのサユリさんが、昨日、沖縄で、「平和のために~海とぅ詩とぅ音楽とぅ~」と題して講演され、音楽家・坂本龍一さんの演奏をバックに詩を読み、平和の尊さを訴えたとのニュースをテレビと新聞で知りました。このニュースをテレビやSNS、ラジオ、新聞が取り上げて全世界に平和のメッセージが広がっていくかと思うとドキドキします。やっぱりメディアの力って凄いですね。
こうしたメディアの平和への取り組みは、 前述の広島テレビさんはもとより、広島ホームテレビさんも「広島平和記念式典」を地上波番組で生中継したり、自社の無料動画配信サービス「HOMEぽるぽるTV」で同時配信されるなど、広島地区の各テレビ局でなされており、拍手を送りたいと思います。この平和への思いを次の世代に伝えていくのも私達の使命だと痛感しています。
(2020.1.6追記)
前編はこちら⇒
  http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-70.html

■2020年新年のご挨拶~前編

 宮路嶽神社初詣2  宮路嶽神社初詣20200101_163329 - コピー
                                               
2020年 明けましておめでとうございます。
元旦に博多の三社参りの一つに数えられる福津市の宮地嶽神社に初詣。出店が立ち並ぶ参道は大勢の参拝客で賑わい長蛇の列。参道から「男坂」と呼ばれる神社正面の長い石段を60分かけてようやく登り切ったところで一息。後ろを振り向くと、人気アイドルグループ「嵐」が出演したJALのCMで有名になった「光の道」(2月下旬と10月下旬の年2回、参道と夕陽が西に一直線に並ぶ神々しい絶景が見られる絶景)のその向こうに、元旦の太陽の光を浴びてぎらぎらと輝く日本海が広がっていました。いつものことですが、本殿の日本一の注連縄の下で厳かに手を合せ、「家内安全と健康」、「商売繁盛」を祈願してきました。

■2020年は行動の年
戦後75年の節目にあたる2020年。どんな年になるのでしょうか。じっと目を閉じて耳を澄ませば、この国を支える屋台骨が揺らぎ、激しくきしむ音が聞こえてくるようです。「どげんかせんといかん」と東国原英夫氏は立ち上がり2007年宮崎県知事に就任しましたが、今年はまさに、人も、企業も、国のかたちも、「どげんかせんといかん」という言葉がぴったりと当てはまる年だと思います。
私たちを取り巻く環境は大きく変化、内外の情勢は混とんとしていて先行きは極めて不透明ですが、「結果は分からないけれども、とりあえずやってみる」。そこから進むべき道が見えてきて、成長と発展につながってくるのではないでしょうか。「あきらめたらあかん。あきらめないで!」とよく言われますが、「あかん」と思ったら諦めてそこから再出発し、新たなことに挑戦するのもまた真理。2020年は、人も、企業も、国も、「行動の年」だと19さんは思います。その理由は次のような背景から見えてきます。

■実質賃金と可処分所得の減少

国内景気は東京オリンピックまでは何とか維持できそうですが、首都圏の建設ラッシュも峠を越え、企業の設備投資も下降気味で、一部ではオリンピック後のバブル崩壊がささやかれるなど大幅な景気後退藻懸念されています。それでなくても、ここ数年の給与所得者の実質賃金はほとんど増えておらず、消費税増税の影響もあって国民の可処分所得は減少し、特に、子育て家庭や非正規雇用者の生活は厳しくなってきており、経済格差も拡大しているのではないかと危惧されます。「格差社会の是正(特に、同一労働同一賃金)」と「働き方改革」が喫緊の課題となっているようです。

■急速に進む高齢化と少子化
内閣府発表によれば、日本の平均寿命は、戦後の1947年、男性50.06歳 女性53.96歳だったのが、2017年には男性81.09歳 女性87.26歳で、この70年間で、男性は31.03歳女性は33.30歳と飛躍的に伸びており、2050年には女性の平均寿命は90歳を超える見通しとなっており、これに伴い、総人口に占める高齢者比率は、2030年には31.8% 、2050年には39.6%と急激に上昇し、その後は40%前後を維持したまま推移するそうです。
つい先日の発表された厚生労働省の2019年人口動態推計によれば、2019年に生まれた子どもの数(出生数)は90万人を割り、1899年の統計開始以来最少の86万4千人にとどまるとの深刻な数字が示されました。当初の厚労省見込みよりも2年も早いペースで少子化が進んでいます。又、同推計によると2019年の死亡数は137万6千人、出生数から死亡数を引いた人口の自然減は51万2千人に達し、ともに戦後最多を更新する見込みで、婚姻件数も戦後最少の58万3千組にとどまるとしています。国は従来の政策の限界を認め、危機感を持って原因の分析と対策の強化に乗り出す時が来ているようです

■大きく減少する日本の人口
前述の少子高齢化は日本の人口減少に拍車をかけています。総務省資料によれば、日本の総人口は、2004年の12,784万人をピークに、2030年には11,522万人に、2050年には9,515万人に、2100年には6,407万人と急激に減少し、これは、2016年の関東と関西地区の人口にほぼ匹敵し、言い換えれば、九州・沖縄、中国、中部、東北、北海道地方の今の人口が消え、経済活動の市場が無くなるということです。さらに、今から100年後の人口は、明治時代後半の5,000万人の水準まで減少すると予測されおり、天災地変、戦争のあった年を除けば、奈良時代以降、未だ経験したことのない人口減少社会が到来することになります。
人口が増加し市場が拡大する時代は、法令を守り、真面目に普通に努力さえしていれば何とかやっていけましたが、人口が減少し市場が縮小する時代はそうは参りません。タダ真面目に、普通の努力をしただけでは成長も発展も期待できないのです。

■人口減少社会の中で企業はどこに活路を見出すか?
明治維新以来、富国強兵政策のもと日清・日露・第1次世界大戦を経て驚異的な成長を続けて近代国家の仲間入りをした日本は、第2次世界大戦の敗戦で壊滅的な打撃を受けながらも、日本人の勤勉さと貯蓄精神でそれを乗り越え、企業活動を活性化し、投資を増加させ、市場を拡大しながら世界に類を見ない経済発展を遂げて未曽有の困難を克服してきました。しかしそれは、「人口増加=国内市場拡大」というフォローの環境があったからこそ実現できたということを見落としてはなりません。
人口減少は消費市場の縮小と労働力不足をもたらし、少子高齢化は労働力の活力減退を意味しています。こうしたアゲンストの社会環境の中で、どこに活路を見出していけばいいのでしょうか?その手段として、日本の中小企業でも、変化をチャンスとして前向きに捉え、積極進取のバイタリティを発揮して、①海外市場への進出(グローバル化) ②高齢者と外国人労働力の確保 ③AI(人口知能)の活用 に挑戦する動きが出てきています。

■人生100年時代をイキイキと生き抜く為には
このような社会環境の変化を踏まえて、「人生100年時代」という新語が生まれてきました。人生100年時代と簡単に言いますが、かつて経験したことのない社会環境の変化の中で、私たちはどうやって自分の道を切り開き、生活の糧を確保し、物心両面の幸せを実現していけばいいのでしょうか。そう考えた時、明治維新の立役者、高杉晋作の 「おもしろき こともなき世をおもしろく 住みなすものは 心なりけり」という辞世の句が私の脳裏に浮かんできました。
私たちは、この変化をしっかりと捉えて受入れ、「仕事に生きる」「趣味に生きる」「晴耕雨読の生活を貫く」「地域貢献・ボランティア活動に参加する」「飢えに苦しむ世界の子供たちの支援活動に参加する」といった10年後の自分の生き方・夢をまず描くことが大事かと思います。そして、それに基づいた生活設計・行動計画を立て、それを実現するために、常日頃から体を鍛え、スキルを磨き、知見を拡げ、必要な専門知識・技術を身に着け、必要な資格も取るなどして、その時に備えていくことだと思っています。その為には、「生涯勉強」、「Keep On Going」の前向きの姿勢と人をいたわる「温かい心」、人と人との「絆」、「協調と奉仕の心」が求められるのではないでしょうか。

■広がる政・官の不正と暴走、政治不信
国内の政治に目を向けると、政と官で忖度が横行し、国の政策決定に使用される経済指標でさえ都合のいい結果の出る算式に変えてしまったり、都合の悪いデータの操作や重要書類を廃棄?するといったご都合主義のまやかしの政治がはびこっています。どうも、その場しのぎの対応でお茶を濁し、責任の所在を曖昧にしたままうやむやにしてしまうといった構造的な問題が長期政権の歪となって巣くっているような気がしてなりません。このまま何もしないで放っておくと、公正公平であるべき政と官の不正が民にも伝染して、この国全体が、昨今のかんぽ不正・機密情報漏えいにみられるようなとんでもない方向につっ走っていきそうな危惧さえ覚えます。
だから、2020年は、政治が国民の信頼とともに活力を取り戻し、本来の役目を果たすような方向に転換する年であってほしいと願ってやみません。私たちも、今まで以上に政治に関心を持ち、不正やまやかしの政治を許さず、この国のかたちを問い直させるように声をあげ良識ある政治家を動かしていくことも国民としての使命かと思います。

■世界が抱える様々な脅威
それぞれの国や地域の置かれた状況によって身近な深刻さに程度の差はあるかと思いますが、いま世界は数々の大きな脅威にさらされています。世界中で「地球の環境汚染」が進み、世界のあちこちで「民族対立・紛争」「ポピュリズム台頭と分断」が激化しています。又、自国中心主義がはびこり、国家の安全保障や地球環境保護、自由貿易保護などの政策を国際連合との整合性を中心にして組み立てていく国連中心主義が後退し国際的な協調体制が崩れてきています。
16歳のスウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが、「人類の絶滅は始まりつつある」として地球温暖化対策を必死に訴えても、「バカバカしい。友だちと古き良き映画を見に行けばいい」と突き放したアメリカのトランプ大統領や「ガキ」という言葉で批判したブラジルのボルソナロ大統領など地球温暖化問題に正面から向き合おうとせず、自分に都合の悪い意見には強権で蓋をしてしまう指導者らがまかり通る危機的な様相を帯びてきています。どうやら世界は、世界恐慌の起きた1929年から第二次世界大戦までの保護主義の時代に逆戻りしたかのようです。
自分と異なる意見に耳を傾けて、ベストでなくてもベターで協調して、一歩一歩進めていくことが、問題の解決、発展の早道だとは思いませんか。強権は反対派を作り、争いを増長させ、発展のつもりが衰退を余儀なくされる羽目にもなりかねません。幸い、「どげんかせんといかん」と勇気を出して立ち上がる若い人たちが増えてきています。
これは、企業経営でも言えることですが、優秀な若い人たちがあちこちの職場で力を発揮するようになり活躍しています。若い人たちの意見に耳を傾け、若い人たちを登用し、活躍する場を与えている企業は活力があります。この難局は、経験豊かな熟年世代の知見と技術に若い人の新しい考え方と漲る力が加わってこそ乗り越えることが出来るのだと確信しています。
(2020.1.1執筆) 
 後編へ続く⇒
  http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-71.html


テーマ : 楽しく生きる
ジャンル : ライフ

七福神の育さんが会社を設立しました。

福田絵IMG_20180822_192404会社員生活50年の
 知見と体験を更に
 ブラッシュアップして
令和の時代に羽ばたく
 人と企業と地域を
 応援したい・・・・・

今年3月31日、会社員生活50年にピリオドを打ち、「人生100年時代」「人口減少=国内市場縮小社会」といわれる大変革の時代に、一生懸命頑張っていらっしゃる「人・企業・地域」の成長と発展のお役に立てればと感謝の気持ちも込めて、福岡で一人社長の会社を設立しました。
 社名は、「人生100年時代に Hop(ホップ) Step(ステップ) Jump(ジャンプ)を Active(積極的)に Support(サポート)する」HOSJAS企画合同会社(略称:ホスジャス)。
  4業種4社での実体験を糧にして失敗と成功を繰り返しながら培ってきた幅広い知見とノウハウを更にブラッシュアップして、
①経営改善・人材育成・業務改善の経営コンサル&コーチング
②自己啓発に励み、大きく羽ばたく人の能力開発サポート
③企業&商品の認知度アップ・売上拡大に繋がる広告展開と
 商品販売サポート
④ふるさと「鹿児島・山口・福岡応援団」ボランティア活動
 
を主に、豊富な経験と優れた識見をお持ちの方々のご協力も賜りながら、誠心誠意、全力で取り組んで参ります。
 単なる評論解説で終わらせず、現状を観察分析して、問題点と理想の状態を引き出し、具体的な解決方法を提示し、更に自らも時間・おカネというコストをかけて行動を起こすことで皆さまの飛躍のきっかけをお手伝いできる実践家コンサルタントとして活動したいと思います。


歴史を語る川内川 ありがとう
 そして keep on going

本年72歳。人生これから。
いつも感謝の気持ちを胸に、
いつも前向き思考で向き合い
「士魂商才」「敬天愛人」
を貫き、令和の新時代に羽ばたく人・企業・地域の成長と発展のお手伝いをさせて頂けたら幸いです。(令和元年7月1日執筆) 

HOSJAS企画合同会社(通称:ホスジャス)  
  CEO兼代表社員 新留 育郎
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 詳しくは、HOSJASホームページ         ⇒ https://hosjas.com/
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■誠実に生きる/義父母の生涯(後編)

 前編より続く⇒ http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-40.html 
                          (2011/8  執筆)
義父は仕事柄、たまに新聞にも顔を出していましたが、照れ屋の義父はそのことを何も言わないので、家族も周囲の人から教えられ、新聞を探し出してあわてて読んでいました。
そんな義父が、珍しく、自分から七福神の育さんにそっと渡してくれた新聞記事がここにあります。おそらく、自分たちの生き方をそれとなく教えてくれたのだと思っています。七福神の育さんにとっては、何物にも代えがたい宝物で、時折取り出して読み直しています。

■亭主の好物”煮込みうどん” ~読売新聞から~
‘煮込みうどん”それも私が自分で作った手打ちうどんしか食べません。義母の新聞紹介記事 娘のころ母が作っていたのをみようみまねで 作ったのが始まりで、それ以来、日曜日には必ずつくっています。
小麦粉に塩を入れ、耳たぶ位の軟らかさになるまでこね、何時間かおいておくのがいいようです。それを伸ばして、切って、ゆでます。これをカツオとコブのだしに肉とタマネギのいためたのと一緒に入れ、薬味にネギを添えた何となくゴチャゴチャしたのが大好きですね。
「まあ、お父さん、そんなに食べていいの」と、言いたくなるほど食べます。だいたいめん類が好きなんですけど、スパゲティだけは「あれは油でこねてあろうが・・・」と言って食べてくれません。
(福岡県警/博多警察署長宮崎勇行夫人 宮はまよさん)
-1975年10月21日読売新聞朝刊掲載-
義母はことのほか料理が好きで、いつも手料理を食卓いっぱいに作ってごちそうしてくれていました。義母の亡くなる前の晩も、義母は娘(七福神の育さんの妻)と一緒に夕食の手料理を作りながらきゃあきゃあ楽しそうにしていたそうです。
その義母に見習い、七福神の育さんの二人の娘たちも料理をつくるのが好きで、家ではよく手料理をふるまってくれますし、4歳になる孫も、炊事場にやってきて料理を作る手伝いを今からしているんですよ。
三歳の時、泥水を飲んで一週間高熱を出して生死の淵をさまよい九死一生を得た義父は、食事にはものすごく気をつけておりました。義母の手料理が健康の源だったようです。

■誠実、仕事はきびしく・・・~毎日新聞から~
      福岡・中央署長を勇退する 宮勇行氏(56)
まやかし、はったり、それにへつらいもおよそ縁遠い。義父の新聞紹介記事   
「誠実」という言葉がこの人ほどぴったりする人は少ない。 
三十三年、警部昇任試験の時、本部長の口述試験で自分の長所と短所を問われ、「長所は、人の意見や話に率直に耳を傾け、受け入れる。短所は”腹”で仕事をするのが不得意でなので修業を要する」と答えたそうだ。
それから20年。”腹芸”はとうとう”定年”jまで修行足らず。 
「でも、これで良かったと思っています。ごまかしやはったりは長続きしない。自分に正直なのが一番いい。信頼もそこからしか生まれません。」
一線では八年余と捜査二課が長く、汚職事件など多く手掛けた。「仕事には厳しく緻密」「曲がったことが大嫌い」
当時の部下の宮評。
捜査二課長も含め事件の中枢畑にいただけに夜中の電話報告だけではなく記者連中にの夜討朝駆けでずいぶん私生活を脅かされた。だが、いつ訪れてもいやな顔を見せない。これには”強心臓”を自負する事件記者も恐縮。
「夜も寝ないで取材に来るのに捜査上言えない事がある。心の中ではいつも済まないと思っていました。せめて応対だけでも誠意を尽くさねば・・・」---。
陸軍工科学校(神奈川県)を出て終戦の年まで4年間余り関東軍に所属し、満州(中国東北部)iいた。
「9月に復員、家業の農業を手伝っていましたが、ブラブラしていても仕方がない。同じ働くならきちんとしたところで・・・」---。
20年12月に警察官になった。依頼31年8ヶ月。地元警察官の最高ポスト、福岡・中央警察署長を最後に第二の人生のスタートを切る。(福岡市の専門委員として地下鉄開業、天神地下街の町づくりの仕事が待っている)。
「上司、同僚、部下、人に恵まれました。仕事は厳しい面もありましたが、努力が報われいい職場でした。」
浮羽郡浮羽町小塩出身 福岡市西区で妻はまよさん(53)と長男の3人暮らし。
-1977年8月22日(月)毎日新聞朝刊掲載 -
義父は物静かで実に優しい人でした。脚が軽くて、家にいる時は、炊事場にも立つし、家の掃除、風呂の掃除、庭の掃除・・・よくしていました。怒った顔を見た事がありません。七福神の育さんの二人の娘も、おじいちゃん、おばあちゃん子で、とても可愛がってもらいました。二人の娘はおじいちゃんおばあちゃんの姿をみて育ったようなものです。
「とにかく人は誠実でなくちゃいかん。人に裏切られることはあっても、人を裏切るような事だけはしてはいかん。」
「小さな失敗はなんぼしてもいい。それが成長につながる。しかし、取り返しのつかない大きい失敗だけは絶対にしちゃいかん。それは一生かかっても容易には取り返せない・・・。」
。義父の七福神の育さんへの教えでした。
関東軍での生死を彷徨う体験や31年の警察の事件畑での体験から行き着いた心底からの人生訓だったのでしょう。義父母にはいろいろと助けられました。ただただ感謝するばかりです。
今は仕事で無理ですが、七福神の育さんが70歳を過ぎて時間2余裕ができれば、義父母の歩いてきた足跡をたどって「本」を書いてみたいと思っています。

前篇はこちら⇒  http://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-40.html 

 (鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎) 

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ジャンル : ライフ

■比翼の鳥のように/義父母の生涯(前篇)


七福神の育さんは、これまで64年の人生の中で、「我が師」と敬えるたくさんの人びとに出会いました。
先に、このプログhttp://mai196.blog65.fc2.com/blog-entry-31.htmlでも紹介した川内南中学時代の恩師K先生、大学時代の居候先のT家の人びと、社会人になって最初に勤務した銀行支店の市川慶三取締役支店長(後の西日本銀行頭取)、銀行本店勤務時代の草野武二先輩(後の西日本銀行監査役)・・・。そして、先日他界した義父母も七福神の育さんの大きな心の支えでした。
これら「我が師」については、折を見て、このプログでも紹介していきますが、今回は、昭和の激動の時代を「至誠一貫」、「夫唱婦随」で生き抜いた義父母を偲んで語ってみたいと思います。(2011/8 執筆)

■最期まで用意周到・気配りの人生を貫く・・・
2011年4月4日、義父母は慌ただしく旅立って逝きました。それまで二人は、福岡の長年住み慣れた自宅で、お互いを労わり合いながら、つつましく元気に暮らしておりました。
ところが、4月1日(金)朝、「来週月曜日に入院したいので、今日一緒に付き合ってくれ」と七福神の育さんの妻に電話をしてきました。咳が止まず少し苦しそうでした。その日、妻はお父さんのお伴をして、天神のデパートや銀行を回って入院の準備を手伝ったそうです。それから義父は、自分が入院した後の義母の生活のことを心配して、自分が入院している間、義母もその病院のデイケアセンターを利用できるようにと、自宅近くの病院に入院することに決めたそうです。 義父はいつもそうでした。何事にも慎重で、常に用意周到、周囲への気配りを忘れませんでした。「事を進める時は、準備してもし過ぎることはない・・・。周りの人によく目配りすること」と。

■病院嫌いの頑健な義父が突然入院することに・・・
入院の準備とその後の手配を済ませて義父はしてホッとしたのでしょうか?、翌4月2日(土)朝、「月曜日まで体が持てそうもない・・・」と、予め決めていた自宅近くの病院に駆け込み、そのまま入院しました。
三歳の頃、高熱で一週間も瀕死の世界を彷徨い奇跡ともいわれる回復をとげた義父は、その後はたいした病気もせず、まして入院したこともありませんでした。義父は薬・病院嫌いで、その分だけ、健康には人一倍気をつける人で、食べ物にはうるさくて細心の注意を払っており、早寝早起きを心がけていました。
そんな頑丈な義父が病院に駆け込むのですからよっ程きつかったのだと思います。七福神の育さんの妻は実家に泊まって時々病院に様子を見に行き、義父とおしゃべりしていたそうです。3日(日)夜は親子三人(お母さん、兄さん)が枕を並べて、いつになく、夜遅くまで語り合ったそうです。

■比翼の鳥のように仲睦まじく天国に旅立った義父母
4日早朝、枕元の電話が鳴り、義父の容態が急変したとのこと。受話器をとった義兄の後ろで、飛び起きた義母がショックで倒れ込んでしまいました。妻からその知らせを受けた七福神の育さんは、長女を叩き起こし車を飛ばして病院に駆けつけましたが、時すでに遅く、午前5時、義父は急性肺炎から尿毒症を併発し急逝。
義母はしばらく自宅で安静にしていましたが、ほどなく救急車で義父の眠る病院に運ばれてきました。応急治療を受けてそのまま入院。一時、回復するかに見えましたが、同日正午27分心筋梗塞を併発し、夫の後を追うように安らかに息を引き取りました。 二人とも天命を全うしたような綺麗な死に顔でした。
義父・宮勇行 享年90
才、義母・宮ハマヨ 享年88歳。
余りにも急で信じられない最期でした。しかし、人もうらやむような、仲睦まじく天寿を全うした見事な最期でもありました。
中国唐代の詩人白居易(=白楽天、772-846年)の長編叙事詩「長恨歌」の中iに、【天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん】という詩の一節がありますが、生前、【連理の枝】のようにいつも仲睦まじく誰にも優しかった義父母は、【比翼の鳥】となって仲よく天国に旅立って行ったのでした。


■離れて遠き満州から、命からがらに帰国した義父母
先の世界第二次大戦で関東軍にいて、満州のシベリア国境最前線で戦っていた義父は、「このまま最前線にとどまっていてもロシアの大軍をとても防ぎきれない。ここは一端、撤退して体制を調えてから防御すべし」との師団長の機転(決断)で、終戦の一日前に北朝鮮国境近くまで退却していました。その翌日、ロシアの軍隊が攻め込んできて、最前線の兵隊さん50万人のほとんどがロシア軍の捕虜となりシベリアに抑留されたそうです。危機一髪、シベリア抑留の難を逃れた義父は、暑さと飢えに耐えながら生れ故郷を目指して歩き続け、海を渡り、終戦の年の秋のある朝、実家の庭先にようやくたどり着いきました。


の頃、義母もまた関東軍の憲兵さんに嫁いでいた実姉の出産のお手伝いで満州に渡っていて、満州で終戦を迎えました。身の危険を感じた義母は、実姉さんと一緒に、頭を坊主にして、顔には墨を塗り、ぼろぼろの着物を着て男装し、産まれたばかりの赤ちゃんを抱きながら満州の大地を逃げ惑い、命からがらやっとの思いで、三人とも無事に日本に帰ってこれたようです。それはまるでドラマの世界よりも過酷なのだったといいます。

■自分で運を切り開いた、気丈で意志の強い義父母
義父母は運の強い人でした。というより、自分で運を切り開いた意志の強い人でした。 あの柔和な優しい表情からは想像もつかないくらい、気丈で芯の強い人でした。
生前、義父母が満州にいた事は知っていましたが、この話は通夜と葬儀の時に本家筋の人からはじめて聞かされました。義父母は満州での若い頃の話はほとんど口にしませんでした。余っぽと苦労したのだと思います。思い出したくもないほど、語りたくもないほど過酷で悲惨な体験をしたんだと思います。
そんな義父母は、常々、「一生懸命やれば運はついてくる。一生懸命やれば誰かが助けてくれる。だから、人を裏切るような事をしたらいかん。努力すれば、必ず運は呼び寄せられる」と話していました。

■福岡県警で捜査一筋の人生を夫唱婦随で貫いた義父
福岡県浮羽郡の山村に生まれた同郷の二人は帰国後に知り合い結婚。
復員し手まもなく義父は福岡県警に就職。駐在所勤務をスタートに刑事畑を歩き、県警本部では捜査畑の中枢に長くいて汚職など多くの大事件を手がけ腕をふるい、博多警察署長を経て、地方警察官のトップである福岡中央警察署長を最後に勇退。
その後、福岡市の専門委員として福岡市地下鉄開業や福岡天神地下街の明るい町づくりに尽力した後、自動車学校の校長として70歳まで元気に働きました。勲章4等瑞宝章を受章。

■「至誠一貫」「正々堂々」「誠心誠意」が義父の信条
義父は、福岡県警在職中は、仕事にも自分にも厳しく、一方、部下や周囲の人にはどこまでも優しく、『仏の勇行(ゆうこう)さん』と呼ばれていたそうです。曲がったことが大嫌い。何事にも正々堂々と精神誠意で取り組む義父の姿勢に周囲の誰もが信頼を寄せ、大いに頼りにされていたようです。
事件があると、マスコミの記者の皆さんが、「夜討ち朝駆け」で自宅に押し掛けておられましたが、「せめて応対だけでも誠実に尽くさねば…」と義父母はいやな顔一つせず、にこにこしながらお茶や手料理を振舞っていました。
義父は、「自分が奉職を全うできたのも、気丈で、明るく、愛想のいい家内のお陰」だと話しておりました。
余談ですが、七福神の育さんは、仕事がら全国のテレビ局や新聞社の支社長さん達とよくお会いしますが、若い頃、福岡で報道記者をなさっていらっしゃった方も何人かおられて、義父のことを話すとびっくりされて、「あの勇行(ゆうこう)さんですか。いろいろとお世話になりましたよ。思いやりの深い人でした」と懐かしがってくださいました。人との出会いは不思議なもので何処でどうつながっているのかわからないものですね。


■柔和で優しい義父と明るく茶目っけのある義母
義父は、家庭内にあっても柔和で照れ屋のとてもおとなしい人でした。七福神の育さんはホントによく可愛がってもらいました。銀行の仕事はお金が絡んでいるだけに事件に巻き込まれがちですが、義父はいつもそのことを心配し、問題が起こらないように側面から色々とアドバイスし、支援をしていてくれていました。そのお陰で私が支店長をした支店では、地域やお客様との大きなトラブルは全く起こりませんでした。
ある時、義父は、「小さな失敗は何回やってもいいが、取り返しのつかないような大きな失敗だけは絶対にしたらいかん。大きな失敗をしない為には、物事を始める時にはよく考えて慎重に行動することが肝心。そのためには、日頃からよく本を読み、先輩の話に耳を傾け勉強をしておくこと」と教えてくれました。それ以来、七福神の育さんは事あるごとにその言葉を思いだし、たいした失敗もせずに今まで過ごすことができました。


義母はとにかく明るく愛きょうのいい人で、笑い声の絶えない家でした。いつ訪れても満身の笑みで出迎えてくれ、気分が沈んでいる時でもぱっと心が晴れて、いやな事もすぐに吹き飛んでしまいました。「いつも、にこにこしとかんといかんよ。ムツカシイ顔してたら、なんもかんも(運も)逃げて行くよ」
きゃぁきゃあと孫たちと戯れているあっけらかんの優しい義母でした。そんな義母ですから、二人の孫は大のおばあちゃん子で、親から見ても実に心の優しい女性に育ちました。


こうして、義父母の事を偲びながら綴っていると、義父母の存在がどんなに大きかったか思い知らされています。今はただ、感謝の気持ちでいっぱいで、ご冥福をお祈りするばかりです。
このプログの後編では、新聞で紹介された義父母の記事を掲載して、天国の義父母に捧げたいと思います。


後編へ続く⇒
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 (鹿児島・山口・福岡応援団 / 地域交流飛翔会 / 新留育郎) 


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プロフィール

七福神の育さん

Author:七福神の育さん
■本名:新留 育郎
■薩摩川内市出身1946年生
■座右の銘
「敬天愛人」「士魂商才」 
■趣味とスポーツ
「柔道」「家庭菜園」
「絵画鑑賞と史跡散策」 
■愛読書
「野菊の墓」
「翔ぶが如く」
「金子みすず童謡詩集」
■愛唱歌
「北辰斜めにさすところ」
(旧制第七高等学校寮歌)
「吉田松陰」「薩摩の人」
「白い花の咲く頃」
「愛傷歌」「北の旅人」
■好きな俳優/アナウンサー
吉永小百合、有働由美子
小西真由美(川内出身)
■交流会/地域貢献活動
鹿児島県
企業誘致サポーター
薩摩川内市CSサポーター
福岡さつま川内会副会長
福岡県新宮町男女共同参画
 審議会副会長
福岡可愛山同窓会会長
川内高校可愛山同窓会会員
川内高校ひっとぼ会世話人
川内南中学校同窓会会員
山口大学獅子の会世話人  
山口大学鳳陽会会員
山口大学柔道部OB会会員
西銀EDOS会会長
西銀志免会会長
西銀福間会会長
西銀会会員
福岡薩摩五代会会員
七福神+ONEの会世話人
■職歴
大手銀行支店長/本部部長
東証二部上場会社役員
地元放送局関連会社役員
総合広告代理店役員
■現職
HOSJAS企画(同)CEO
地場企業2社顧問

■資格認定
九州観光マスター1級
旅行業務取扱管理者
個人情報保護士
宅地建物取引主任者

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